知らずの葬式
ついこの間、十二月二十二日。僕は一人で四十九日を迎えた。
今年一年間、持ち続けていた恋心の。
僕はその人のことを「おにーさん」と呼んでいる。知り合ってから、多分ずっと。その人の纏う空気が兄だったから。呼び始めて数か月後に、「そういやずっとおにーさんって呼んでるけど、嫌じゃない?」なんて聞いて、「好きにすればいいよ」なんて返ってきたから。名前を覚えられなくて、他の人と同じ呼び方をしたくなくて。
その人のことが好きかもしれないと無意識のうちに思っていたのが一月。恋かどうかを悩んでいたのが、家に籠りっきりの三月末から六月頭。おにーさんに向けているこの感情を、恋って呼びたいから恋って呼ぼう。そんな諦めにも似た選択をしたのが六月中旬。二人で出掛けて、勝手に失恋した気になって、髪を切った。
「恋愛感情壊れててさ、友人としてしか見てないし見れない」
「君、短いのも似合うんじゃない」
「いーんじゃないの、無理に結婚とかしなくてもさ」
そんな話を、して。今なら失恋したから髪切りました、っていうあれが出来るんじゃないかなんて馬鹿みたいな思考をして、似合うって言ってくれたしなあ、とも思って。髪を切った。物心ついてから初めて、ボブより短い長さにした。
七月、一緒に帰ることが増えて、二人きりになると名前にさん付けで呼ばれることが増えて。平気で可愛いだとか好きだとか言うから、それに「好きだよ」なんて返したら冗談じゃなくなるから、「心臓に悪い」と騒いで。
別れ際、抱きしめられて「かわいい、愛してるよ」なんて耳元で言われるもんだから。乗り換えの電車に乗って、メッセージを送った。
「誤解しか生んでないからな」
気が付いたら好きって言っていて、お互い好きだって知って。そこからはいろいろあった。Twitterを教えたり、一緒に帰りに寄り道したり、誕生日プレゼント渡したり。今でも「楽しかったよ」って言えるくらいには、楽しかった。
八月下旬。何となく違和感を覚えた。名前で呼ばれなくなったなとか、好きって言われなくなったなとか、電話しなくなったなとか。九月に一度泣きついて、それでも何も変わらなくて。好きだよ、こちらこそ。そんなやりとりはしていたから、九月下旬、僕は聞いた。
「こちらこそ?」
限界だった。愛され慣れてないことも、すぐ不安になることも、何もかも話していたから。まだ君のことが好きですよ、そんな説明をされた。十一月が終わるまで待って。そしたら多分戻るから。そんなおにーさんの言葉に、分かった、とだけ返した。
十月。おにーさんが前の恋人さんに、「俺のことを好きになる物好きなんて君くらいだよ」と言ったことを、前の恋人さんから聞いた。僕と前の恋人さんとおにーさんは、傍から見たら物書き仲間で、実際に仲もいい、と思っている。前の恋人さんから愚痴のように教えられたその言葉は、僕にとっては絶望の合図だった。
好きを否定されるの怖いんよ。結構されてきたから。きみはしないじゃん。そういうとこ好き。好きに知ってるって返すのも。そんなことを、何度もおにーさんに、伝えていたから。それを知っているものだと思っていたから。そのときに知っていたかも、覚えていたかも、知らないけれど。聞けていないから。
十一月。おにーさんのメンタルが回復する兆しが見えないから、僕は言った。言ったと書いたが、二人きりで落ち着いて話すことなんてできなかったから、メッセージを送っただけだ。
「片想いって思ってていいですか」
僕はまだきみが好きで、でもきみから恋人っぽいことが返ってくるわけでもなくて、期待し続けるのはしんどいから。ごめんね。待ってるつもりだったけど、怖いんよ、いっぱい傷付いたんよ。
「もっと傷付けること言うかもだけど、大丈夫?」
そうして別れ話を切り出された。正直そのときのやりとりで、一つも納得できる言葉なんてなかった。友達の関係に戻りたい、かな、とか、恋愛感情自体を持っている自信がないとか、君がしたいように、かな、とか、最初から恋愛感情が壊れてたんじゃないかとか、この先君が俺にどういう感情を持つのかは俺の意思は関係ないと思う、とか。
分かっていた。おにーさんならそう言うよなって。だって僕は、おにーさんを一番見ている。多分一番、おにーさんのこと好きだ。少なくとも、この世で一番きれいに、おにーさんのことを書ける。だから、好きじゃないことも、そんな話をすることも、分かっていた。
泣いた。ちゃんと好きだったから。信じてとか言われたし、プロポーズ未遂されてるし、これからの話もしてたし。言葉が届かなくなってることも分かっていたし、この人の何でもないんだなって自覚は何度もした。それでも別れを切り出せなかったのは、片想いなんて妥協案を引っ張り出したのは、僕があの人を好きだったから。
おにーさんを創作の世界に引き摺り込んだのは僕だ。世の中に作品を出すように仕向けたのは僕だ。最初に作品を読んだのも、二作目を最初に読んだのも。おにーさんの創作が、文章が好きだ。それを最初に味わえるのは、僕の特権だった。恋人という関係になる前から。
あの人が遺書の代わりになるお話を書いたとき、それを読むのは僕じゃない。そのことに気が付いた。四十九日が過ぎた後だ。そのときに、ああ、そっか、と思った。それは嫌だなって、でもどうしようもないな、って。
恋人じゃなくなるって、そういうことだって。
ざっくりまとめただけで、語り足りなくはある。でもこれ以上書くには、思考がまとまっていないから。だからここでは、僕がした選択だけを書こうと思った。
僕はおにーさんに恋をしていると諦めて認めて、おにーさんが僕に向けていたものは恋愛感情じゃないって認めた。
たくさん泣いたし傷付いたし、嫌だし納得いってないし、でも、それでも。今は、そんなこと考えないでおこうって。今年中に書きたかった。だって僕はものを書く人間だから。だからおにーさんと特別な関係だった。ものを書く人間として、ものを書いて終わりにしようと思った。
今年の僕のお話だった。さて来年はどうだろうね。この選択がどうか救わると良い。そんな叶いもしない願いを込めて、この独白を終わろう。