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ミスしてもいい環境は、ミスがない。

 塾で英語を教えていると、ついついこんなことを言ってしまう。

「ミスが目立つから、気をつけて」

 自分で言っておきながら、いつも言葉が馴染んでいない気がする。まるで他人の靴を履いているみたいだ。本当は、少しぐらいミスしてもいいしと思っている。いつも正しいなんて、そんなの人間らしくないと思っている。

 けれど、生徒たちを前にすると、決してそんなことは言えない。良い高校に行くためには、内申点や入試の点数が重要な指標になるからだ。それに、大学入試みたいに方式が色々とあるわけではないから、高校入試における1点の重みは大きいと思う。

 だから生徒たちにはミスをなくすように指導しているし、世間ではそれが正しいとされている。といっても、相手はロボットではないから、こちらがプログラミングをすれば何とかなるものではない。そう単純な話ではないのだ。

 そういえば、僕自身もミスをすることがある。英単語のつづりを書き間違えたり、三単現のsをつけ忘れていたり……。でも書いていて、途中で気づく。違和感があるから気づく。「ごめん」と言って、書き直す。

 それなら、ミスをしない完全無欠な人類を目指すのではなく、ミスをした時にちゃんと気づいて、修正できる人になればいいだけではないか。そう思えてくる。

 僕はこの文章を書いていて、そんな大切なことに気づかされた。僕たちは「絶対にミスをしてはいけない」というプレッシャーを感じていると、体は緊張するものだし、ミスも起こりやすくなると思う。


 僕は以前、スタバ店員をしていた。店員になったばかりの頃、テキパキとドリンクを作ったり、常に笑顔でお客さんと接しているパートナー(スタバ店員のこと)が何人もいた。

 自分がレジで手こずっていると、ふいに僕の背後に現れて、サポートに入ってくれた。あの人はさっきまでドリンクを作っていたはずなのに、どうしてここにいるんだろう。本当に不思議だった。視力がマサイ族並みにあるか、極度の地獄耳であるかのどちらかだと思ったほどだ。

 颯爽とフロアを歩きまわる彼らの姿は、新人店員の僕を魅了した。しかし、彼らが完全無欠な人類かと言われれば、決してそうではなかった。彼らもミスはする。なにより、ミスをしても許される環境にあった。

 ミスがあればその人だけのせいにせず、みんなで共有、改善する空気があった。それから、ミスをしないように意識するのではなくて、ミスをしてしまった後に良い対応ができるかの方が大切だ、と店長も言っていた。
 
 ミスをしないようにとか、クレームが来ないように、ということばかり考えいると、ミスもするしクレームも来る。緊張感のある現場は、みんなにとって居心地が悪いのだ。


 ミスが起こりにくい環境を考えたり、ミスが起こった時の対処ができることが大切だと思う。人間の気合いでどうにかなる問題ではないのだ。

 これは学校の勉強だけに言える話ではななく、生きる上での必要不可欠なことだと思う。生徒たちにも伝えていこうと思う。

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外でマスクをしているからなのか、季節を感じにくくなりました。前までは、「春が来たなぁ」と感じていたのに……。おそらくそれは、僕たちが香りを感じなくなったせいだと思います。この記事では、春の香りを感じなくなった話を書きました。ぜひ、時間があるときに読んでみてください。

今回は、最近僕が感じたことを言葉にしました。この記事が良かったと思ってくれた人は、スキ を押してくれると嬉しいです。毎日18時半に投稿しているので、初めて読んでくれた人は気軽にフォローしてみてください。

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雨宮 大和|エッセイ・短編小説
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