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#作家は経験したことしか書けない の誤解
今日もくそどうでもいい話題でTwitterが賑わってましたね。
作家は経験したことしか書けないか、って……そうそう、作家も大変なのですよ(笑)。「館」シリーズもAnotherも。「殺人鬼」も、2作とも大変でした、経験。
— 綾辻行人 (@ayatsujiyukito) August 14, 2020
#作家は経験したことしか書けない と #作家は体験したことしか書けない というハッシュタグがTwitterをにぎわせていました。
Twitterなので「エロ漫画家は未成年女児と淫行してないといけない」とか「ラブクラフトが短命である理由」とかまぁ大喜利が行われてるわけですけど、作家は経験したことしか書けないへの反論がほとんどのように思います。
はっきしいうと #作家は経験したことしか書けない と #作家は体験したことしか書けない では意味がもう全然違います。
にもかかわらず両者が同列に扱われ同等に批判されているのはあんまりにも浅く話題を読んでいるとしか思えません。
まず #作家は体験したことしか書けない について
まぁ明らかにこれは偽ですよね。体験(つまり実際に現実世界における活動で直面した場面)したことしか書けなかったらミステリー作家は人を殺したことがあるとかLO作家は全員未成年と淫行しているとかそりゃそういう話になります。
問題は #作家は経験したことしか書けない こっちのほうです。
この話題を批判している人たちは「経験」という言葉を「体験」と同じように「現実世界で、つまり物理的に得られた」という狭い意義で用いています。
経験には現実世界の肉体によるもの以外に心のうちから得られるものもあります。
例えば絶景を見たとき、われわれは「絶景を見た」という「体験」をするわけですが、そこで同時に絶景を見て「感動」という心のうちによる「経験」をしているわけです。
ここで誤解してほしくないのは「感動した」という経験について語っているのではありません。わたしが言いたいのは「感動」という「感情」が沸き上がることが「経験」の一つだといいたいのです。
つまりミステリー作家はミステリーを描くのに必要ななんらかの「経験」をしてきているはずなのです。なぜなら、その「経験」があるかないかが、ミステリーを書けるか書けないのかの違いだからです。
だから、ミステリー作家は「ミステリーを読む」や「映画を見る」という経験を通じて、心のうちにもミステリーを書くのに必要な「経験」をしてきているはずです。
「経験」という言葉を日常会話上のそのままの文脈でしかとらえていないことが、今回の不毛な論争の答えでした。はい、今週のつまらないインターネット論争の答え合わせおーわり。