わたしの本棚|ボトルメールのようなエッセイ。
エッセイの正解ってないと思う。
まさに、人の人生と同じで、十人十色だと思う。価値観だって、書き方だってみんな人それぞれ違う。だからこそ、エッセイは面白い。
エッセイを読んでいるあいだ、本当は遠い存在である作家さんが、実はそばで僕に話しかけているんじゃないかと錯覚ほど親近感を感じる。まるで親戚の話を聞いているみたいだ。これは、エッセイの醍醐味のひとつだと思う。
最近、江國香織さんのエッセイ『とるにたらないものもの』を読んで、そのことに気付かされた。
このエッセイには、江國香織さんの取るに足らないけれど、大好きなもの、気になるものが書かれてある。日常にひそむ何気ないことでも、プロの作家の手にかかれば、鮮やかで魅力的なエピソードになるのだと思った。
例えば、「鉛筆とシャープペンシル」というエピソードでは、鉛筆を次のように描写している。
腹を抱えて笑うみたいなけっして面白いエッセイではないけれど、江國さんが紡ぎ出す文章を味わって、琴線に触れたり、どこか懐かしさを感じることは間違いないと思う。
また、「下敷き」についてのエピソードでは、こんなことが書かれてあった。
たしかにそうだ。僕は下敷きをずっと使っていない。小学生の頃はいつも使っていたが、成長するにつれてあまり見なくなった。
僕が紙のノートに文字を書くのが苦手なのも、下敷きを使わなくなって字が雑になっているからかもしれない。久々に文房具屋で下敷きを買ってみようかな。
こういう自分の内側にある気付きを得られるのもエッセイの醍醐味である。
江國さんのエッセイは、海岸に流れ着いたボトルメールみたいだと思う。僕はそれを拾い上げ、ビンの蓋を開けて、中に入っているメッセージを開く。そっと丁寧に読んでいく。
僕は、そんな気持ちで一つひとつのエピソードを堪能した。