無理解、不理解、理解されようとすらしない。《逆噴射小説大賞2022ライナーノーツ》
よく来たな。割と冗談抜きで。
ほぼ一年ぶりの雨宮です。久々にMexicoを吸いに来た。去年は転職今年はコロナ(幸い濃厚接触で済みました)、私事でいまいち腰が入らない中での参戦でしたが、ともかく今年も一発めり込ませて来ました。いい気分だ……。
今回の投稿分はこちら。これのライナーノーツをやります。
今年で3週目、パルプ小説というやつは相変わらず霞の如き様相で、何が何やらさっぱりとはいえ。
細かいことは抜きにして、最高にワクワクドキドキドライブさせてくれるテキストがパルプの名に相応しい、くらいのことは理解し始めた。
……そして、そこですーっと頭が冷える。
「あれ? もしかして私が書きたかったものはパルプではない……?」
解説
閑話休題。嫌な雰囲気を無視して、作品解説から行こう。
今回はひたすら、書きたかったものに書きたい文章を合わせることにした。そうすればパルプらしい高揚感、つまり銃と死体がなくても私が求めてやまないドライブが手に入るだろうと期待した。
書きたかったものは治安最悪倫理マイナス、メキシコシティやらヨハネスブルク、リオデジャネイロもびっくりのクソ溜めの街で、荒み切ったセックスビズ。ショーの前に盛るキャスト同士のウォーミングアップ。
ドラッグとタバコとアルコール、それにセックスで生きてるようなキャストの女の子がふたり。片方は名の売れたベテラン、片方はまだまだ新米だ。ショーのペアを組むのは初めてで、しっくりとは来ていない。
そして当然、キャストは最高にクールな美女でなければならない。だってクソ碌でもないセックスビズの話だからだ。まず股間のマグナムが勃たないと話にならない。……いいじゃないか、どう見たってご禁制だし、構想のまま連載しだしたらnoteの運営さんは確実にキレるだろうが、ヘロインよりキマりそうな中身だ。
そこに書きたい文章を合わせる。ふわっと柔らかい書き方では食い合わせが悪すぎる。やたら煽情的なものでも、下品なだけなのでいけない。何しろこれからいくらでも下品なことをヤるのだから、変にイロをつけることもなし。
むしろ剥き出しの鋼のような、徹底して硬質でドライな文章でなければならない。まさしくそれで書こうと思っていた。
以前の大賞に参加させて頂いた「ブロークンアロー」を思い出す。いきなり凄惨な死体が転がる話だが、有難いことに変に湿っぽくないというお言葉を頂いた。これだ。これを研ぎ澄まそう。
クソみたいな世界から浮世離れするほど最高にクールな女に、ジメジメした感傷も逡巡も必要ない。こいつらはマジにドラッグよりヤバくて、どうしようもないくらい素敵な女だ、文章からそう思ってもらえれば意図通り。
技量の未熟は多々あるとしても、そう、いい感じに書いたのだ。手前味噌な話だが、そこは満足している……書き手とはそういうものだろう。書きたいものを書いたのだから。
世界に何も求めていない。
しかし、落ち着いて読み返してみると。
正直、かなり意識していたはずのドライブが効いてない。ただ幕が開いて、とてもじゃないが楽しいとは言えなさそうな話の続きがあるだけだ。
これから始まる話が退屈ではない自負は、語り手としてもちろんあるのだが、どのパルプスリンガーの文章からも垣間見える、あの血湧き肉踊る、Mexicoな匂いが全くしないのだ……何故?
とにかく何かが欠け落ちてるはずだ。ちょっと振り返る。
凄まじく綺麗だけども人間味を感じさえできない、人形より人形めいた瑠花と依莉。
不理解と無理解の中で、二人は誰に対しても心を開かず、理解されようとすらしない。辛うじて依莉の瑠花に対する疑問のみが、二人を繋ぐ関係性にすぎない。
二人とも抱いてみて、その体温を感じられない。娼婦を買うという行動に伴う、側に誰かの存在を求める人間くさい湿っぽさを極力廃したせいかもしれないが、あまりに冷たい。
まだ金属とプラスチックでできたアンドロイドの方が、排熱の温もりと機械の心拍を感じられるかもしれない。ああいう機械は意外と振動もあるし、動力源があれば排熱だってバカにならないのだ。たぶん、加えて人間味だって感じられるだろう。
もちろん、アンドロイドの設計者は親しみを感じられるよう設計に努力を重ねているだろうし、そうでなくても人間とは面白いもので、物理的には変化しないはずの人形から日々異なる表情を見出すのだ。ドールおじさんが言うからには間違っていない。
……事実だが本質ではない気がする。私はある程度、文章のドライさを求めるために、意図して書いたはずだからだ。これだけなら、自分の文章が意図通りに機能しているだけだ。やり過ぎてる気もするが。
瑠花は何を求めている? 依莉はどうしたいと望んでいる?
パルプをエンターテイメントたらしめる源泉、それは「願い」ではないのか?
登場人物が、ないし読み手が得たいと望む何かの目標/価値/意味/未来/真実……有形無形関係なく、何でもいいが何かの願いが、聖杯のようにあるはずだ。
拙作でも例えば「ブロークンアロー」は、カレアに姉妹を殺した外界への興味、ないし復讐があった。他のパルプスリンガーの作品も、登場人物は何かを探し求め、読み手はハラハラしながら祈り、読み進めるはずだ。
そうではない作品も、もしかすればあるかもしれないが、一読者として読み進めた限りではどの作品にも強く、何かへの渇望を感じる。
ここ、「ソドムの城郭、或いは微睡む人形」に、願いはあっただろうか?
カレアと違って、二人は何も望んでいない。何も求めてなどいないし、期待もしていない。依莉が見たいと望む夢は、明確なビジョンなどでは有りはしない。ただ未来のないクソな現実をやり過ごすための、文字通りの阿片に過ぎない。
……何となく見えてきた。この作品は登場人物が世界へ持つ期待値が、あまりに低すぎた。願いなど有りはしない。死人の心電図並みにゼロだ。ぴくりともしやしない。
死人はドライブしない。突き動かすべきハートが無くなってしまっているからだ。いや、ハートさえあれば死人だってスリラーみたいに躍動できるだろう。そんな作品もけっこう見かけた。
依莉には、瑠花には、そんなハートが全くない。ただ本当の死人になることだけを祈っている……祈っているとも言えない気がする。本当に死にたがっていれば、それはそれで願いに、ドライブの原動力になるはずだから。
そして、何よりの問題は、私が意図して「そう書いた」ことだ。ひたすら書きたいように書いた結果、おそらく、初めからこの作品はパルプたり得なかったのだ。
悲しいことに今の私は人形より人間みのない瑠花の有り様が、夢に出る理想になるくらい好きだし、ドラッグでしか望む夢を見られない依莉の虚無感にひどく共感する。そうでなければ書かなかった。
瑠花を一種の理想像として書き出した私自身が、文章の上だけでも何かを叶えられるという、世界に対する期待を失い過ぎているような気がする。疲れ過ぎてるのだろうか。私は貝になりたい、なんて戦争ドラマがあったが、戦争に行ったわけでもないのに幻滅が過ぎる。もはや私は、貝にだってなりたがってはいない。
総括
文章として失敗とは思わないが、逆噴射小説大賞の要旨からすれば、「ソドムの城郭、或いは微睡む人形」は明確にカテゴリエラーであったと思う。
前回の「祝祭と冬の終焉り」だって怪しい気もしたのだが、それは逆噴射小説大賞ではほとんど見かけない歴史モノが浮いていたせいで、少なくとも設定上は、まだフランツィスカは動機を持っていた。
今回は流石に、エンターテイメントと言えた代物ではない。少なくとも作者が読者として読み返し、解釈し直した限りでは。
原因は性根の曲がった書き手なので、次回以降に参加する機会があれば、その辺のスタンスを改めなくてはならないだろう。相変わらず百合はやるけれど。
今、「ソドムの城郭、或いは微睡む人形」を楽しんで欲しいと、嘘でも言える気分ではない。私はこの作品が好きだが、楽しめる作品になったと思えないからだ。
これまでに、これから読者になってくださるだろう方々に、うまく解釈してやって欲しい……それだけを願って眠る。眠ることができれば。おやすみなさい。