努力とかそういうの
多分これは、賛否両論あるやつ。そして僕は、誰の意見も否定する気はない。ただ、一個人の、考えでしかない。それは大前提。
数か月前。珍しくとある人が、弱音を吐くというか、八つ当たりみたいなことをしてきて。別にそれはどうでも良かった。そのせいで自分の心が削れたわけでもないし。多分。
中身については忘れてくれと言われたから、書かない。忘れるのは無理だった。自虐だろうけれど、それが刺さったんだから。書かないけど、でも、不服だった。
努力の話をしよう。努力ってどうやったら計れるだろうね。
結果を出したら? 時間をかけたら? より多くのお金をかけたら? 体調を崩したら? 心を壊したら?
運だけで結果が出せる人もいる。産まれてくる環境なんて運だ。才能だ。時間より質が大事だと言う人もいる。だらだらやっても血肉とならなければ意味がない。コスパが良いに越したことはないだろう。お金なんて稼げるようになるまではそれこそ才能や運の領域だ。体調を崩すことは偉くも何ともない。心も同様。寧ろ自己管理が出来ていないと扱われても無理はない。健康であればあるだけいい。
注∶才能とは産まれ持ったものでなければないものだと定義させてほしい。対してセンスは磨くもの。お察しかもしれないが某排球漫画の影響を多大に受けている思考である。
努力なんて計れるものじゃないと思う。
ただ、自分が頑張っていたことを、自分くらいは認めてやってくれと、何度も思ったことがある。
あの人は努力をふりでしかなかったと言った。まあ、そう言うならそうなのだろう。あの人の全てを知っているはずもないから、あの人がそう言ったらそうなんだろうな、くらい。見てないものを否定なんて出来ないから、あの人がそう言うならその言葉を否定しないだけ。
でも、頑張っていたとは思うのだ。
体調不良とかメンタルが狂っているとか、そういう姿をよく見ていた。その当時は中々に近い距離にいたはずだから。今は知らない。その中でも、どうにか前に進もうともしていたことは知っている。簡単に知っているなんて言うなという意見は受け付けていない。僕から見たらそう見えただけだ。
壁見て気付いたら三時間経ってた、とか、ストレスで眠れないし、とか、フラッシュバックして息できなかった、とか、結構聞いた。首を吊る、みたいな選択をしなかっただけ偉いと思う。出来なかっただけだとしても。あの人が本当にしんどかったら投げ出す人であることは、本人から聞いていたから。会話もろくに出来なかったし、いや本当によく生きてるな。
頑張らなきゃな、とあの人はよく口にしていた。それが義務感からの言葉であることは、否定しようがなかった。頑張りたいなあ、とかではなく、頑張らなきゃな、だった。
人には無理しすぎずっすよ、とか言うくせに。それは喉の奥にしまいこんだ。
無理と努力は別物だろうか。僕の解釈では努力の延長上に無理がある気がしている。努力という線をずーーーっとひいていって、人によって違うどこか一点を超えたら無理になる。そんな解釈。努力が行きすぎると無理になる。頑張りすぎたらそれは無理なんだと思う。多分。
自分の限界値を知らない。という事実は自覚している。無茶な練習でぶっ倒れるなんて経験をしたこともないし、身体が壊れたことも多分ない。その前に勝手に休んでしまうから。限界を知ってて意図的にそこを超えるのと、知らずに超えてしまうのは全くの別物だ。僕は出来ても後者だけ。出来ても、なだけであって、出来るとは言っていない。というか多分、出来た例がない。存外人間は簡単には死ねないらしい。
困るのだ。自分の限界値を知らないと、自分が頑張れているかどうかも分からないから。努力出来ているのかも分からないから。分かりやすいのだ、「限界まで頑張ったから倒れました」という基準は、ちゃんと努力をしたと勘違いしやすい。それが、努力ではなく、無茶であると知っていても。もちろん健康な方がいいし、体も心もぶっ壊して努力したってそれは無茶だって、僕でも知っている。それでも、勘違いしやすいって、それだけ。
考えてみてほしい。自分の大事な人が体や心を壊して努力したって言うんだぞ、腹が立つか悲しくなるかのどっちかだ。僕は大事な人には幸せになってほしいのだ。幸せになってくれ、幸せに生きてくれ。そのためには出来る範囲で健康でいてほしいのだ。
じゃあ、どうやったら自分が「努力した」と認めてやれるのだろうか。僕も知りたい。生憎だけれど、僕はこの場でこうするといいよなんて言うことは出来ない。
「自分の限界知らないで超えるのと知って超えるのは違うから。君も運動すれば分かるんじゃない? いや、他のやつも分からなかったし分からないか」なんて言われたことがある。「うん、知らないし分からないよ」みたいな返しをした気がする。正直知りたくはない。自分の限界すれすれを攻めたくないし、多分分かってて限界超えるし。多分僕にそう言ったあの人は、限界を超えるよ、ということなんだろうな。
聞いたときの僕の心情を百字以内で答えよ。配点五点。
嫌だった。本当に嫌だった。お前ふざけんなよって胸ぐら掴みたかった。そんな腕力も瞬発力も気力もなかったし、何を言ったって届かないことは知っていたから何も言わなかった。でも嫌だった。
だって、自分の限界なんて知ったら、そこを超えなきゃ頑張ったって言えなくなるじゃないか。
話が散らかってきた。良くない。
努力とかそういうのって、多分他人には分からない。他人のことなんて分からないんだから。限界なんてもっと知らない。
頑張りたい夜ってあるよ。今回は頑張りたい、無理をしたって足掻きたい。それは誰かが邪魔できるものじゃない。僕がそう思ってるときには邪魔されたくないし。
だから、終わったら「うん、頑張った」って言ってほしい。きっと頑張ってたよ。どんなに足掻いても結果が伴わないことだってあるよ、だって世界は不条理だ。頑張ったって思えなくても、頑張ってたよ。
努力とかそういうの。頑張るとかそういうの。振り返ったときに否定しないでいられたら、それでいいと思った。
頑張る背中を押しはしないけれど、手は添えたい僕の話。