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本は、ひとりで読むもの。

 本はひとりで読むものです。みんなで読むのは不可能です。だから、とても孤独な時間が流れることになります。

 実際、皆さんが「文学少年」や「文学少女」と言われてイメージするのは、眼鏡をかけたおとなしい子どもだと思います。

 僕は、小学生のとき体が弱く、すぐに体調をこわしていました。そのため、幾度となく入院を経験しました。入院すると、暇を持て余してしまいます。パソコンをしたり、DVDを観たりもできずに退屈していると、母が1冊の本を買ってきてくれました。

星新一のショートショートです。

 当時本が読めなかった僕は半信半疑でした。「どうせこの本もすぐに飽きてしまうだろう」と心の中で思っていました。しかし、その思い込みはすぐに払拭されました。

 気づいたら、1冊を読破していたのです。それまで、本を読むのはマラソンのような苦痛の伴う作業だと思っていた自分にとって、はじめての経験でした。

 入院生活は孤独でした。お見舞いに来てくれる人はいないし、楽しいこともなかったからです。だからこそ、読書に救われました。

 それから、退院してからも星新一のショートショートだけは読んでいました。本を読んでいる時だけ、無心になれることを知ったからです。

 読書は、はたから見たら孤独な作業です。でも、その読書が僕の孤独を忘れさせてくれたのです。

次に読むなら

午前2時48分。外は大雨が降っていて、僕は起きてしまった。特にやることもなかったが、机の前に向かった。豪雨の音が聞こえるなか、僕は無心に文章をキーボードに打っていく。ぜひ記事をご覧あれ!!

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雨宮 大和|エッセイ・短編小説
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