拝啓、天色の夏へ

村。
山、草、土の臭い、何もない空。
バスから降りた時の感想はそれだけだった。
出戻りの母親は苦虫を嚙み潰したような表情で、俺はそれを「めんどくさ」と思いながら見て見ぬふりをしていた。

「おーい」

この声は、きっと祖父だ。
少し離れたところに車が停まっており、窓から手だけを出して振っていた。
その不精さが、なんだか今はありがたい。

それに、けたたましいセミの声や暑さから一刻も早く逃れたい。早く車に乗せてほしい。そんなことを思った。
いやしかし、これからずっと、こんな環境の中で生きていくのか。離婚した母親に連れられなんとなくここまで来たが、本当にここで暮らしていくのだと思うと、冷やりとした汗が背筋を伝う。
舗装もされていない砂利道、これはどこまで続いているんだろう。道端いっぱいに伸びた雑草たちは、誰が処理するんだろう。

「これが”お役目”の子か。」
「そうよ。」
「難儀そうに育ったな。あんなに小さかったのに。」

自分の悪口は言われ慣れている。どんな悪口でもいいから、母親と喋っていてほしかった。

「ここらも暑いやろ、でも村の方はまだ涼しいで。」
「そんなに変わらないでしょ。偉そうにそんなこといって。」
「お前は変わらへんな、母さんが泣いてるわ。」
「母さんは死んだでしょ。線香あげたら私は帰るわ。」
「そんなわけにいかんへんやろ……それとも情はないんか。」

ミラー越しに、ちらりとこちらを盗み見た祖父と目が合う。よくもまあ本人の前で明け透けに話をするものだ。

「あの、別にいいんですけど……”お役目”って何ですか。」
「”お役目”のこと知らずに来たんか?」
「話さなくてもいいわよ、この子は男好きなんだから大丈夫よ。」

”男好き”という言葉に反応しそうになるが、こぶしを握って堪えた。確かに男が好きだ、でもそれは誰かのせいでもないし自分のせいでもない。ただ、自分が偶然そうなっただけなのだ。女性に興味を持てず、かといって女性になりたいわけでもない。
俺は異常じゃない。異常というなら、この母親も異常だ。俺がこうなったのは、この母親が愛情をもって育児しなかったせいかもしれないだろう。もし愛情いっぱいに育ったら、健全に女性と恋愛していたかもしれない。

母は、俺ができてすぐ父と離婚したらしい。理由はよく聞いていないが、父の女関係のせいだろうと思っている。母はプライドが高く、俺に理由を話そうとしなかったから多分そうだ。どうでもいい理由ならすぐに愚痴りながら話している。

それでもなんとか、高校までは行かせてくれた。服や勉強道具なんかは不自由な思いをしたが、高校生になってバイトも始めたからなんとかなっていた。卑屈に思う時期もあったが、バイト先の先輩に恋してからは人生が楽しかった。

”田舎に着きました。先輩、今日はバイトですか?がんばって……”

そう打ちかけて、すぐに消した。なんとなくメッセージのやり取りを見返して、どうでもいいような会話にふと笑う。
この人のことが、好きだった。けれど、もう戻れない。

「あと一時間はかかんで。疲れたやろ、今のうちに寝てや。」

祖父がまたぶっきらぼうな声で言う。
俺は全部置いていけるように、目をつむって、眠りについた。



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