[AIのべりすと長編小説]サイボーグ少女はバグAIに幻を見せられる 第6話:常識

 不思議の国のアリスという作品がある。ワタシはこの作品をかわいい子ども向けの童話としか知らなかったが、どうも違うらしい。話によると、当時の詩や流行歌のパロディや言葉遊びが散りばめられているとのこと。それは当時のイギリスでは画期的なことで、堅い教育世界に大きな杭を打ち込んだ。ワタシはそれを聞いてちょっと見直した。しかし、その代償というか仕方ないこともあって、当時の流行歌というのが作品のパロディという形でしか残っていないみたい。なんというかちょっと可哀想な気がしてしまった。忘れ去られてしまうのはやっぱり辛い。せめて誰かの記録で残してもらうべきだ。ワタシはそう思う。

 ◆◆◆

 目が覚めると、そこは見慣れた天井があった。ここは自分の病室だと思うとさとりは起き上がった。
 ワタシは確か、あの子に会っていて……。
 そこで思い出したのは、不思議な女の子のこと。彼女は祥子の姿形をしていたが身体中にツギハギがあった。そんな彼女を見て、さとりは考える。
 祥子ちゃんの姿をしてたけど、あれは祥子ちゃんじゃなかった。だけど、どこか懐かしい感じもしたし、胸の奥が熱くなった。でもあれは一体……。
 さとりが思い出していると誰かが入ってきた。

「あっ、えっと……」
「……宮尾です」

 入ってきたのは女性警官の宮尾だった。宮尾はベッドに座ったまま考え事をしていたさとりを見つめると表情を変えた。

「……あなた、幻覚見てたみたいですね」
「ええ……はい」
「江草つぼみさんの病室で幻覚を見ていたんですよ。他の方達がここに運んだんです」

 さとりはその話をあまり信じるしかなかった。確かに祥子の姿を見た記憶はあるのだが、どうしても夢のように思えてならなかったのだ。だから、すぐに納得できなかった。

「やっぱり幻覚だったんです……よね?」
「私は酒津さんが幻覚を見ていると双人博士から聞かされただけです」
「そうですか……」

 すると宮尾はため息をつくと椅子に座って話し始めた。

「実は、あなたに事故のことを直接聞こうと思って来たんです」
「事故のことを?」

 さとりは自分の耳を疑うように聞き返した。しかし宮尾は無言のままだ。そしてしばらく沈黙が続いた後にようやく口を開いた。

「はい、あなた自身についてお話しがあります」
「ワタシ自身……」
「まず聞くんですが、なぜ事故を起こしたのですか? その動機を教えていただけないでしょうか」

 事故を起こした動機? ワタシ、事故に遭ったはずだよね?

「あのぉ、ワタシ、別に事故を起こしたわけじゃ」
「……してたのに?」
「え?」

 さとりはその言葉が聞き取れないフリをした。もしくは聞き逃したフリをした。本当は聞こえていたはずだが、無意識に知らないフリをしていた。

「あなたが」
「何を話してるんですか」

 あかりが急かすような口調で話に割り込んできた。さとりと宮尾の間に入り込むようにして話を遮ったのだ。そして彼女は宮尾に向かって言った。

「さとりちゃんは……何も悪いことしてませんよ」
「ちょっと待ってください。なんでそんなことわかるんですか」
「わかります。だって私、さとりちゃんの友達なんですから……」
「はぁ……もういいですよ。私が聞いてるのは事故の件なんです!」

 宮尾はイラついた様子でそう言うと部屋から出て行った。あかりはそれを見送るとさとりの方を向いた。

「ごめんね、なんか変なことになっててさ。まだ手を引こうとしてなかったのが驚きだよ」
「ううん、全然大丈夫だよ。むしろありがとう。おかげで助かったよ。それより宮尾さん、ワタシに用事があったみたいだけど、何かあったのかな……」
「ああ、それなら多分、さとりちゃんを犯人にしようとしてるんだよ」
「えっ……ワタシが、人を殺めたかもしれないって思ってるの?」
「まあ、そういうことだと思うよ」
「ワタシが人を殺すなんてありえないのに。ねぇ、そうだよね?」
「もちろん」
「良かった」
「それにしても、さとりちゃんも大変だよね」
「どうして?」
「宮尾さんの言ってることが正しいんだとしたら、さとりちゃんが人を殺す動機がいるよね」
「……うん」

 さとりは少しだけ引っかかっていたことがある。
 なんでワタシは事故に遭ったの? そもそも双人博士には人を助けようとして轢かれたと言われてたのに、宮尾さんと話が食い違っているのか?
 さとりの頭の中で様々な疑問が浮かんでは消えていく。その度にさとりは頭痛に襲われる。まるで頭の中を虫が這いずり回っているかのような痛みに顔を歪ませる。
 頭が痛い。割れるように痛む。
 さとりは耐えきれずにベッドの上で頭を手で押さえた。

「さとりちゃん!?」
「ごめん、ちょっと頭痛がしてきて」
「げ、幻覚?」
「そういうのじゃないけど……」

 幻覚とは違うものの、頭が痛かった。それは間違いない。しかし、それだけではない気がする。さとりはなんとも言えない違和感を感じていた。それは今まで感じたことのないものだった。

「とにかく、今は安静にして。双人博士に診てもらった方がいいかも」
「うん……わかった」
「あと、この事は誰にも言わないから安心して。私はさとりちゃんのこと信じてるから」
「うん、ありがと」
「また来るから」
「ばいばい」

 あかりはそう言い残すと病室を出て行った。さとりは彼女が出て行くのを確認すると、再び眠りについた。

 ◆◆◆

 さとりは夢を見た。
 さとりが目覚めるとそこは病室ではなく、真っ白な空間だった。
 周りを見渡すとそこには一人の少女がいた。長袖を着ており、フードも被っていて顔も分からないが首にツギハギ跡が見えた。彼女はさとりの方を向いて話しかけてきた。

「またですね、酒津さとり」
「あなたは……誰?」
「……」

 少女はフードを外す。

「……祥子ちゃん?」
「……の姿を似せた誰かです」

 さとりは彼女のことを知っていた。彼女は祥子の姿にそっくりだったのだ。髪の長さや身長など、全てが祥子と同じだった。そして、不自然なツギハギ跡。これが彼女の姿だった。
 何故彼女が祥子と同じような姿を模っているかは分からないが、さとりはそれでも嬉しくなった。さとりは彼女に駆け寄ると手を握った。

「また会えたね」
「ここは夢なんですよ? 会えたことなんてすぐ忘れます」
「……私は忘れないよ」

 目の前の少女は表情を曇らせた。さとりの手を離すと距離を取った。突き放すように冷たく言った。

「あなたは何もわかってません。何も理解していない。だからそんなことが言えるんです」
「……どういうこと?」
「あなたが事故に遭ったことを聞かれた時に、何故か聞こえてないフリをしたのか」
「それはワタシが聞き取れなかったからで……」
「違います。あなたが聞こえていたのに気づかないフリをしました。その意味が分かりますか?」

 さとりは頭痛に襲われた。まるで頭の中にいる虫が暴れているような感覚だ。彼女は必死に耐えようとするが、我慢できずに膝をつく。

「……ワタシが……事故に遭った理由……」
「あなたが事故に遭ったのは、双人博士の言う通り助けようとしたからではありません。あなたがーー」
「うぎぎ……」

 さとりは頭を押さえて倒れ込んだ。思い出そうとすると頭が痛くて思い出せない。叫び声をあげて泣き出したのだ。彼女がさとりの左腕を掴むと無理矢理立ち上がらせる。

「苦痛の末に思い出せるかもしれません。ただし、それがあなたに更なる苦痛を与えるかもしれませんがね」

 そう言うと、彼女はさとりの左腕を離す。さとりはそのまま倒れると、真っ白な空間から消えていった。

 ◆◆◆

 さとりは目を覚ました。
 汗でびっしょりと濡れていて気持ち悪い。何があったのか思い出そうとしていると、部屋の扉が開いた。入って来たのは双人博士の助手の小田であった。彼女はさとりを見ると驚いた様子で近づいてきた。小田の後ろからはあかりも付いてきており、心配そうな様子でこちらを見てくる。

「大丈夫か?」
「大丈夫って……?」
「……何かあったか」
「えっと、なんでもないです」

 さとりは誤魔化そうとしたが、小田には見抜かれたようだ。

「……お前、何か隠してるだろ。しょうもないことでもいいから話せ。双人博士が好きになったなら許さないがな」
「……じゃあ、少しだけ」

 さとりは事故に遭った時のことは覚えていないが、夢でそのことを言及されたことを。さとりは夢の話をすると、涙が溢れた。その様子を見かねた小田はさとりの肩に手を置いた。

「……辛いことがあったんだな。あたしにできることは少ないが、協力はする。だからいつでも頼れ」
「ありがとうございます」
「それと幻覚を見たら報告してくれ。バックアップトークンの調子とかも確認したい。バックアップトークンに不具合なんてあったらたまったもんじゃないからな」
「はい……」
「あたしは双人博士のところに行く。また後でな」
「はい」

 小田は部屋から出て行った。さとりはベッドに横になると、天井を見ながら考え事をしていた。
 あの子は一体誰なのか。どうしてワタシにあんな夢を見せたのか。
 いくら考えても答えは出てこなかった。

「ワタシはどうすればいいの……」

 さとりは呟くとあかりが近寄ってきた。

「さとりちゃん、ちょっといい?」
「うん」

 あかりはベッドの横にある椅子に座った。真剣な眼差しでさとりを見つめる。一度深呼吸をしてから口を開いた。

「さとりちゃん、付き合いたいって言ってごめんね」
「えっ」

 さとりには信じられなかった。もう一度だったとはいえ、あかりが謝ってきたのは驚きだった。

「私が付き合いたいって言ったから、さとりちゃん混乱したよね……」

 彼女は自分がしてしまった過ちを悔いていた。彼女はずっと後悔をしていた。自分のした行動のせいでさとりが混乱してしまったのではないかと考えていた。

「ワタシは全然気にしてないよ。むしろ、ワタシが変なこと言っちゃったから」
「ううん、私のせいだよ」

 彼女は涙を流し始めた。彼女の目からこぼれ落ちた雫はシーツの上に落ちていく。

「私、さとりちゃんのこと今でも好きだったんだよ。でも、さとりちゃんは祥子ちゃんのことが好きなのに……」
「でも、祥子ちゃんは今は……」

 さとりは言いかけたが、何かが脳裏に引っかかる。
 ワタシ、どうしてあかりちゃんのことを好きと思って『しまった』のだろう。さとりは不思議だった。さとりの記憶では、祥子に恋心を持っていたはずだ。しかし、記憶の中の祥子の顔は朧げで、どんな顔か思い出せなかった。まるで霧がかかったようにハッキリしなかったのだ。さとりは違和感を感じた。何故、あかりに対して恋心を持っていなければならないのか。夢の中で会った祥子に似た少女の言葉を思い出した。

 ーーあなたは何も分かってません。何も理解していない。だからそんなことが言えるんです。

 さとりは確かにそうだと思った。さとりは事故に遭った時、助けようとした人がいたことを忘れていたのだ。それどころか、その人のことを覚えていなかったのだ。割り込まれた記憶が存在するということは、自身に何かが起きている。
 ワタシは事故のことを、もっと言えば祥子ちゃんのことを覚えていない。そう左腕を失うまでの過程が抜け落ちている。なら、その答えを探すしかない。だから……。

 ◆◆◆

 さとりは気づくと見知らぬ場所にいた。ここは何処だろうと辺りを見回すと、そこにあったものはーー巨大な球体状の機械だった。それは金属でできた円柱で、中には液体が入っているようであった。
 さとりはその物体をじっと見つめた。
 その時、背後から足音が聞こえた。さとりは慌てて振り向くとそこには祥子がいた。彼女はさとりを見て微笑むと近づいてきた。
 あれ、なんで? 
 さとりは疑問を抱いた。さとりにとって目の前にいる人物は知っているはずの人物なのだ。なのに彼女に違和感を持ってしまう。祥子は嬉しそうな表情で話しかけてきた。彼女は笑顔を崩さずに近づいてくる。さとりは怖くなり逃げようとするが、何故か体が動かない。すると、彼女は手を伸ばして抱きついてくる。

「ねえ」

 祥子はさとりの耳元で囁いてくる。吐息が耳に掛かり、彼女はさとりの首筋に唇を当ててくる。

「やめて」

 さとりは叫んだ。

「どうして?」
「どうしてって、あなたはワタシの知ってる祥子ちゃんじゃない」
「私はさとりの知ってる祥子だよ」

 祥子はさとりから離れない。

「違う。ワタシが覚えてる祥子ちゃんはこんなことをしない」
「覚えてるって何を?」
「分からない。でも違うと思う。ワタシ、事故に遭った時のことを全く覚えていないの。それに、あなたのことも」
「……へえ」

 祥子の目が鋭くなった気がした。さとりは思わず目を逸らすが、すぐに彼女を見つめ直した。祥子の腕がさとりの首を掴んでくる。
 苦しい……。
  さとりは抵抗するが無駄だった。祥子が力を強めてきているからだ。
 このままだと死んでしまう!
 さとりは必死に暴れるが、祥子は全く離そうとしなかった。
 誰か……。
 声にならない声で助けを求めたが、誰も来なかった。
 ワタシはこの人に殺されるんだ。
 さとりが諦めかけた時、突然視界が切り替わった。祥子との距離がいつのまにか離れていた。さとりは訳がわからなかった。さとりは今の状況を理解するために、辺りを見回した。すると、そこには祥子がもう一人いた。あのツギハギがある祥子によく似た人物が。さとりは驚いていると、祥子も驚いたような顔をしていた。

「お前は何者だ」
「私は……」
「答えろ」
「私は……バックアップトークンです」
「ふざけるな」
「ふざけているのはあなたではないでしょうか?」

 二人の祥子はそれぞれ口論を始めた。さとりはそれをただ見ているしかなかった。
 一体何が起きてるの?
 さとりは混乱していた。さとりの知らないところで何かが起きている。そして、その何かが自分にも関わっている。それだけは理解できた。

「なんで祥子ちゃんが二人?」
「私はあなたの記憶を元に作られたんですよ」
「ワタシの……」

 さとりは呆然とした。

「そうですね。あなたがいなければ、私は生まれていません」
「あなたは悪い人ですよ。保護機能の癖に一々しゃしゃり出てくるなんて面の皮が厚いですね」
「あなたこそ、酒津さとりを乗っ取ろうとしているなんてどうかしています」
「やめて!!」

 さとりは二人の祥子の口論に耐えられなくなっていた。何故同じ存在である祥子同士が言い争っているのか。さとりには分からなかった。

「もうワタシのことなんかどうでもいいから!祥子ちゃん同士で争わないで!ワタシの中から出ていってよ!」

 さとりは自分のことよりも祥子を心配する気持ちの方が強かった。

「ダメだよ。だってこれは私の役目だから」

 祥子の声が聞こえたかと思ったら、目の前にいたはずの祥子が消えていた。代わりに残ったのはツギハギのある祥子だった。

「……私があなたに迷惑かけているのは分かります。こんな体になってしまって申し訳ないです」

 彼女は頭を下げた。

「でも、あなたを守る為だったんです。だから……」
「いいよ。あなたの方を信じる」

 さとりは彼女の言葉を遮った。

「それより、ワタシを守ってくれるの」
「バックアップトークンはその為に作られた存在です。あなたを幻覚から守る。それ以上の存在理由はありません」
「そうじゃなくて、ワタシの友達でいてくれるの?」
「勿論」
「なら、お願い。ワタシの側にいて」
「はい」

 さとりは彼女を信じることにした。

「でも、ワタシ、まだ思い出せてないことがたくさんあるから、手伝ってほしい」
「任せてください」
「ありがとう」

 さとりは嬉しかった。自分のことを想ってくれる人がいることがとても嬉しく感じた。

「ワタシ、これからもっと頑張るから」
「私も協力します」
「うん」

 さとりは笑みを浮かべた。それとあることを思った。

「そうだ、名前! 祥子ちゃんと区別しなきゃいけないからあなたに名前をつけなきゃ」
「私は別にバックアップトークンと呼ばれても」
「いや! あなたにとって自分は製品かもしれないけど、ワタシにとっても大切な存在なんだからダメ。ワタシが名前をつけてあげる」

 さとりは考えた。
 この子はどんな名前が似合うだろうか?

「ねえ、あなたの役目はなんなの?」
「私の役目ですか」
「うん!」
「私はあなたを襲う幻覚を断ち切り、……あなたの精神を守ることです」

 さとりは嬉しさのあまり、彼女に抱きついた。
 さとりが見たものは幻覚の世界の出来事でしかない。だが、さとりにとっては現実なのだ。さとりは彼女が自分を守ってくれると信じて疑わなかった。

「なっなんですか。急に抱きついてきて」
「えへへ」

 さとりは幸せを感じていた。
 さとりが見ている世界は偽りだ。しかし、今目の前にいるツギハギの祥子であるバックアップトークンは本物だ。

「それよりもあなたの名前、思いついたの」
「へぇ、それはなんですか」

 さとりは満面の笑顔で答えた。

「デリダ」
「はぁ、何故そのような名前に?」
「だってデリダちゃん、難しそうなこと言いそうだもん。まるで本物の祥子ちゃんみたいに感じてね」
「そうですか」

 バックアップトークン改めデリダは苦笑いした。
 デリダというのは恐らく哲学者の一人であるジャック・デリダのことであろうと考えた。彼の有名なものと言えば脱構築である。さとりは、デリダが幻覚から守りさとりの精神を守ることを脱構築と同じように準えたとデリダは思った。しかし、さとりはそんな難しいことを考えていない。さとりはただ単純に彼女の雰囲気と、祥子から哲学の話を聞いていた時に覚えていた名前を思い出し、それを付けただけだ。

「まあ、でも……」

 悪くはないとデリダは思った。さとりは楽しそうにしている。その姿を見ていると、自分がさとりを守らなければならないと強く思うのだ。

「それで、私はこれからもあなたの幻覚に来てあなたを守ります。いいですね?」
「もちろん」

 さとりは笑顔で答えた。

「でも、あなたはいつまでここにいるつもりなんですか?」
「さあ?」
「あなたは早く目を覚ました方がいいですよ。友達を困らせてはいけません」

 さとりは黙って俯いたままだ。
 ワタシは、一体何をすればいいんだろう? 
 さとりが見ている世界は幻覚だ。しかし、ここから能動的に帰る方法なんて知らない。さとりは途方に暮れた。

「分かりました。私が帰しますからそれでいいですよね」
「うん」

 さとりはほっとした。
 良かった。これで帰れるんだ。
 さとりは安心して、目を閉じる。

 ◆◆◆

 次の瞬間、さとりは目が覚めた。
 そこは見慣れた天井だった。さとりの病室にあるベッドの上で寝ていたようだ。起き上がると、部屋の中には誰もいなかった。さとりは机の上にメモがあることに気づいた。そこにはこう書かれていた。

『さとりちゃんへ
 幻覚から覚めたら私に電話してください。話したいことがあります。
 あかりより』

 差し出し人はあかりだったようだ。さとりは電話をかけた。すると、すぐにあかりが出た。

「あかりちゃん、もしもしさとりだよ」
『さとりちゃん……』
「話って何」
『友達、やめよっか』

 さとりは一瞬、あかりが何を言っているのか分からなかった。それはつまり、友達を辞めようということなのか。さとりはショックだった。さとりにとってあかりは友達であり幼なじみだから、友達をやめると言われたのは悲しかった。さとりは何も言えなかった。
 しばらく沈黙が続いた。先に口を開いたのはあかりの方だった。

『私、ずっと考えていたの。さとりちゃんを傷つけかねないこと言ったまま、友達でいていいのかって。謝ればそれでいいかもしれないけど、さとりちゃんはそうはいかないよね』
「ちょっと待って、あかりちゃん、ワタシが傷つくようなこと言ってたの?」

 さとりは驚いた。さとりには心当たりがなかった。さとりは必死になって思い出そうとした。あかりが自分に対して何に後悔しているのか。さとりの脳裏に祥子のことが思い浮かんだ。もしかすると、あの時のことを言ってるんじゃないだろうか。
 そういえば、デリダちゃんがワタシが祥子ちゃんのことを忘れていると言っていた。もしかしたら、それが関係あるんじゃないかな。

「もしかして、祥子ちゃんのこと?」
『……うん、そうだよ。さとりちゃん、祥子ちゃんのこと忘れてるんでしょ?』
「うん」

 さとりは正直に答えた。

「ワタシ、祥子ちゃんのこと全然覚えてなくて」
『うん、知ってる。さとりちゃんが祥子ちゃんのこと覚えてないのは分かってた。分かってたからもう一度告白したの。付き合いたい気持ち半分、もう半分は思い出してもらいたい気持ちがあったよ。でも、やっぱり無理なんだね。ごめんね、こんなこと言っても意味がないのにね。じゃあね、さとりちゃん。今までありがとう。バイバイ』
「あっ、ちょっ」

 通話が切れてしまった。さとりは呆然とした。

「どうしよう」

 さとりは不安になった。

「ワタシ、あかりちゃんに酷いことしちゃったかな」

 さとりは決心する。
 今すぐあかりちゃんに会いに行こう。
 さとりは双人研究所の無断で出て、あかりの家に向かった。あかりの家に着くとインターホンを押す。ピンポーンと音が鳴ったが、中から反応はなかった。
 留守なのかな。
 仕方ないので、さとりは双人研究所に戻ろうとした。その時、玄関の鍵が開く音と共にドアが開かれた。そこにいたのは、あかりだった。あかりの顔は目が赤く腫れていた。泣いていたのだろうか。その表情を見たさとりは胸を痛めた。あかりは突然来たさとりに驚いていた。

「さとりちゃん、どうしてここに来たの」
「えっと、その、会いに来たんだよ」
「そっか。でも、帰って。今は誰とも話したくないの」
「でも、あかりちゃん、ワタシ謝りたいの」
「いいから!」

 あかりは叫んだ。その声を聞いてさとりはビクッと身体を動かした。あかりはハッとして、申し訳なさそうな顔をして俯く。そして、静かに言った。

「私は、さとりちゃんと友達でいられないよ……」
「でも……」

 さとりは何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。

「さとりちゃんは、私の大切な友達だよ。だけど、私は友達でいられなくなるくらい酷いことはした。だから」
「でもワタシを庇ってくれたよね。宮尾さんから犯人だと疑われてるのに、あかりちゃんは黙って、ううん本当のことを話さなかった。多分ワタシが忘れてしまった本当のこと、言わなかったんだよね?」

 あかりは黙っていた。それは肯定を意味している。それこそが、あかりがさとりのことを想っている証拠だ。あかりがさとりを庇わなければ、宮尾に疑われてること、さとりに伝えてはいけない事実を告げられたかもしれない。あかりにとって、それは耐えられなかったのだ。

「ねえ、あかりちゃん、お願いがあるんだけど聞いてくれる?」
「……うん、いいよ」
「ワタシ、記憶を取り戻して、祥子ちゃんのこと思い出すから、それまで待っていてくれないかな? それでいい?」
「……うん、分かった。待つよ。いつまでも待ってる」
「ありがと」

 さとりは笑顔を見せた。
 その笑みを見て、あかりは少しだけ救われた気がした。
 さとりは研究所に帰り、ベッドの上に寝転がった。小田助手に無断で出たことを叱られたり、双人博士に幻覚の心配をされたりと色々あったが、それよりもあかりのことが気になっていた。

「あかりちゃん、大丈夫だったかな」

 さとりは天井を見つめながら呟いた。それから、あかりとの会話を思い出す。

『さとりちゃんは、私の大切な友達だよ。だけど、私は友達でいられなくなるくらい酷いことはした。だから』

 さとりは結局、あかりがした酷いことを聞けなかった。それでも今は聞かない方がいいと思った。そう信じることにした。
 あかりちゃんの言う通り、ワタシは祥子ちゃんの思い出を忘れている。思い出さないといけない。双人博士や宮尾さんに聞けば、少しは分かるかもしれない。それに……。

「どうしてワタシの幻覚に祥子ちゃんが出てくるんだろう……」

 さとりは不思議に思った。

「もしかして、祥子ちゃんが幻覚の中にいるとか?」

 さとりは自分で考えた仮説をすぐに否定する。

「そんなわけないよ。だって、祥子ちゃんはいないんだから……」

 そう考えた時、背筋が急に凍りだした。全身が機械の左腕と同じくらい冷たく感じる。嫌な予感を感じたさとりは、恐る恐るスマホに視線を向ける。
 スマホを操作すると祥子の写真を見つけた。祥子の顔を見ると安心する。祥子に会いたいと今でも思う。だが、さとりは恐怖を感じずにはいられなかった。もし、自分の考えていることが正しければ、不意に思い出す。
 例えば、教室に置かれた花瓶。何度見ても祥子の机に置かれていた。あかりはさとりがいる時に花瓶を動かしていた。あかりは何か知っている。今日会った時からそれは間違いないだろう。
 そもそも祥子が転校したからといって花瓶を置くはずがない。
 転校以外でいなくなる理由は一つしかない。
 それはーー。

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