まんなかが、いい
自分の性別って、結局何だろうな、という話。
性別はグラデーションだ、と言われることが多くなった。多くなったと言っても、まだまだ一般的ではないけれど。それでも、探せば聞こえるようにはなっている。
そりゃ身体の性別は、一般的には決まってる。中には性別が本当にどちらでもない、あるいはどちらでもある人がいることは、忘れちゃいけないけれど。XXの染色体がとか。高校の生物基礎レベルの話だから、ここでは割愛する。僕がしたいのは身体の性別の話じゃない。
僕の身体の性を言いたくない。年齢も。それは創作するアカウントを作ろう、と決めたときから考えていたことだった。だって、それで創作自体を判断されたら嫌だから。「女性だから」「男性だから」「若いから」「もういい年だから」そんな声が世の中に存在することくらい、分かっていた。
だって言われたことがある。それが称賛の文脈の中で言われたことも、その逆も。女性なのに凄いね。やっぱり男性だからね。若さがあって。そんな言葉が、気持ち悪いと思った。
僕に付きまとう属性がこれだから凄いんじゃない。僕は僕だから、僕を見て。そんな子供みたいなことを、よく思っている。だから一人称は僕を使うし、創作を投稿するTwitterアカウントでは、滅多に中身の話をしない。もちろん他にも理由はあるのだけれど。
僕は僕でありたい。僕を好きになれないまでも、嫌いではいたくない。そのために、僕は自分の性別を捨てたかった。
身体の性別は今度とやかく語るとして。書いたらここ編集してURL貼るので読んでほしい。下書きは存在している。
心の性別って何だろう。という考察をしたい。
だって僕、どっちでもない。男でも、女でもない。
ここで性自認、という言葉を僕は使わない。というか使えない。身体の性を認めていないわけではないから。まあ、仕方ないよなあ、くらいの諦めはある。手術したいなと思う日もあれど、まあ、大方諦めた。
性自認は多分、身体の性別と一致はしているんだと思う。
でも僕、出来れば真ん中がいいんだよな。もしくは空っぽ。どっちでもないか、無いがいい。
服を見るとする。惹かれるのは大抵身体の性別と反対のもので、でもサイズが合わない。自分と同じ性別の服を見て、「これを着てる人に会いたいな」と思う。着たいとは滅多に思わない。
髪を切るとする。身体の性別にはあんまり見えない方が嬉しいです。最初にそう宣言する。髪型を探すときも、検索にはジェンダーレスと入れる。性別に合った髪型も、「素敵だな」と思えど、なりたいとは思わない。
でも、でもさ。それって、逃げてるだけじゃないの。
昔は違った。普通に自分の性別に沿った夢を見ていたし、素直な子供だった。花屋さんとか、ヒーローとか。お嫁さんになるとか、お爺ちゃんになるとか。世界の主人公は自分だと思っていた。
いつだったか、自分に極端に自信がなくなった。自分と同じ性別の人たちが、キラキラして見えた。同じ性別を名乗ってはいけないと思った。思い始めたそのとき、ちょうど、体が第二次成長期を迎えた。
もしかしたら、この性別で生きていくことが不利だって知ったときなのかもしれない。この性別でいたくなくて、違うものになりたくて、自分の性別を否定したのかもしれない。
もしかしたら、世界の主人公になりたかっただけなのかもしれない。周りと違う自分になりたかっただけなのかもしれない。体と心の性別が一致していないことが、羨ましかったのかもしれない。
進みたい道に、自分と同じ性別の人が多いことを知ったときなのかもしれない。そうじゃなかったら、倍率低いじゃんかって思った。
自分磨きとか、出来ないし。性的被害とか、あいたくないし。就職とか、ちょっと不利だし。普通なの、いやだし。
多分、そんな理由。そんな、弱いだけの理由なのかも、しれない。
分からないのだ。何も。確信が持てない。性別じゃなくて、自分が気持ち悪いだけなんじゃないか。とか言われたら、否定できない。
それでも、まんなかがいいな、って。だから今のところ僕はそう言っている。どっちと名乗ることはしないし、どっちにも見えたらいいなと思って振る舞う。それで今は、妥協している。納得は多分出来ていない。
ここから先は、中身の身体の性別が出る。嫌だったらここで戻ってほしい。
性別欄って、結構書類であるじゃないですか。あるんですよ。最近自由記入になってるものも増えたけど。最近見た履歴書にはあったし、その前の何か重要書類にもあった気がする。あれ、毎度「嫌だなあ」と思いながら、身体の性別に丸をしている。あのときの違和感や嫌悪感は本物だと思う。
前に、記入は任意ですって書いてあったから、無記入で出したことがあって。その書類を提出するときに、偉い人と記入ミスとかを確認したわけで。「ちょ、お姉さん、ここ書いてないよ~」って言われたことがあって。
まあね。そのときスカート履ける日だったし。薄いけどメイクしてたし。名前も女性っぽいっすよね。覚えてないけど髪型ももしかしたら女性だったのかもしれない。これで女性じゃないって言う方が無茶っすよね分かる。
僕にとって、その日はその格好の方が武装になっただけ。たまたまその日は、女性の格好ができただけ。僕は女性じゃないよ。って、思いながら、「あーすみません」って言って丸をした。吐きそうだった。
僕だって、女性で良かったな、って思ったことはある。
恋人がいたとき。いやあの人を恋人って言っていいかは分からないし、多分言ってはいけないんだろうけど、便宜上そう言わせてほしい。詳しくは前に語ったから省く。
男性を好きになった。あの人の恋愛対象が女性に限定されてるわけではなかったけれど、一緒に生きていきやすいことは事実だった。それに、結構救われていたわけで。
あの人と一緒に生きていけるのなら、女性で良かったな、って。既成事実作れるやんけとか思った。我ながら最低だなとは思ったし、そんな事実は作らなかったけど。罪悪感で縛るのは本意じゃなかったし、多分そんなことしたら、双方潰れてたし。
女性でいたくないって思考が加速した一因に、恋人さんが関わっていないとは言えない。全部あの人のせいだ、とも言えないけれど。
一度でも普通に戻れた、って思えてしまった。普通に女性として幸せになれるって、もっと言えば、僕として幸せになれるんじゃないかって。
自分の性別について、ほとんど喋った相手だった。多分最初にカミングアウトした相手だと思う。あの人から魅力的に見えるなら、隣にいてしっくりくる姿になれるなら、女性の格好をしてもいいかなって思っていた。まあそんなの気付く人じゃなかったけど。
それでも、あの人に「彼女」と呼ばれたときは、しんどかった。悶々としてたときだったことを加味しても、多分その呼ばれ方は嫌だった。というか、多分傷付いたんだと思う。
貴方にとって、僕「彼女」だったんすか。「恋人」じゃなくて。
まあ何やかんやあってあの人と特別な関係はなくなって、そこから見事にスカートが履けなくなった。ついでに暖色も着られないままだ。
多分そこには、明るい色や、スカートってものに、劣等感を抱いていることも関係している。もっと言えば、先述した通り、女性ってキラキラしてる生き物だと思っているから。
というか、自分磨きみたいなことが、出来なくなった。だから、女性って名乗れなくなった。
鏡で見る自分の、髪が長いこと、体に凹凸があること、そういうのが、見ないふりが出来ないほど気持ち悪かった。
一応弁明しておくけれど、キラキラしてない女性を否定したいわけではない。全然。一切。劣等感からキラキラして見えているだけ。というか生きてるだけで充分素敵だ。
僕が、そうあれなかっただけ。
今のところ結論は出ていなくて。それでも、女性じゃないよ、って心が悲鳴を上げているから。だから、僕はどちらも名乗らない。空っぽって言う。
そんな僕の、曖昧な話。