見出し画像

学級新聞は、noteの原点だった。

 僕は小学生のころ、新聞部の活動をしていた。新聞部といっても、友達のK君と二人で勝手に始めた活動で、毎週学級新聞を作っては、教室の壁の片隅に掲示していた。

 どっちが言い出しっぺなのか、なんで学級新聞を作ろうと思ったのか。今ではまったく思い出せない。けれど、休みに時間にコンピューター室に行って、ふたりでせっせと新聞を作っていた時間のことは鮮明に覚えている。

 パソコンを起動すると、まず僕たちはその日のニュースを調べる。画面に映ったそれは、たいていの場合は芸能ニュースか政治のニュースなので、僕たちが興味を惹きそうなテーマを目を凝らして隈なく探す。

 「動物園でシマウマの赤ちゃんが生まれました」みたいな字面を見つけると、タイトルをクリックしてページを開く。慣れた手つきでキーボードの「Ctrl+P」を押して、速やかに印刷をする。

 その後は、K君と相談をして学級新聞に載せる記事を決める。印刷した資料を見ながら、大人たちが書いた言葉を僕たちが理解できる言葉に変えていく。

 一流の翻訳者になった気分で「ああでもない、こうでもない」と言いながら、作業を進めていく。ときどきコンピュータ室の先生に言葉の意味を訊いたりもするが、基本的には僕らだけで行う。

 文字のタイピングの作業を終えると、レイアウトやデザインを調整して、教室の掲示板に貼る。クラスメイトも毎週楽しみにしてくれていて、僕たちのやる気も高まっていく。


 ある日、いつものようにニュースを調べていると、僕はすごい技を発見した。コピー&ペーストである。たまたま押した右クリックの後にそれが出現したのである。

 K君にもそれを伝えると、「そんなわけない」と疑いの表情を見せた。僕は目の前で実演すると、彼は目を見開いて驚きの表情を見せて、「ほんまや」と言った。まさにお笑い怪獣の往年のギャグである。

 ネットリテラシーのなかった僕たちは、コピー&ペーストを繰り返した。この方法だと多くの情報をクラスのみんなに伝えられるし、タイピングミスもないし、なにしろその日のうちに完成させることができた。

 この方法は、ニュースにおいて必要不可欠な「正確さ」と「迅速さ」を兼ね備えていた。


 僕たちは完成した学級新聞を持ってコンピュータ室を出て、スキップをしながら教室へと着いた。教室の掲示板にそれを貼ると、クラスメイトのみんなが集まってきた。

「今回、いつもよりすごいね」
「えー、大人が読む新聞みたい」

 ネットニュースをそのまま拾ってきてレイアウトだけを調整したそれは、大人が読む新聞そのものだった。みんなが口々に言っている「すごい」という言葉を聞いて、誇らしげにしているK君の隣で、僕はなんとも言えない気持ちに苛まれた。

 それは、テストでカンニングをした点数を褒められているような、何だか居心地の悪い気持ちだった。

 近くで見ていた友達のI君は、全ての事情を察したかのように、K君にこう言った。

「ズルをするなよ」

 それから、K君も「じゃあ、お前も作ってみろよ」と言って、喧嘩になった。僕は仲裁に入る。口論の末、僕たちの敗北だった。

 僕たちはネットリテラシーを学んだ。他人が作った言葉を勝手に利用するのは良くないことだと知った。


 その後、学級新聞がどうなったのかを僕は覚えていない。

 廃刊になったのか、それとも元のやり方で復活したのか。真相は分からないけれど、いずれにせよ、新聞部での活動は今書いているnoteの原点になっていると思う。

 雨宮 大和あまみや やまとです。今日は小学校のときに体験した「学級新聞」の話を書きました。最近、noteに文章を書こうと思って、子どもの頃を振り返ってみると、本当に面白いことをしていたのだと思い出しました。まさに、「学級新聞」は、今書いているnoteの原点です。人っていつまで経っても、変わりませんね。
 あと、初めて読んでくれた人はぜひ気軽にフォローとスキを押してみてください。それでは、また明日!!

次に読むなら

僕が手品に目覚めたのは、小学校4年の秋だった。教育実習生の送別会でクラスメイトのK君の手品を見たことがきっかけだった。

いいなと思ったら応援しよう!

雨宮 大和|エッセイ・短編小説
サポートして頂いたお金で、好きなコーヒー豆を買います。応援があれば、日々の創作のやる気が出ます。