幸か不幸か〈後編〉
前編を読んでいない人はぜひそちらを先に。
私は今、大学で考古学を学んでいる。
大学では好きなことを学ぼう。そう思っていた。
それは=三国志を学ぼうということだった。
では、なぜ考古学を勉強しているか。それは、曹操の墓に入るという野望を抱いたゆえの選択だった。
*「入る」=墓の中(地下)に入ること。普段は入れない敷地内には既に入っている状況で思ったことを書いてます。
大好きな曹操の墓に入る。そんな夢を持ちながらも、大学に入りいろいろな現実を知った。そんな中で今回のツアーを見つけた。夢をかなえる時が来たという嬉しさとともに、一観光客として入るというのは少し敗北感もあった。さらに言うと、一般公開されていない調査中の遺跡に観光客が、それも40人近い人が入れるとは思えなかった。まだ、1年半しか考古学を学んでいない私でも遺跡の調査のデリケートさは知っていた。
皆さんは知っているだろうか。世界遺産のマチュピチュが壊れ始めているのを。
なぜか。それは、観光客の足によってである。大量の人が踏むということはそれだけ破壊力を持っているのだ。
堤防を頑丈にするために桜を植えた話からも分かる。
そもそも、「発掘」という行為自体、遺跡側から見たら「破壊」である。
曹操高陵に関しても先に盗掘され、このままほっとくと崩れるという状況になってからの調査であり、学術を優先し破壊したわけではない。
始皇帝陵を掘らないのも、内部のモノが空気に触れ劣化することを防ぐ技術が今のところないことも一つの要因である。
何が言いたいかというと、私は『良かった』
大好きな人のお墓をただ破壊する人間にならなくて。
調査のためでもなく、ただ破壊することなくて。
ただ、種明かしをすると、本当は入れるはずだったらしい。我々がある程度払った団体?組織?と実際に曹操高陵を管轄する組織が別で、さらに仲が悪かったらしい。又聞きなのでこのことについてはよくわからない。
とにかく、社員さんが申し訳なさそうに我々に謝り、ツアー常連組が文句を言うのも納得できるということだ。
それに、私だって入ることができたら、手放しに喜んでいただろう。
今回のnoteは言葉の使い方間違っているかもしれないが、『負け犬の遠吠え』だ。
曹操高陵に入れなかったのは幸か不幸か?『不幸』だ。
でも、これだけは言える。春秋旅行社のツアーは最高だった。日程と予算の問題はあるが、絶対また行きたい。
11月には神戸で「三国志祭」、来年には東博と九博で「三国志展」
未来は明るい
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