夏暁の花 | 小説①
【あらすじ】
高校時代の夏、美しい彼女を「お前なんか大嫌いだ」と突き落とした。
しかし、その彼女に関する記憶は、全て僕の中のどこかへ消えてしまう。
そんな僕の前に現れた、百合花。
美しい彼女と共に過ごしているうち恋をするが、百合花は死んだはずの彼女だった。
そして、彼女に触れることも出来ず、崇めていたこと。彼女が父親から性的暴行を受けていたことを思い出す。
しかし記憶が戻り、今目の前にいる彼女は妄想の中の人間であったと気づく。
遂に二人で飛び降り自殺しようと考えるが、彼女が頭の中の人間だと分かってしまいその思いも叶わない。
一方、本物の百合花は死の瀬戸際を迎え、病院で静かに眠っていた。
・二話
https://note.com/amamo_ke/n/n1e4626d85c99
・三話
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・四話
https://note.com/amamo_ke/n/n20150bcc6fdc
・五話
https://note.com/amamo_ke/n/n5d07cd5bb4ee
・六話
https://note.com/amamo_ke/n/n86a41c6526d2
・七話
https://note.com/amamo_ke/n/n229596ab300b
・八話
https://note.com/amamo_ke/n/n9f38aacbd45a
・九話
https://note.com/amamo_ke/n/n6ea14065015d
・十話
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・十一話
https://note.com/amamo_ke/n/nfe20d1799ce5
・十二話
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・十三話
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・十四話
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・十五話
・十六話
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陽炎が灯る。
ゆらゆら不気味に揺れて、また夏が来たことを知らせてくる。
でも握った手の中にじっとりと汗をかくのは、夏が来たせいではない。そんなことくらい、きっとどこかで分かっていた。
高校時代の夏、彼女を「お前なんか大嫌いだ」と突き落とした。最後に見たのは僕しか知らない明るい笑顔だった。
しかし、その彼女に関する記憶も、まるで決まり定まった事のように、四十九日を境に全て僕の中のどこか奥深くへ隠れ消えてしまった。
今となってはもう何も思い出せない。
弱い自分を守るための術だそうだ。全てを忘れていきなりベットから落ちた僕を見て、両親が酷く驚いて泣いていたのを覚えている。
異常にベタついた髪、目尻にこびり付いた目やに、落ちた時のあの痛み。それが世界の始まりだった。
廃人のようにただ横たわっていたのは何故かも全く覚えていないし、思い出すことはない。
「一架君、ちょっとこっちに来て」
「はーい」
そんな僕は無事記憶がないままながら何でもないような大学を卒業し、一人暮らしを始め、就職もせずフリーターを続けている。
都会ではどうにもならないだろうが、田舎なので暮らしもバイト一本で賄える。
両親は一人暮らしをする事に大反対だったが、僕は自分の部屋の意味ありげなベットが苦手だったので早く家を出たかった。
ベットを変えて欲しい、というより一人暮らしがしたい、と言い出す方が僕には楽だった。モヤモヤ嫌だなあ、と思う事は大抵記憶喪失が絡んでいると僕は思い込んでいる。
だからこそ、擦り傷に塩を揉み込み続けるような生活は限界だった。
「一架君、来月から昇給ね」
「あれ、嬉しい。何か怒られるのかと思いました」
「怒らないよ、他のバイトの子のカバーもしてくれて助かってるよ」
一パック百円で人気の卵を出す準備をしながら、店長はゆるゆると笑う。僕もそれを手伝いながらゆるゆると笑った。
うちの薬局はかなりの重労働で、バイトの子もすぐに辞めてしまう。僕も最初の面接で「お米の袋持てる?」なんて聞かれて面食らった。
まあ僕はかなり痩せ気味の童顔で、大学生時代は長距離を走ってたもんだから余計にそう聞かれるのも無理はなかった。
それでもムッとして「お米くらいならたくさん運べます」とちょっといきがったものだ。今考えるととても恥ずかしい。
でもその時も店長はゆるゆると笑っていた、確か。
「店長、これ僕が店頭に出しときます」
「お、気が利くね。でも卵だから気をつけてね」
「はーい」
時給千円に惹かれて初めたバイトだが、そろそろ働き始めて一年が経つ。遅刻をしたこともないし、病欠で休んだこともない。大学時代に就職活動をしない僕にやんややんや言う輩もいたが、僕はこのバイトを結構気に入っている。
二十三歳、フリーター。響きは相変わらず良くないがゆるゆる生きている僕にはちょうど良かった。
卵を並べ終わってレジに入ると、もう午後三時だった。おやつの時間だ、と思いながら暇を持て余す。外は真夏で、窓からは暑い日差しが入ってくる。
「わ、眩しい」
真っ白な肌に長い髪、黒いワンピースの女の子がチョコを手に僕のレジへやって来る。
見ているとどこか頭がおかしくなってしまいそうなほどその顔は端整で、恐ろしく美しかった。
そして彼女が着ているそれは、まるで喪服のように見えた。
「いらっしゃいませ。申し訳ございません、後ですぐにブラインド下ろしますね……お客様、ポイントカードはお持ちですか?」
「はい、あります」
女の子が出したカードは古いカードだった。
今は新しいカードに移行していて使えない。
その旨を伝えると彼女はへー、と感慨深そうに呟いた。
「よろしければ新しいカードお作り致しましょうか?」
「すぐに出来ますか?」
「はい、すぐに」
「じゃあ、作ってください」
「ではすぐに係の者をお呼びしますので少々お待ちください」
「……じゃあ、いいです」
え、と僕は返答に詰まってしまう。
基本的にレジをしているときは他の業務は自分でしない事になっているので、このままではこの子はカードを作ることができない。
「カード、作らなくていいです。このチョコください」
「かしこまりました」
特典のシールがついている安いチョコ一つ。
明らかに子供が喜びそうなシールを年頃の女の子が買っていくのは少しだけ面白かった。
しかもこのチョコは数年前に流行ったもので、今はあまり売れない。
あれ、数年前っていつだ?
「お会計六十八円です」
「はい」
「百円お預かり致します」
「……それ、金色のシールだと思いますか?」
「へ?」
「金色だと当たりなんです、それ」
「はあ、当たるといいですね」
女の子の顔がパアッと明るくなる。
そんなにいいことを言ってあげただろうか。
もしかしたらマニアなのかもしれない、僕は心の中で本当に金色のシールが当たるよう祈った。
「うすいさん」
「はい、碓氷です。よく読めましたね」
少し嫌味だったかな、と思う。
でもこの苗字をすんなり読める人はそういないので驚いて僕もすんなりそう言ってしまった。
「金色のシールが出たらまた来ます」
「はい、ありがとうございました」
またお越しくださいませ、とは言えなかった。
会計時にこんなに話しかけてくるのはおばちゃんくらいだったから、小綺麗な若い子に話しかけられる事はあまりなく、内心ドギマギしてしまった。
本当に真っ白な子だった。僕より年下というのは分かる、童顔な僕より童顔だったし手のひらで顔を掴めそうなほど小顔だった。
なのにあの真っ黒なワンピース。何か花でも持たせたらいい被写体になるのではないだろうか、僕は写真の事なんて分からないけど。
「あ、店長。ブラインド下ろしてください」
「うわ、眩しいな」
「さっきお客さんにもそう言われました」
「クレーム?嫌だな~」
「多分大丈夫です、いい人でした」
「そりゃラッキー」
通りすがりの店長がまったりした動きでブラインドを下ろす。
その向こうにはさっきの女の子の後ろ姿があった。また来てくれるだろうか、金色のシールを当てて。
その後店は忙しくなり、僕はさっぱりその女の子の事を忘れ去った。
他のバイトの子がミスをしてお客さんに怒られたり、あの商品が置いていない、品揃えが悪いとお叱りを受けたり散々な日だった。
僕だって叱られればそれなりにへこむし、やる気も削がれる。けれど何となく他人よりは壮絶っぽい人生のおかげで泣いたりしたことはなかった。
高校生の頃の記憶がありません、廃人だった時もあります。僕の人生の見出しはこうだ。
多分嫌な事から逃げたんだろう、それは自分のことだし医者にも言われたから理解している。
でも、僕は僕をそれなりに信じている。逃げたんだから逃げたままでいいじゃないか。このゆるゆるとしたぬるま湯に浸かっているような生活が僕には似合っている。そしてこのままいつか死ぬ。それでいいと思っている。
そんな今日も僕はバイトを終え、家路につくのだ。
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