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貸した本はあげたと思え。
10年以上も前、僕が小学生のころ、「トリビアの泉」というテレビ番組が流行っていた。トリビアというは、「雑学」という意味で、番組では視聴者から些細な雑学を募って、出演者たちが品評していく。そんな番組だった。
僕はその番組が好きで、家族みんなでよく見ていた。雑学には「へぇ」と呼ばれるポイントが付与されて、出演者たちは「へぇボタン」を押して品評していく。一人20へぇまで持っているから、5人の出演者全員が20へぇを出せば、最高で100へぇになる。
雑学は誰でも応募できた。100へぇが出ると、賞金10万円と粗品がもらえた。10万円は小学生の僕にとっては大金である。(今も変わらないけれど…)
だから、面白い雑学を自分で調べたり、友達と一緒に考えたり、色んな人に聞き回ったりもした。たしか1回応募したけれど、選ばれることはもちろんなかった。今では何を書いたかも、すっかり忘れてしまった。
家には自前の「へぇボタン」があった。それは家族で東京を旅行をした際にお台場で買った「へぇボタン」だった。初めは嬉しくて何度も押した。
へぇ、へぇ、へぇ。
「へぇボタン」の音が部屋中に鳴り響く。それだけだった。雑学のない「へぇボタン」は、ただの「へぇボタン」にすぎなかった。
テレビで紹介された「トリビア」は後日、本としても出版された。僕は発売されるという情報を耳にすると、すぐに親におねだりした。
本は赤や青や黄色の表紙だったので、僕の部屋の本棚にはカラフルな表紙の「トリビアの本」が肩を並べていた。
何冊か読み終えたころ、友達に自慢した。うらやましく思った友達は「貸して、貸して」と頼みこんできた。断り方を知らなかった僕は、一人ぐらいなら大丈夫だろうと鷹をくくり、彼にその本を貸した。
これが悲劇の始まりとは知らずに…。
翌週。友達は、読み終わった本を僕に返してくれた。すると、彼は教室の真ん中で、トリビアの素晴らしさを力説し始める。
「ありがとう。めっちゃ面白かった。特にあのトリビアがこれこれで… 」
それを聞いていた何人かのクラスメイトが「僕にも貸してほしい」「わたしにも貸してほしい」と集まってきた。断り方を知らなかった僕は、また本を貸してしまった。
冊数には限りがあるから、順番に貸すことにした。「赤色の本を○○くん、青色の本を□□くん、黄色の本を××さん」みたいに、自由帳に記録していく。貸した日付も記入した。
翌週。彼らは本を返しに、僕の元へやってきた。僕は胸を撫で下ろし、自由帳に返却日を記入した。自由帳から顔を上げると、新たなレンタル希望客が僕の机を囲っていた。
「次は、僕に貸して」
「わたしに貸して」
「いや、オレが先だ」
人数が多すぎる。僕はあまりにも希望者が多いので少し考え込んでいると、ある秘策を思いついた。
お取り置きだ。
それはおもちゃを買ってもらうときに、祖母がよく使っていた言葉だった。本来は商品を購入するときに店員さんに言う言葉だけれど、これは使えるかもしれない。
本を次に誰に貸すかを決めておけば、揉めごとになることはない。きっとそうだ。
僕は自由帳に希望者の名前を記し、順番に貸すことに決めた。よし、これで本のレンタルの仕組みは整った。このとき僕は安心していたが、悲劇はもう始まろうとしていた。
小学生がまともにルールを守れるはずがなかったのだ。僕が気づいたときには、彼らは勝手に又貸しを始めていた。本を読んでいる途中で、他の友達に「貸してほしい」と頼まれたそうだ。
自由帳に名前のある○○くんに聞くと、××くんに貸したと言うし、××くんに聞くと△△さんに貸したと言う。△△さんは□□くんに貸したと言った。僕は役所みたいにたらい回しにされていった。
けっきょく何冊かは返ってきたが、何冊かは返ってこなかった。返ってきたとしても、クシャクシャでボロボロになった本もあった。
みんなに貸したから、紛失した本や損傷した本の責任を誰かに問うことはできなかった。
✳︎✳︎✳︎
「貸したお金はあげたと思え」という言葉がある。お金を貸してもすぐに返ってくる訳ではないし、返ってこない場合もあるから、戻ってこない前提で貸しなさいという意味だ。
そんなことを考えていると、ふと小学生のときに体験した本のレンタル屋さんを思い出した。
貸した本はあげたと思え
僕の消えた本たちは、どこかへ旅立って行った。もしかしたら、今も誰かの本棚に眠っているのかもしれない。きっとそうだ。
次に読むなら
僕のまわりには、本を読んでいる人がほとんどいない。彼らはAmazon PrimeやNetflixに夢中で、文章を読もうともしない。新聞も年々、購読者数を減らしている。活字離れがどんどん進んでいるように感じる。しかし、僕たちは生きるために、”物語”が必要だと思う。ぜひ、この記事を読んでみてください。
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