夏暁の花⑯|小説

おかしい。
体が床にへばりついて、うまく動くことができない。起きても起きても酷い眠気が襲ってくる。
前にもこんなことがあった、確か……インフルエンザに罹った時だ。あの時に似ている。床を這いずって用を足し、そのままトイレで震えながら寝込んだ覚えがある。

 午前中、最後の別れも含めてマキちゃん先生の所へ寄った。そこで処方された薬を飲んで……そうだ。その薬を飲んだ。薬剤師の人から新しい薬の説明があったが聞き流してしまった。
今一度処方薬の紙を見ようとするが、あまりに酷い体の気怠さに負けてしまった。
今日の十八時には学校に行かなければならないというのに、このままじゃ部屋の中を移動するだけで精一杯だ。
僕は手元にあった携帯電話で、精神科へと電話した。

「精神科ですね。少々お待ちください」

丁寧な事務員の声を聞き、少しシャンとするも、すぐに項垂れてしまう。

「はい、精神科です。どうされましたか?」
「午前中に、処方してもらった薬の副作用が、強くて……碓井一架と申します。マキ……蒔田先生を、お願いします。」
「蒔田先生は午後学会で不在なのですが……他の先生に聞いてみましょうか?」
「……いいえ、大丈夫です。ありがとうございました。失礼します」

僕は、マキちゃん先生しか信用していない。マキちゃん先生だったからここまで僕のままでいられた。相沢さんのことも信じてくれた。だから……。
そういえばこの前、相沢さんの父親について少しだけ聞いたな。そうだ、死因は結局何だったんだ?
迷いなく、携帯で検索をかけた。

”父親の理一さんは、部屋の中で首吊り自殺。郵便局員が配達時、窓の外からその姿を確認した。理一さんは才色兼備の娘に身を焼き、性的暴行(遺書内にそのような行為を指し示す言葉が多数見受けられた)をしていたと遺書に書き記してあったとのこと。「愛してる」「穢れた」「他の男のせい」とも書かれていたという。尚、妻は異常な恋慕に嫉妬し、数年前に自殺ーー……”

付け加えられていたのは、相沢さんの写真だった。ほぼ盗撮写真ばかりだ。誰かが彼女の美貌を取り残していて、それを売ったのだろう。その写真たちはどれも称賛されていたが、中には侮辱が酷く見るに堪えないものもあり、携帯を閉じた。
僕は、冷静にこの事実を頭の中でかみ砕いていた。もっと酷く怒り狂うかと思ったが、想定範囲内のことだったせいかもしれない。もしくは、自分が大人になってしまったからだろう。もし相沢さんが隣にいたら、泣き出す彼女を宥めることくらいもできたかもしれない。
ふとあの時の光景が霞んで脳裏によぎるが、それを振り払うことも容易かった。
彼女と共に苦しみ悲しみに暮れることは、きっともうできない。でも並走することはできる気がした。少なくとも、パジャマの袖を引っ張って連れ回すことはしないだろう。

相沢さんは今どこにいるのだろう。
十八時まで、ここにいてくれればいいのに。だが彼女の姿はどこにもない。
こんな床にへばりついた状態で、探しに行くこともできない。
また、酷い眠気が襲ってくる。瞼が開けられなくなってきた。
タクシーを呼べば、学校に着くことくらいはできる。今からもう少し寝ればこの眠気も覚めてくるかもしれない。
せめて、アラームを……。

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