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超短編小説|レンタサイクル
ある晴れた日のこと。男は商店街を歩いていた。すると、自転車が並ぶ見慣れないお店を見つけた。
「こんなところに自転車屋さんあったかなぁ?」
男はつぶやくと、近くにいた店主に声をかけられた。
「やぁ、自転車借りていかないかい?」
「借りる?レンタルのお店ですか?」
「そうそう。でも、うちは他とは違うんだ」
店主は自慢そうにつぶやいた。
「何が違うんですか?」
「ちょっと特別な自転車もレンタルできるんだ。ほら、色んなのがあるだろ」
確かにそうだ。このレンタサイクルは、他の店と違って自転車の種類が豊富に揃っていた。他の店であれば、デザインが揃っているのがふつうだ。
男は興味が湧いてきた。前から憧れていたロードバイクに乗りたかったからだ。
「一番速く進む自転車はどれですか?」
「速くかぁ。それなら、これかなぁ」
すると、店主は奥から古びた自転車を持ってきた。それは、至るところがさびており、お世辞にも良い自転車とは言えない。
さらに、古びた自転車とは対照的に、真新しいメーターが装備されていた。
進んだ距離を表すのだろうか、それともスピードが表示されるのだろうか。いずれにしても、オンボロの自転車に真新しいメーターという異様さがかなり目立っていた。
「これがですか?」
「そうだよ。知るひとぞ知るってやつだな」
「ほんとうですか?」
「本当だよ。試しに乗ってみるかい?」
店主の自信満々の顔で言われると、男もだんだん信じてきた。店主の言うとおり試しに乗ってみることにした。
男はおそるおそる自転車に足をかけると、思ったよりスムーズに進んだ。さびた自転車にありがちなかん高い音も出ない。
「これにします」
「そうかい。それは良かった。ただ、ひとつだけ注意点がある」
「なんですか?」
「あまりスピードを出しすぎないことだ。この自転車はスピードが出る分、出し過ぎてしまう」
「大丈夫です。乗り方はちゃんと心得ていますから」
男はそう言うと、レンタル料を払い店をあとにした。
自転車は思ったより速く進んだ。漕げば漕ぐほど速く進む。男はあっという間に商店街を出た。
すると、そこにはレトロな雰囲気を醸し出した街並みが広がっていた。
「まだ、あったんだ。なつかしい」
それは、少年時代に毎日のように通っていた駄菓子屋だった。
男は童心にかえったようにわくわくしながら、店に入った。
「こんにちは」
中には誰もいない。少し待っていると、老婆が店の奥から出てきた。
「いらっしゃい」
「お久しぶりです。覚えてますか?」
「ごめんよ。さいきん物忘れが多くて」
老婆は自分のことをすっかり忘れていた。それも無理はない。
かれこれ何十年も前の話だ。
しかし、ひとつだけ不可解なことがあった。老婆の見た目が全く変わっていないということだ。
少年時代の頃に見た姿と全くまるっきり同じだった。それだけではない。店の外観も、内装も、貼ってあるポスターも当時のままだった。
男は、少し話をしてから店をあとにした。
ふたたび自転車にまたがろうとすると、メーターが動いていた。メーターには、30という数字が刻まれていた。
「30分だろうか?」
確かにそれならつじつまが合う。男があの店から出てから、そのくらい経っていたからだ。
男は気持ちよく自転車をとばしていると、見慣れない土地にたどり着いていた。
「ここはどこだろう?」
見渡すと、あたりは見慣れない家屋が並んでいた。また、田んぼが広がっており、かわら屋根の木造住宅が点在していた。かなり田舎まで来てしまったみたいだ。
男は、ふとメーターに目をやると、おかしな表示がされていた。どういうわけか、76という表示がされている。
「76分も漕いでないよなぁ」
しかし、男はそれどころではなかった。男がたどり着いた町の状況がまったく平穏なものではなかったのだ。
あたりは火柱が立ちのぼり、火の海と化していた。人々は必死の形相で何かから逃げている。
「火事だろうか」
男もすぐさま状況を察し、必死に自転車を漕ぎ進める。
すると、景色は一変した。
見渡すと、みな着物を身にまとっており、ちょんまげをつけている者もいた。
「時代劇の撮影かなぁ」
すると、人々はみな不思議そうな顔をしてこちらを凝視している。よく見ると、カメラマンもいないし、撮影設備もない。
男は、近くにいた少年に尋ねた。
「ここはどこですか?」
「江戸だよ」
少年は真顔でそう答えた。どうやら、異世界に来てしまったみたいだ。
オンボロの自転車に、不可解なメーター。奇妙な駄菓子屋に、何かから逃げる人々。そして、東京を江戸とよぶ少年。
あのレンタサイクルに行ってからというもの、男に起きたすべての出来事がおかしかった。
男はふと自転車のメーターに目をやると、また表示が変わっていた。
そのとき、メーターは160を示していた。
ショートストーリー
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