夢から覚めた感覚を言葉にしたい。
少しまえ、『正確な言葉ほど、現実味がない。』という記事を書いた。書いた内容を簡潔にまとめると、こうだ。
ニュース記事のような情報が詰まった文章は、正確に、迅速に、多くの人に情報を届けることができる。一方、小説は幾度となく文章が修正されて、時間をかけて1つの作品が作られる。だから、情報を得るのではなく、五感で文章を楽しむことができる。
今日の記事では、文章を五感で感じとることを踏まえて、自分がこれから書いていきたい文章について語っていく。
夢から覚めた感覚を言葉にしたい。
最近、自分が書いたnoteを読み返していると、新たな気づきがあった。自分が書きたい小説の方針が見えてきた。これまで色々と書いてきたけれど、まだそこには至っていないと思う。
僕が書きたいのは、夢から覚めたときの感覚だ。僕たちは、強烈な夢を見て目が覚めたとき、不思議な感覚に陥ることがあると思う。それは、夢だったと分かっているのに、手のひらには、まだその感触が残っているような不思議な感覚。そんな時に、夢で何があったのかを誰かに説明しようとしても、おそらく伝わらない。寝ぼけているのかと思われるのがオチだ。
僕は小説という形で文章を書くにあたって、そういう上手く説明できないけれど、五感でたしかに感じ取ることのできる感覚を言葉にしていきたい。最近、そう強く思うようになった。
だから、冷静に考えるとわけの分からない物語でも、最後まで文章を読み終えたときに、まだその感触に浸ってしまうような作品を書きたい。
何度もくりかえし読みたくなる話。
何度も読みたくなる小説がある。もちろん、文章が美しいと何度も味わいたくなる。しかし、それだけではないと思う。僕が何度も読みたくなるのは、内容がよく分からない物語だ。1回読んだだけでは何を書いているのかよく分からず、2回、3回と読まずにはいられない物語だ。
夢から覚めたあとも、これによく似ている。夢で起こったことの大半は、よく分からないからだ。しかし自分の中に、たしかな感覚だけが残っている。そして、その感覚も時間が経つにつれて薄れていく。夢と違って小説の場合は、何度も読み直せるので悪くはないだろう。
もちろん、そういった作品がすぐに書けるものではないだろう。理想の形に近づくのに、時間もかかると思う。これからチャレンジしていくので、今後もぜひ読んでほしい。
2021.11.10
雨宮 大和