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ネットがあると、答えを求めてしまう。

僕たちは、いつのまにか、すぐに答えを求めるようになったと思います。

分からないことがあれば、すぐにスマホを手に取り、Googleで検索します。グーグル先生に聞くみたいな言い方もするくらい一般化しています。

15年くらい前は、とりあえずネットで調べるみたいな習慣を持っていた人は少なかったと思います。僕は小学生でしたが、たまにパソコンを立ち上げインターネットを見る程度でした。パソコンを使うのが好きで、祖父の事務所でよく手探りで遊んでいたものです。

プログラミングとかができた訳ではないです。それでも、友達から「パソコン使えるんだ。すごい」みたいに言ってくれたのを今でも覚えています。

そう考えると時代は変わったなぁと思います。小学生のためのプログラミング教室も各地で開講されているし、タブレットやスマホを使いこなす小学生は山ほどいます。そして、これまでは辞書や図鑑や本などで調べていたのが、スマホで何でも調べれられるようになりました。

僕は塾で英語を教えているのですが、この前びっくりしたことがありました。ある生徒がスマホで単語を調べていると言っていたのです。僕はすかさず、「辞書を使いなさい」と彼に言いましたが、正直おどろきました。

僕が中学生くらいの時は、その感覚がなかったからです。紙の辞書を使っていたので、電子辞書で調べるかっこよさに惹かれていたぐらいですから。

これは、スマホの普及によって大きく変化したと思います。パソコンを立ち上げなくても、スマホで簡単に調べることができますし、サイトの数の数もどんどん増えているからです。

正しい答えがあると、考えなくなる。

目の前に正しい答えがあると、人は考えなくなると思います。

科学的に正しいと言われてしまうと、考えることをやめてしまいます。本当は科学的でも分からないことや個人的な問題も世の中にはあるのに、僕たちはついつい誰かの正しい答えを求めてさまよい歩いています。

正しい答えを知って行動するほど退屈なことはありません。もし手順通りに進めていけば人生が上手くいくみたいな指南書があれば、人生はつまらないものになると思います。

その本のおかげで、たくさんの富を得て何事も上手くいき、大成したとしても、人生の終わりに後悔するのではないでしょうか。予定調和な話なんてちっとも面白くないからです。

失敗してしまうくらい大きなチャレンジをして、精一杯がんばって、それでも失敗して、また挑戦する。この過程が楽しいのではないでしょうか。だから、誰かが考えた正しい答えにすがって生きるのではなく、自分が考えた仮説を人生のテーマにしてみる方が幸せな気がします。

そういう意味では、スマホで検索して、ネット上のありふれた答えを求めて生きていくのではなく、色んな人の考え方に触れて、影響を受けながら、自分の答えを自分なりに見つけていく方が健全な気がします。

2021.5.14

ネットって何でも載ってますよね。「〇〇〇 方法」みたいに調べれば、膨大な記事にアクセスすることができます。いわゆるブログと呼ばれるサイトに行き着きます。いっぽう、noteは少し違った使い方をされます。方法論というより、誰かの個人的な話がほとんどです。だから、興味をそそられて、色んな記事を読んで、けっこう時間が経ってしまうことがあります。ブログだったら、知りたい答えを見つけておしまいだけれど、noteはついつい色んな記事をザッピングしてしまいます。

まるで、紙辞書と電子辞書みたいです。僕は中学のとき紙辞書を使っていたのですが、高校に入り電子辞書を使い始めました。紙辞書の時って、調べたい単語以外にも気を取られて、ついつい読んでしまうことがあります。いっぽう、電子辞書で調べると、知りたい内容だけ読んで、すぐに閉じてしまいます。なんだか、noteとブログの関係みたいですね。

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雨宮 大和|エッセイ・短編小説
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