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とにかく机の前に向かうしかない。

 午前2時48分。7時に目を覚ます予定がこんなにも早く起きてしまった。外は大雨だった。外から聞こえる豪雨の音で目が覚めたのだ。

 僕はとりあえずパソコンの前に座り、noteを開いてみる。通知を確認してみる。それから新規の投稿ページを開き、今この文章を書いている。気づいたら、雨は止んでいた。とつぜん部屋は静寂に包まれる。二度寝しようかと思ったが、せっかく文章を書き始めたので、このまま書き終えたいと思う。

 そういえば、昨日の夜、興味深い記述に出会った。それは、最近よく読み返している『みみずくは黄昏に飛びたつ』という村上春樹さんと川上未映子さんの対談本を読んでいた時でのことだ。

 以下の文章は、川上未映子さんが「物語の構成」について尋ねた際の春樹さんの返答の一部である。

画家がキャンバスに描くのと同じです。キャンバスには端っこがありますよね。みんなその内側で絵を描いていくわけです。縁の外に絵を描くことはできない。でも、そのことを画家はとくに不自由だと思わない。どこまでも広大なキャンバスがなければ自由じゃない、などとは思わない。あるサイズのキャンバスを頭の中で設定すれば、その中で世界ができていきます。それと同じことであって、小説でもこのへんが端っこだ、というのは大体見えているんです。

『みみずくは黄昏に飛びたつ』p294より引用

 画家が必ずキャンバスの中に絵を描くという視点が面白かった。ごく当たり前のことなのだけれど、どんなに常識に囚われていない芸術家でも、表現したい作品の枠が決まっていないと、良質な作品を生み出すことができないのだと思う。

 小説も同じで、むやみやたらに枠を広くしても良いというわけではない。物語には適切な分量というものがあって、どうやらそれは書いていく内に見えてくるみたいだ。

 自分の場合は、5000〜6000字くらいの分量の小説をnoteで定期的に投稿したいと思っているので、それに見合う作品を書いていく必要がある。今のところ、3000字くらいが限界なので、構成を大幅に変えていかなくてはならない。

机の前に向かうしかない

 どうすればいいんだろう。全く見えない。分からない。しかし、ただ一つだけ分かることがあるとすれば、とりあえず机の前に向かって、noteの編集画面を開くしかないということ。それだけだ。時間をかけて少しずつ、書くことに慣れていくしかないのだと思う。

 ところで、さっき、改めて昔書いたnoteを読んでみた。これが想像以上に酷い。以下の文章は、初投稿記事『エイプリルフールってウソついていいの?』の一部である。

では、やっと本題に入ります。タイトルにもある、「エイプリルフールってウソついてもいいの?」についてです。結論から言います。ダメです!!もちろん僕が、エイプリルフールを楽しむな!と言っているのではありません。イタズラをするな!と言っているのではありません。伝えたいメッセージは何かというと、「ウソとジョークは違うよ」ということです。

『エイプリルフールってウソついていいの?』より引用

 まず、文章が読みにくい。今とはスタイルが違う。太字部分があるせいで、余計に読みにくい。これを改めて読むと、この1年半くらいで少しは成長できたのだと実感する。 

 さらに、この記事の前半部分では、エイプリルフールにまつわる英語表現の紹介までしている。本題からかけ離れすぎだ。今思えば、最初はとにかく字数を稼ぐので精一杯だったのだと思う。強引に結論にもっていくしかなかったのだと思う。まぁ、それでも、これが10時間以上もかかっているのだから驚きだ。

 文章が上達するためには、時間をかけるしかないと思う。とりあえず机の前に向かって、noteの編集画面を開くしかないのだと思う。試行錯誤していれば、あとは時間が解決してくれるのではないだろうか。

2021.11.11

雨宮 大和

次に読むなら

ある日、音楽を聴いていると、聴き馴染みのある曲が流れてきました。それは、遠い昔に何度も聴いたことのあるBGMでした。気になった方は、ぜひ記事をご覧になってみてください。

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雨宮 大和|エッセイ・短編小説
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