【僕とニコニコ動画】ボカロとかいうクソデカい物語の主人公『初音ミク』【VOCALOID編】
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はじめに
VOCALOIDがなにかといった話をここでは敢えてしないがボカロが“私にとって”なにかと問われたら一部の期間をもってすればそれは私における音楽体験の全てだった。
今の時代のように市井に当たり前に合成音声が浸透するのは人間が理性的な動物に近づくもう少し後になってからのお話で、当時はもうどうしたって『肉声』と『機械音声』の間には越えることのできない巨大な壁が存在していた。今では「人が歌っているか」はたまた「なにかに歌わせているか」なんてことは瑣末な違いとなった。ニコニコ動画の歌い手文化がYouTubeの台頭やSNSの流行によりインターネットの表層にまで噴出した結果、人々がボカロに触れる機会は格段に高まり、『肉声』に対する教条的な信仰は放棄され、そこには曲自体の質のみが取り残され、また評価されるようになった。
『米津玄師』に代表されるように主にニコニコ動画を活動の舞台としていたアーティストがお茶の間にまで現れるようになり、『肉声信仰』が放棄されたそれだけに留まらず、むしろボカロはかつてウォークマンをJ-POPやK-POPを流す専用機とし、テレビで『初音ミク』の単語が映し出されるや否やチャンネルを変えていた彼/彼女にすらも迎え入れられた。意図的にアニソンやボカロを排除していたCD売上ランキングは地上波に萌え声や機械音声を載せることを厭わなくなり、CDショップには特設コーナーが設けられ、歌い手はもはや手の届く存在ではなくなり、ボカロPは普遍的に『アーティスト』と呼ばれるようになった。
これは、そんな新時代が訪れることなど微塵も考えていなかった頃の、まだアニメが明確に「通常アニメ/深夜アニメ」と区別されていたように、音楽も「肉声/機械音声」の区別がなされていた、そんな時代の思い出話だ。
このnoteで言いたいことの全てが端的に私の過去ツイに収斂されている。
実のところ、この発言の真意を読者に理解してもらうことを、私はあまり期待していない。なぜなら、これは『軌跡』だからだ。そして、軌跡に上に成った『歴史』だからだ。しかもそれは、「VOCALOIDの歴史」であると同時に、「ニコニコ動画の歴史の一側面」といった性質を併せ持つからだ。
つまり、真意の解明には少なくとも「ボカロの歴史」と「ニコニコ動画の性質」を“知識として”理解している必要があり、その上で、私が抱く『美しい』といったこの特異な感情を理解するだけの感受性がなければならない。その全てを読者に強要するなど、甚だ酷な話だろう。
しかし、私がダラダラと何万文字にも渡って本noteを書き連ねることができるモチベーションの部分は、ひとえに上記の『美しさ』に起因しているという、そのことだけは忘れないでいただきたい。私は、(たとえ当時はそうであったとしても)ボカロの曲が好きだとか、VOCALOIDのアングラ感に恋していただとか、そういったことではなく、ただただ『初音ミク』という存在に視てしまったのだ、『美しさ』を。
ボカロとの出会い
「初めて聴いたボカロ曲は?」これは「一番好きなボカロ曲は?」の次くらいにはボカロオタクの間で交わされてきた最もオーソドックスな類のやりとりである。例に漏れず私も話し相手がボカロオタクだと知るや否や水を得た魚だと言わんばかりに「初めて聴いたボカロ曲は!?」と鬼気迫る勢いで幾度となく問いただしてきた。
このやりとりは例えでも何でもなく『自己紹介』の役目を負っている。「初めて聴いたボカロ曲」「好きなボカロ曲」「好きなボカロP」この三要素が揃えば、相手が何を感じ、何を話し、これまでどう生きてきたのか、その全容はほとんど解明されたといっても差し支えない。
であるならば、自己紹介の常として、こちらとしても「初めて聴いたボカロ曲」を披露して人間性の開陳を行わなければならないのであるが、実際のところ私はVOCALOIDの第一歩をどの曲で踏み締めたのか判然としない。『メルト』と言われればメルトな気がするし、『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』だと言われればそんな気もしてくる。とにかくわかることは私がまだ小学生が終わるか中学生が始まるか、それくらいの時期で、かつ最もメジャーな位置にある曲だったというそれだけである。
しかし、その時に感じたエモーションだけはいまだに覚えている。それはメロディーだった。曲調だった。
当時、小学生だった若造はイヤホン、あるいはヘッドホンを所持しておらず、また数えるほどしかそれらを使用したことはなかった。所持金が常に1円を下回っていた彼には到底「私物を持つ」ことは叶わず、音楽体験はもっぱらMD(Music Disc)によって齎された。
たった1枚のMDのセットリストは既に忘れてしまったが、確か『愛をとりもどせ!!/クリスタルキング』『OVERLAP/KIMERU』を聴いていたと記憶している。言うまでもなく前者はアニメ『北斗の拳』OPで、後者はアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』の5つ目のOPである。
おそらく他にもMDに入れて欲しかったアニソンがあったと推察するが、親による、ペアレントコントロールという名の「萌えアニメの曲ではないか」といった非人道的なチェックが行われていたため、北斗の拳と遊戯王くらいしかMD入りを果たすことはなかった(まさか私が『ブラック・マジシャン・ガール』に萌え萌えしていたことを親は知る由も無いだろうが)。
つまるところ、少年時代の私に自由な音楽体験はあり得なかった。PCは一応1台あったが、まともに動画を再生できるような代物ではなく、もっぱら『涼宮ハルヒ』のエロ画像を閲覧する専用機と化していたため、心が荒んだ時にはMDを再生し「愛を取り戻せ!」とまるで自身が北斗の末裔だと言わんばかりにクリスタルキングとともに叫んだ。
我が家のPCの性能が上がり、動画やゲームに触れることが可能になったあの日、私にとってあれは大化の改新や遷都や黒船来航や世界大戦にも勝る有史以来の大事件であった。今となってはどのようにインターネットの大海を彷徨ってニコニコ動画にたどり着いたのかわからないが、ともかく私はニコニコ動画でVOCALOIDと出会った。
「初めて聴いたボカロ曲」に確かな答えを供せないことは先程述べたばかりだが、「初めて衝撃を受けたボカロ曲」は間違いなく『結ンデ開イテ羅刹ト骸/ハチ』だった。今では『米津玄師』として一世を風靡している彼がハチ名義で投稿したこの曲を聴いた時のインパクトは忘れられない。
これまで「和風な曲」との出会いを果たせずにいた私にとって、多彩な和楽器によって織りなされる音感はそれだけで新しかった。それに加えて羅刹ト骸の歌詞はあまりに暗く、それはこれまで聴いてきたどの曲をも凌駕する暗さであった。歌詞の暗さは言葉を飛び越え曲調に至り、和楽器の寂しげなサウンドによって醸し出されるダークな世界観と、その中で響く感情を感じさせない機械の音声は全く新しい音楽体験を私に齎した。
それから私はいくつかのことを知った。この機械音声は『VOCALOID』と呼ばれる製品の『初音ミク』というキャラクターのものであること、ほとんどどの楽曲も素人のクリエイター1人によって作られていること、ボカロはニコニコ動画を主戦場にする文化であること、そこから派生してボカロ曲を歌ったり踊ったりする人たちがいるということ。
これまで抱いていた音楽の概念が一変した。歌声は人間固有の産物だと思っていたし、曲はCD、もしくはMDで聴くものだと思っていたし、ましてやニコニコ動画などといういちプラットフォームで独自の文化が醸成されていようなど、考えも及ばなかった。
ハチでめでたく両足を突っ込んだボカロ沼から這い出るまで実に7年を要した。
ボカロと学校集団
当時はVOCALOIDを聴いている人間に人権は与えられていなかった。中学生が形成する社会集団は異端を排斥することによって調和を実現している。彼らの文化圏における楽曲のスタンダードはMステのCD売り上げランキングによって決定され、それはドラマの主題歌であり、CMに使われるような曲でしかあり得ない。言うならば、彼らは基本的に受け身の態度で、曲の方から自ずと出会った音楽体験しか認めていなかった。探求心に基づく音楽体験への自発は忌避されるモチベーションであり、それはオタクのオタク性を端的に表すことができる極めてお手軽な分類方法でもあった。
つまるところ、積極的にインターネットの大海をサーフィンし曲を選りすぐるその態度自体が輸入されるべきではなく、ましては機械音声ともなるとそれは一聴にすらも値しないものとなり、そして美少女イラストが添えられようものなら異分子の烙印を押され、徹底的に排斥された。
その中でボカロを聴くには、レジスタンスを形成するしかない。それはあたかも小魚が集合することで大魚を威嚇し生きていくように、肉声信仰を捨て、初音ミクという女に魅入られた者たちで集い、オタク同士で身を寄せ合うことで野球部に抗って生きていくのだ。しかし悲しいことにオタクは威嚇する術を知らない。
学校帰りにイヤホンを奪われた末に漏れでる『1925』を聴かれ「お前オタクかよ!!!」と罵倒された時はさすがに泣くかと思った。
一方で、オタクは倒錯した価値観を持つ生き物である。「中学生なのに俺はボカロを聴いちゃっている」「初音ミクに恋している」「逆にJ-POPなんて聴かない」、若さゆえの浅ましさ、オタクゆえの逆張り精神が融合し出来上がったアイデンティティはしばしば野球部をイラつかせた。
野球部を代表する運動部からの抑圧やオタク的文化であるボカロを持ち込んだことによる家庭内不協和は精神衛生の悪化に繋がり、過度に悪化した精神はあたかもユダヤの地を追われ選民思想に至り神を信仰したユダヤ教徒のように救いを求めることになる。ニコニコ動画には信仰の土壌ができあがっていた。リア充に忌避される全てをぶち込んで醸成されたニコニコ動画のアングラ感はオタクたちの精神的支柱となり、ボカロオタクの信仰は自ずと『初音ミク』へと向かい、インターネットにおける彼らの態度を幾分か大きくした。浅ましくも醜いオタクを包み込むだけの包容力がそこには在った。逆に運動部は排斥された。ただし相撲とイチローを除く。
ボカロとの軌跡
さて、長すぎる前置きを終えて少女がアイドルに成るまでのドラマチックを2億倍に薄めた、インキャがボカロオタクに変容するまでの軌跡を追っていこうと思う。当時のオタクのダイナミズムを感じさせるために、時系列順に行きたかったが、あまりにも話題が交錯するためわかりやすさを選びここではボカロP毎に当時を振り返っていく。その都合上、「その時代」に関わる話題や脚注に相当する話は随時『COLUMN』として掲載した。
また、本noteは救済による壮大な自分語りなので、救済が特に語るべき言葉を持たない動画は取り上げていない。なので「なんでこの動画(この話)がねぇんだよー!」的な批判は受け付けない。ご了承願いたい。
ハチ
前述したように『結ンデ開イテ羅刹ト骸』の衝撃は凄まじかった。『ハチ』の二文字は意識に強く焼き付けられ、2曲目のミリオン曲となる『マトリョシカ』の登場はもはや社会現象といっても差し支えなかった。
事実、マトリョシカは投稿されてから7年後に1000万再生を達成し、「VOCALOID神話入り」(10万再生で『殿堂』、100万再生で『伝説』、1000万再生で『神話』の称号を与えられる)を果たした。ハチ特有の奇怪な世界観はそのままに、加えて考察要素に富んだ歌詞はオタクの心に火をつけ、遍くボカロオタクをカラオケに向かわせた。しかし誰一人として歌詞の意味までは理解できておらず、ラスサビ前の「ねぇねぇねぇ」の入りのタイミングも掴めてはいなかった。
しかし考察を許さない歌詞はそれだけで魅力的に映った。人気なアニメキャラクターには謎が備わっていなければならないように、ハチの書く歌詞の謎は中学生にとって神秘と寸分違わない魅力のように思われた。
『マトリョシカ』を語る上で外すことのできないキーパーソンが2人いる。『vip店長』と『96猫』だ。
いわゆる「両声類」である2人だが、男性であるにも関わらず女性ボーカルを歌うvip店長と女性であるにも関わらず男性ボーカルを歌う96猫の対称性はTS大好きなオタクの性癖にブッ刺さりヤフ知恵は「vip店長と96猫のマトリョシカの歌詞ください」で溢れた。
動画を見たらわかるようにこの歌詞が許されるのはひとえに2人のクオリティの高さによってであり、他の一切は聴くに耐えない結果になること必定だが、怖れを知らないオタクたちは勇んでマトリョシカ(96猫&vip店長ver)に挑戦し、例に漏れず黒歴史と化した。
個人的にはハチ3曲目のミリオン曲である『clock lock works』が大好き。
この言葉を用いて良いのであれば、「下品」でなく「上品」に希死念慮や死を描く楽曲は、思春期真っ只中の中高生にはもちろんのこと、歳を経て、大人の大人ゆえの厳しさを知った彼らにも遅効性の劇薬となって感傷が襲い掛かった。
満を辞して投稿されたハチ4曲目のミリオン曲となる『パンダヒーロー』はニコニコ動画を震撼させた。
驚異的な速度で殿堂入りを果たしたパンダヒーローはさらに洗練された歌詞における言葉選びと「パッパッパラッパパパラパ」といったキャッチーなフレーズが混在する白黒曖昧な、しかし当時のボカロ界隈に求められていた珠玉の一曲であった。
隆盛を極めたコンテンツが行き着く先はコンテンツ内部から発生するメタ的な作品である。パンダヒーローの歌詞を見ればわかるように、ボーカロイドコンテンツとボカロP自体をメタ的に歌っており、2011年にして早くもVOCALOIDは歴史の転換点を迎えた。
『マトリョシカ』の時がそうであったように『パンダヒーロー』においても1人の歌い手をキーパーソンとして挙げる必要があるだろう。
「フリーダムに歌ってみた」で知られる歌い手『____(アンダーバー)』はタイトルで示されているように作詞者による晦渋な歌詞を39億倍に薄めて薄めた歌詞になんかパラジクロロベンゼンとか野菜ジュースとかを混ぜてわけをわからなくさせることで人気を博した歌い手界隈の中でも特別異質な人物である。
とりわけ、アンダーバーによるパンダヒーローの歌ってみたは500万というその再生数にも示されているように圧倒的な人気を誇り彼らを代表する動画となった。怖れを知らないオタクたちがカラオケに殺到し、アンダーバーverでパンダヒーローをパッパラし黒歴史を量産したことはもはやここに記すまでも無い。当時のボカロオタクに怖いものはなにもなかった。我らがヒーローの存在がオタクに勇気を与えた。
何曲かとんで2年9ヶ月ぶりに投稿されたハチオリジナル曲である『ドーナツホール』の出現はまたもやボカロ界を震撼させた。
ここまで来るといよいよ「ハチ、ここに極まれり」といった感じで、ワンダーランドと羊の歌からも見られ、そして後述する『砂の惑星』で隆盛を極めることになる非-日本人(アジア人)的、また非-地球人的な民族的世界観の構築が為された。
ドーナツホールから3年9ヶ月間の期間を置き、満を辞して投稿された『砂の惑星』は、2015年を境にボカロを他界した私のところにまでその名声が轟いた。現在のニコニコ動画における再生回数は1058万回、YouTubeにおける再生回数はなんと7568万回(2023/03/09現在)、この間、米津玄師としての活動が拍車として掛かり、驚異的と言う他ない再生回数に至った。
歌詞には自身含めボカロの名だたる名曲を連想させるフレーズが織り込まれており、パンダヒーロー同様にVOCALOIDをメタ的に歌った曲ではあるが、2009年からハチとして活動を続けてきた芸歴の長さと、それによる経験によって醸成された存在感は、現役ボカロ厨や米津玄師ファンにはもちろんのこと、今では懐古厨となってしまったかつてのボカロオタクの目にも輝いて見えた。ニコニコ動画はハチの復活を祝い、Twitterにおいても連日「砂の惑星」の話題で持ちきりであった。『初音ミク Project DIVA』もこの機を逃さず、砂の惑星投稿から1ヶ月足らずで『初音ミク Project DIVA Future Tone DX』への収録が決定され、全てのDIVAプレイヤーが歓喜した。
ryo
ボカロを語る上で避けては通れない楽曲は数あれど、『VOCALOID』を代表する曲と言って万人の頭に浮かぶ曲といえば『メルト』、『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』、『千本桜』の3曲でしか有り得ないように思える。
その中でも特に『メルト』は、数多の投稿者によって多種多様な想いを基に構成されたVOCALOIDコンテンツの内に於いてもなお、『初音ミク』を、初音ミクたらしめる、VOCALOIDかくありきと言わしめる楽曲なのではないだろうか。
“メルトを語れ”と指示されたとして、果たしてどのようにしてそれを為せばよいか、私は窮してしまう。『メルト』は、アニソンでいうところの『残酷な天使のテーゼ』であったり、『ライオン』であったり、そういった位置づけにあるこの曲を語るには、まさしく今やっているように「コンテンツそのもの」を語るしかないのではないか、コンテンツ自体を語ることで、もはや「神話」となったこの曲を語るといった形を取る他ないのではないかと思う。
いつもそこにはメルトがいるのだ。
『VOCALOID』というコンテンツに想いを馳せ、ボカロについてなんらかを考える時、『初音ミク』というキャラクターと一つになる時、そこには当然の、理としてメルトがあるのだ。もちろん、メルトという楽曲は『VOCALOID』の運命とは全く独立して、偶然によって生み出されており、そこにはなんら必然性はなく、言ってしまえば、ニコニコ動画に数多あるボカロ楽曲のうちの一つでしかあり得ないのだが、その事実を認識していてもなお、VOCALOIDに、そしてニコニコ動画に、『メルト』という楽曲が佇んでいることが“理”であると思われてならない。それは、『メルト』が、夥しい数のオタクたちの想いを一身に背負い、一度でもメルトをフルで最後まで聴いたものなら誰でも行うように、メルトに対する何らかの想いの発露によって、全く経験的に形成された理であり、しかし、全く経験的だからこそ、『VOCALOID』の、『初音ミク』の文字を見た時に、真っ先に思い浮かべてしまうのだ。メルトのことを。
なにやら高尚な話は一度置いておいて極めて俗な話題に移ると、『メルト』はニコニコ動画における『VOCALOID』タグの再生回数で第3番目に位置するその有名から、ボカロ厨とまではいかない、なんとなく「初音ミクという存在」を知っている程度の彼らに対しても広く認知され、また歌い手文化が相まって一時期は(もしくは現在においてもなお)中高生の間でカラオケのテッパン曲としての座をほしいままにしていた。しかし聴いてもらったらわかるように、男性キーでは特に非常に低い出だしから始まり、サビで爆発的に高音へ至るその道程は幾人もの心を砕き
「今日の私は かぁ!わぁ!いぃの(高音がでないから声量で誤魔化す)よ!(掠れ声) メェ!!!(原キー) あ、ごめんやっぱこれ無理やw(音程無視) 溶けてしまいそう〜(低音)」
の現象があちらこちらで発生し、はなから「歌わない」の選択肢を選び取ったボカロ厨はライトオタクがデンモクで「メルト」の3文字を入力する度に近い未来訪れるであろう悲惨を感じ取った。
さて、そんな珠玉の名曲『メルト』を生んだボカロPこそが後に『supercell』として活躍することになる『ryo』であるが、ryo2曲目となるミリオン曲が『ワールドイズマイン』だ。
「世界で一番おひめさま」、ツンデレお姫様と化し、サムネがフィギュア化もされた初音ミクは当時絶賛放送中であった『ゼロの使い魔』からツンデレに沼落ちした全てのオタクにブッ刺ささった。当然「釘宮理恵に『ワールドイズマイン』をカバーしてほしい」欲求は全てのボカロオタク兼アニメオタクの間で共有され、いくらかの人力ボカロ動画が作られるに至った。
ワールドイズマインを語る上でこちらの動画も外せない。
ワールドイズマインの元動画が静止画1枚であるのに対して、有志により作られた手描きPVはわかりやすさの面で優り、ボカロメドレーや組曲などに「ワールドイズマイン」が組み込まれる際にはしばしば上記の動画が用いられた。
ryo3曲目のミリオン曲となる『ブラック★ロックシューター』には紆余曲折があった。
『ブラック★ロックシューター』と聞いて何を連想するかは人によって様々である。無難に上記の動画を思い浮かべる者があれば、より原義に則してhuke氏に想いを馳せる者もいる。さらには『ブラック★ロックシューターTHE GAME』のcv坂本真綾BRSしか知らない者もいるかもしれないし、アニメ版の『ブラック★ロックシューター』が今ではメジャーだとも言える。いや一口にアニメ版といってもOVA版と放送版では語り口も違うし、え?今は『ブラック★★ロックシューター DAWN FALL』の時代?すみませんまだ観れてないです…
という具合でBRSには紆余曲折があったのでその説明難易度は高く、一口に「ボカロ曲」と紹介してしまうと多方面に潜んでいたBRSオタクたちからの集中砲火ならぬ集中砲石を浴びるハメになるだろう。
ここでは仔細に入らないが、当時『ブラック★ロックシューター』が何か、といったことを正しく説明できるオタクはそう多くはなかった。なんとなく、ボカロ厨は「ryoの新曲」という観念の下で「ryoのオリキャラの曲」といった誤った推論をしていたように思う。いや、それだけならまだしも、ニコ厨から見た非-教養人達は初音ミクとBRSを同一視した。つまるところ、BRSを「黒い初音ミク」だと認識したのだ。これにはボカロ厨も堪ったものではなく「いや初音ミクとBRSはそもそも別物で〜」としたり顔で非-オタクに早口で解説する様が各所で見られた。
少し飛んで『初めての恋が終わる時』に移ろう。
『メルト』投稿時、ryoが「中二P」と呼ばれていた所以の才能が遺憾なく発揮されたそのまっすぐで混じり気のない歌詞は、着飾るものが無いからこそ真に視聴者の心を揺さぶることに間違いはないのだが、それ故に中二、もといキッズを大量に招くことになった。
つまるところ動画には「好きな人に好きな人がいたので…by小3女子」「片想い辛いよ…」「ここめっちゃ共感できる」「絶対叶わない恋をしてるので」「←俺も二次元に恋してるから絶対叶わないwwwww」などの身の毛もよだつコメントが殺到し、コメントのOFFを余儀なくされた。
昔はそれでもサビに入ると「ありがとサヨナラ」職人が現れ、“ありがとサヨナラ”の文字が高クオリティなAAとなって流れていたので、それ見たさにコメントをONにしていたが、さっき見てきたらもう消えてたので余裕でOFFだOFFこんなの。
2018年にミリオンを達成した『こっち向いてBaby』は、え!?こっち向いてBabyミリオン達成2018年!?
え、そうなんだ。もっと2013年くらいにはミリオン達成してたのかと思った。全然俺がボカロ聴かなくなってから達成したんだ。へ〜。
『こっち向いてBaby』というと、『初音ミク -Project DIVA- 2nd』のPV、およびMVを思い出すオタクも多いのではないだろうか。
■PV
■MV
こっち向いてBabyはDIVA2ndのテーマ曲であるため、当時PSPでDIVAをプレイしていたユーザーにとっては慣れ親しんだ曲だと言える。PVを見てもらったらわかるように、DIVA無印時代の無機質な感じがする不気味さは消え、自信を持って「初音ミクたんは俺の嫁!」と言えるほどまで美麗になった彼女は、『ワールドイズマイン』にも通じるツンデレ的な歌詞も相まって、多くのオタクの視線を奪った。<●><●>←こっちみんな
doriko
「COLUMN⑥」で『ロミオとシンデレラ』を“誰もが認める名曲”だと紹介したが、実際ニコニコ動画においてロミシンは949万回再生(2023/03/09現在)を誇る大人気楽曲だ。
不朽の名作とはまさにいつ聴いてなにと比較してもそのクオリティが損なわれることはない。背伸びしたいじらしい少女の恋愛を歌ったロミシンは所々で韻が踏まれ、かと思えばサビではバンドサウンドが視聴者を湧かす。nezuki氏によるどこかエロティックで情感の漂うイラストは「可愛い」だけに止まらない、ゴスロリに表されるような少女の核になる想いを端的に表現しており見る者の記憶に焼け付く。
イラスト、曲、そして歌詞、三位一体となって調和の取れた作品だからこそ、どの時代に聴いても古臭くなく、時代錯誤に陥らない。朽ちない魅力を持ち続けている。
同じくdoriko氏によるミリオン曲である『キャットフード』にもどことなくロミシンの面影を感じる。
個人的に「DIVA F」のMVが大好き。
一方でdoriko氏はバラード曲のセンスを称賛される機会が多い。中でも『歌に形はないけれど』は当時の思春期ボカロ厨の涙腺を刺激した。
今でこそそうでもなくなってしまったがニコニコ動画はそのディープな性質上「Welcome to Underground」したネットオタクたちの魔窟となっており、その中には思春期真っ只中の中高生オタク達も多く含まれた。思春期真っ只中にニコニコ動画ばっかり見ている中高生にロクなやつはいない。彼らのうちのほとんどが学校生活がうまくいっておらず、毒親に対して悪態をつき、要領は悪く、「死にたいというより消えたい…」が口癖であることはわざわざ一考するまでもない事実であるが、そうした社会のはみ出し者である彼らに対しても、ニコニコ動画は居場所として在り続けた。
そんな彼らにとって『歌に形はないけれど』は肯定であった。自分ですら肯定できない人生に対する、赦しであった。『歌に形はないけれど』に限った話ではないかもしれないが、マイノリティとなり弱者の烙印を押された彼らにとって、いくつかのボカロ楽曲は救いとして働き、『初音ミク』を助かりのシンボルとして崇めるようになった。
人間とうまく付き合えない彼らは、電子の歌姫に癒しを求めるのだ。
ゆうゆ
『ワールドイズマイン』『恋は戦争』など特徴的な初音ミクのサムネイルはオタクたちの「2次元を3次元へと昇華したい」想いを受け、フィギュアとして世に送り出されてきた。
初音ミクのフィギュアを語るうえで外すことのできない楽曲がある『深海少女』だ。
深い、深い悲しみの海へ沈んでいく少女の心を歌ったシリアスな楽曲である『深海少女』の最後に訪れる「救い」にスポットを充てて制作されたグッドスマイルカンパニーのフィギュアは、深海に差し込んだ光に照らされた一瞬の煌めきを切り取ったなんとも感傷的な作品である。
『深海少女』はゆうゆ氏を代表する一曲であり、当然ミリオンを達成しているが、もう一曲『クローバー♣クラブ』を紹介したい。
『クローバー♣クラブ』は2021年にミリオンを達成しておr...え!?『クローバー♣クラブ』のミリオン2021年!?もっと聴けよ!!!!!!!!!
しかし『クローバー♣クラブ』がミリオン達成までに13年間という歳月を費やしたのには理由があるように思われる。こちらの動画をご覧いただきたい。
そう、Project DIVAにおける『クローバー♣クラブ』の初音ミクが か わ い す ぎ る のだ。
『みくずきん』と名付けられたこのモジュールは名前の通り赤ずきんをモチーフにした衣装であり、初音ミクを幼くみせるとともに『クローバー♣クラブ』の歌詞の残忍さとのギャップを醸し出している。
『みくずきん』が可愛すぎてみんなこっち見ちゃってんだ。「Project DIVA 2nd」及び「Project DIVA extend」ガチ勢だった筆者の最も好きなモジュールの一つがこの『みくずきん』である。こういうギャップに弱いんだ、オタクだから。
のぼる↑
「少女」と「鬱」は常にセットで語られる。それは、外見の上では美しい少女が抱く、憂鬱とのギャップが人々の心を掴んで離さないからだ。
のぼる↑氏の『鎖の少女』では初音ミクが鎖に縛られることで見事にそのギャップを描かれた。
「オタク」は家庭環境が悪くなくてはならない。片親ならなお良し。学校ではイジメに遭ってなければならないし、でもなぜか不良と友達でなければならない。勉強しなくても国語の点数だけは良くなければならないし、現代文のテストはテストっていうよりもは気づいたら普通に文章を楽しんでいたっていうか...
それは、オタクが、クラスのマジョリティによって排斥された「特異な」文化を好む集団であり、その「特異性」を好むということを価値に転化しなければならない構造上、必然的なことであった。
見えない鎖でつながれた少女は容易にオタクの心象風景と繋がった。初音ミクを救いのシンボルとし、そこに自分を重ねる彼/彼女たちは、「鎖の少女」と自分を同一視し、まるでこれまでの半生を語るかのように情感を込めて「誰ノ為ニ生きているのでしょうか」と声に出した。
それゆえに、当然続く『モノクロ∞ブルースカイ』もオタクたちの絶大な支持を集めてミリオンを達成することになる。
「窓の外はモノクロの世界」から始まる『モノクロ∞ブルースカイ』は『鎖の少女』同様に思春期の少年少女の外形からは判断できない憂鬱を代弁したかのような歌詞である。
しかしのぼる↑氏はそれに留まらない。『鎖の少女』では「鎖の鍵を解いて」と、『モノクロ∞ブルースカイ』では「さぁ、今、手を伸ばして」と、歌詞の最後では彼女たち自身、自らの手で明日をつかみ取るために決意を新たにしている。
のぼる↑氏の描く初音ミクは、少年少女の良き理解者であると同時に、彼らに明日を踏み出す勇気を与える指導者でもあるのだ。
そういった意味では、のぼる↑氏自身の主コメで「ちょっと実験的な歌詞です。」とあるように、同時代に投稿され後にミリオンを達成する『白い雪のプリンセスは』は、異色な曲である。
若者の憂鬱から歌詞を新たに、少女の雪のように淡い恋心を歌った本曲は、しかしさすが例にもれず初恋に人生の全てを悩ませる彼女たちのもとまで届くことになる。ていうか今ニコ動で見たけど「当時〇才」コメばっかりでほんとにオワってんだな。ほんとにオワってるよ。だから今こうして書いてんだけど。
samfree
『桜のような恋でした』を初めて聞いたときに、人生で初めて「"雅"」とはどういうことかを知った。知識でしかなかった「雅」の一字がはじめて、確かな感覚を伴って理解できたのが『桜のような恋でした』との出会いだった。
「こんな雅な曲を作るんだ。他にもきっとやわらかで切ない曲をたくさん作ってるんだろうなぁ」、そう考えた当時の私は良い意味で裏切られることになる。
同一人物!?
こんなこと誰が推測できる。『ルカルカ★ナイトフィーバー』と『桜のような恋でした』の作者が同一人物だなんて。
当時、samfreeの名を意識することなく楽曲を聴いていたため、これまで聴いてきた珠玉のバラードと通称『SAMナイトシリーズ』の作者が同一人物であることを後になって知る。
『ルカルカ★ナイトフィーバー』といえば言わずと知れた名曲である。ニコニコ動画での再生回数は579万回再生(2023/03/09現在)、「巡音ルカの名曲といえば?」と訊かれて真っ先ににこの曲を思い浮かべるボカロ厨も少なくないのではないだろうか。
samfree氏自身が投稿した姉妹曲である『たこルカ★マグロフィーバー』も81万再生(2023/03/09現在)と本家に劣るもののその人気っぷりがうかがえる。
『SAMナイトシリーズ』はGUMIによる『メグメグ☆ファイアーエンドレスナイト』、mikiによる『ミキミキ★ロマンティックナイト』、ナナによる『ナナナナ★フィーバーミラクルトゥナイト』、Lilyによる『リリリリ★バーニングナイト』、いろはによる『ネコネコ☆スーパーフィーバーナイト』、ピコによる『ピコピコ☆レジェンドオブザナイト』、IAによる『イアイア★ナイトオブデザイア』と続き、もれなく殿堂入りを達成している。しかも上記楽曲はそれぞれ、新ボカロがリリースされた際の「初めてのオリジナル曲としての殿堂入り」を果たしている。まさに偉業である。
そんなsamfree氏であるが、2015年9月24日に急逝していたことが公表された。当時、まだギリギリでボカロ厨だった筆者としてはこれから新しい『SAMナイトシリーズ』楽曲を聴くことはもう二度とないのかと悲嘆に暮れるとともに、ここに一つのボカロの時代の終わりを見たのである。
Neru
「鏡音リンを使うボカロPといえば?」この問いかけにはいくつかの返答が想定できるが、個人的にはNeruの名をあげたい。
繰り返しになるが私は2015年にボカロ厨を引退しているので2016年以降のNeruの楽曲を知らない。それでも時たまTwitterで流れてくるNeruのバズツイに思いを馳せ、「たまには『ロストワンの号哭』の訓練されたコメントでも見るか」という気持ちに度々させられた。それほどまでにNeru楽曲は骨身に染みているし、鏡音リンの歌声を思い浮かべるとき、そこには『東京テディベア』や『再教育』が流れているのだ。
ということでNeruといえば『東京テディベア』を真っ先に思い浮かべるオタクが多いのではないだろうか。
ゆうゆ氏の項で取り上げなかったが『天樂』などで確立された鏡音リンとロックの親和性はNeru氏によってより洗練された。下田麻美に由来する鏡音リンの高めのボイスはとりわけパワフルな声が要求されるロックと抜群の相性を誇る。
続くミリオン楽曲である『ロストワンの号哭』においても、その強みは遺憾なく発揮されている。
『ロストワンの号哭』名物といえばその訓練されたコメントである。サビ中の歌詞、「黒板のこの漢字が読めますか」に対しておよそ常用漢字ではない難読な漢字が、「そろばんでこの式が解けますか」に対してどう考えてもそろばんで解くには不適な数字の羅列が画面を横切っていた。と思って今見返したらかろうじて「面積比の公式言えますか」に対応したコメントが流れるだけでほとんど消えてた。オワりやオワり。
トーマ
「カルト的人気」という言葉がある。決して万人受けするわけではないが一部の同じ感性をもつ人間からは熱狂的に支持される、そんな人物や作品のことを言う。ボカロ界広しといえども、「トーマ」ほど「カルト的人気」という言葉がふさわしいボカロPはいないのではないだろうか。
徒に言葉を並び立てるより聞いた方が早い。『バビロン』はトーマ氏にとって初の殿堂入りとなった作品でありミリオン達成楽曲である。
初めから最後まで突き抜ける疾走感、突如訪れる転調、晦渋な歌詞により作られる独特な世界観は大衆に迎合されないものこそより好むオタクの性癖にぶっささり以降、トーマ氏の投稿する楽曲は全て殿堂入りを果たすようになる。
よりキャッチーな曲調へと変化した『骸骨楽団とリリア』は『バビロン』でトーマ楽曲を忌避していたボカロ厨にも受け入れられることになる。
『バビロン』と比較してわかりやすくなった歌詞、わかりやすい落ちサビ、乗りやすいサビはトーマの名を一躍ニコニコ動画全体へと広めた。
ただ、まぁなんというか...こんだけ書いといて今更言いづらいんですけど僕あんまりトーマ聴いてこなかったんですよね。さっき「決して万人受けするわけではない」「カルト的人気」って書いたけど、イマイチ自分のアレとはアレしてたんだちょっとアレだったんで正直『オレンジ』とか『ヤンキーボーイ・ヤンキーガール』も今初めて聴きましたわ。でもトーマがニコ動に現れて”期待の新人”キタ!!!って界隈湧いてた時の感じはまだ覚えているよ。
そんな私でも『エンヴィキャットウォーク』、これだけは外せない。
トーマ初のミリオン達成曲である『エンヴィキャットウォーク』、これだけは当時からドハマりした。特に「Project DIVA」でMVを見た時は戦慄した、なにもかもが完璧すぎて。
曲はもちろん、アニメーション、振付、そして黒猫をモチーフにした前髪ぱっつん黒髪ロング猫耳初音ミクはもうやり過ぎ。原型保ってないって言われそうだけどうるせえ、電子の歌姫だからいいんだよ。間違いなくDIVAで一番好きなMV。譜面もめちゃくちゃ楽しい。「EXTREME」レベル9.5なので音ゲーマーじゃないとおそらく「FAILED...」落ちすると思うが腕に自身のあるゲーマーは是非ACで挑戦してみてほしい。
nightシリーズ
オタクとは考察する生き物である。考察するパンピーを見たことがない。それはそう、探求心を抱いた時点でその人はなんらかのオタクとして成立するのだ。そんなオタクたちにドデカい餌がばら撒かれることになる。それが『nightシリーズ』だ。
総勢8名のVOCALOIDで織りなさせる楽曲はまるでミュージカル、不思議な館に迷い込んだミク達がループするストーリーが全4曲に渡って描かれている。
これまでもストーリー形式の楽曲はいくつか存在していた。代表的な例として『人柱アリス』などがあげられるだろう。歪Pのデビュー曲である『人柱アリス』はで200万再生を超える大人気楽曲で様々な解釈がなされている。じゃあなんで人柱アリスは解説しなかったの?それは僕がそんな好きじゃなかったから...
nightシリーズは基本的にキャラクターたちのセリフが歌詞として落とし込まれている。それによって説明的ではなく、クドくない。「物語」以前に、しっかりと「楽曲」として楽しむことができる。加えて章を追うごとにMVのクオリティも上がっていく。まぁ正直言って『nightシリーズ』もそこまでどハマりしてたわけじゃないから小説も買ってないし全然考察もしてないんだけど考察大好きな考察ジャンキーにとってシリアスなミステリーをテーマにループまでする『nightシリーズ』は飛び切りのご馳走であった。
とりわけ第二章に相当する『Crazy ∞ nighT』はラスサビの盛り上がりが尋常でない。私のように「『nightシリーズ』の物語自体はそこまで興味ないけど曲は好き」といったライトなファンも結構いたのではないだろうか。
余談だが『Bad ∞ End ∞ Night』はmaimaiの譜面が楽しかった。maimaiやってたころはこればっかやってた。個人的にはmaimaiにも踊ってみたじゃなくて曲のMV使ってほしかったけど、それは踊り手に失礼だというものだろう。
うたたP
VOCALOIDは数多くの楽曲が書籍化されてきた。なかには「そんなものまで!?」と言いたくなるような楽曲も含まれていたが『こちら、幸福安心委員会です。』もその一冊に数え上げてもよいのではないだろうか。
この曲を聴くだけで恥ずかしくなり死にたくなるオタクも少なくないだろう。なぜか、『こちら、幸福安心委員会です。』は『マトリョシカ(96猫&vip店長 ver)』に負けずとも劣らない「黒歴史製造機」として機能してしまったからだ。
露骨な宗教色、突如ぶち込まれる演説、死因の列挙や最後の「死ね」に代表される安易な死の要素。若さゆえの豪気、無知ゆえの大胆さ、勇気も中庸を欠けば無謀であり、自尊心のそれは虚栄である。賢人アリストテレスが探求心からコメントを見てしまった暁にはリュケイオンの歩廊で卒倒すること必定、自然科学の進化が数百年は遅れることになっていただろう。
『こちら、幸福安心委員会です。』の流行った2012年はそれはもう恐ろしい年だった。日本全国各所の中高では昼休憩に『こちら、幸福安心委員会です。』を流したという実績を作ろうと躍起になった。複数人で行われるカラオケで空気を読まずに「幸福なのは!w」と歌えば勇者のようにもてはやされた。あちこちでアジテーションまがいの中身のない演説を披露し、学期初めの委員会決めでは「おれ幸福安心委員会入るわ...w」と謎の宣言。そしてそれら諸々の活動報告がコメント欄を埋め尽くした。末法とはこのこと、この世の地獄である。今、この文章を書いている最中においても気分が悪くなり、死にたくなってきた。なんであんなことしたんだろ。
以降、『幸福シリーズ』と名前を改めて、いくつかのストーリー性のある楽曲が投稿されることになる。
『永遠に幸せになる方法、見つけました。』もそんな楽曲の一つだ。
幸福安心委員会ほどではないがこちらも「黒歴史さ」でいったらそこら辺のボカロ曲を軽く凌駕している。本曲は”秘密のコトバ”を一言一句間違えずに復唱しなければならない”罪状ゲーム”を強いられるストーリーが展開される。その”秘密のコトバ”とは
である。
オタクであるならばこんなよくわからないフレーズが、いや、こんなよくわからないフレーズだからこそ教養化することは想像に難くない。「キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード」、「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」、無意味に長いフレーズを覚えることはわかりやすいオタクの異常性の開陳である。オタクは、よりオタクであるために”秘密のコトバ”を覚えることに躍起になり、廊下や教室、場所も時間も選ばずにただ一心にフレーズを唱え続け、そんな姿を野球部にバカにされようとそれすら倒錯した快感へと変換した。
うたたP楽曲の黒歴史性を語るとキリがないので『幸せになれる隠しコマンドがあるらしい』に触れて次に行こうと思う。
歌詞を見てもらえればわかるように”隠しコマンド”と言いつつ明らかに音ゲーを意識した本曲は『CHUNITHM』、『オンゲキ』、『maimai』、『SDVX』、『DDR』と様々な音ゲーに実装され、歌詞を再現した譜面が作られた。それゆえに「『幸福シリーズ』は知らんけどこの曲だけは知ってる」という音ゲーマーも多い。ボカロ曲を語るうえで音ゲーを避けては通れないのだ。
n-buna(ナブナ)
ここまでいくつか音ゲーの話題が出てきたが、両手を上に挙げ左右を交互に叩く動きはアーケード音楽ゲーム『maimai』の『ウミユリ海底譚』の譜面だと誰もが知るところとなる。
n-bunaは初のミリオン達成が2015年と比較的新しいボカロPだ(といってもインターネット老人から見た"新しい"だが...)。前述した『ウミユリ海底譚』は(おそらく)手書きのMVもさることながら初音ミクの調教の素晴らしさにも着目したい。初音ミクAppendを使用した優しく繊細な歌声にみられるn-bunaの調教にはどこか儚さを感じる。『深海少女』を連想する世界観と歌詞の切なさは、これまでのボカロ曲のエッセンスを抽出し、ボカロ界に新たな風を吹かせた。再生回数なんと886万回(2023/03/09現在)。真似したくなる中毒性のある譜面にも恵まれ、n-bunaを代表する曲となった。
そしてもう一曲、『透明エレジー』も紹介しておこうと思う。
『透明エレジー』は『ウミユリ海底譚』と違って初音ミクでなくGUMIが使用されているがまたも特筆すべきはその調教である。サビ前に顕著に表れている、細かく揺れた、まるで泣いているかのような歌声は歌詞・曲・MVに次いで調教で視聴者の感情を揺さぶる手法を確立した。「透明哀歌」とあるように、歌詞をそのまま反映したかのような歌い方に、当時のボカロ厨はみな驚愕を隠せなかった。
164
164といえば『天ノ弱』、『天ノ弱』と言えば164、これは誰にも覆すことのできないボカロ界の黄金律であり、それほど『天ノ弱』というこの曲はニコニコ動画に一大センセーションを巻き起こした。
再生回数は2023年3月9日現在で951万回再生、VOCALOID神話入り直前の大ヒット曲である。
鳥越タクミ氏の全体的にモノトーンで無機質なイラストとGUMIの歌い上げるパワフルなロックのギャップに数多のオタクが打ちのめされた。VOCALOIDの人気曲がみなそうであるように、若年層の心情に寄り添った歌詞はしかしそれだけではなく、「天邪鬼」そして「天性の弱虫」と掛け合わされたタイトルにあるように言葉遊びが楽しい。「メリーゴーランド」から始まった遊園地にいるかのような楽しい転調はサビにかけて一息に加速し、ラスサビの転調で盛り上がりは最高潮に達する。
24作目にしてはじめてのミリオンを達成した164の『天ノ弱』は経験と感性に裏付けされた不朽の名作といって差し支えない。
40㍍P
164氏を語るうえで欠かすことのできないキーパーソンがいる。それこそ40㍍Pである。
言わずと知れたボカロ界の巨匠、ミリオン曲は2023年3月9日現在で13曲に上り、新曲が投稿されるたびに「週刊VOCALOIDランキング」を賑わせた。
40㍍Pと164の関係は「1640mP」というプロデューサー名に集約されている。
『タイムマシン』では作曲を40mP、作詞を164が、『未来線』では反対に作詞を40mP、作曲を164が手掛けることによって生まれた奇跡のコラボレーションはニコニコ動画を震撼させた。
40㍍Pが40㍍P由縁である巨大な初音ミクは40mどころか634mの高さを誇るスカイツリーを大きく上回りまさしく1640m規模に生まれ変わった。それでいて『巨大少女』と変わらないタッチを残したぎた氏による爽やかで夏を感じるイラストはオタクたちに郷愁を感じさせるとともに、さらに成長したボカロP両名に対する一層の期待を抱かせた。
『タイムマシン』では164氏特有の、等身大の若者の心情が反映された歌詞に、40mPの爽やかなサウンドが混ざり合い、切なさを感じる楽曲に仕上がっている。
対して164氏によってロック色を強くした『未来線』は自分を見つめることで生まれる40mPの直接的な心情の吐露とあわさり我々の感性をダイレクトに揺さぶる。
1640mPは互いの持ち味を余すことなく活かし、その結果『タイムマシン』はボカロPコラボ曲で初となるミリオンを達成する。
ということで1640mPの話を終え、やっと40㍍Pの話に移る。
まずは『Melody in the sky』から始めようと思う。
40㍍Pを語るうえでこの曲は外せない。なぜならサムネに写りこむ「遠近法により40㍍に見えるミク」によって「40㍍P」というプロデューサーネームがはじめて決定したからだ。
初音ミクの巨大化は止まらない。ぎた氏のイラストの部分で前述した『巨大少女』では主コメに「今回は40mどころの騒ぎじゃありません。」とあるように、歌詞では「だから もっともっと 高く高く 宇宙から見てみたいよ 世界の景色」と歌われている。身長インフレが進み過ぎである。
DIVAでは40㍍規模に巨大化した初音ミクがあたかもウルトラマンのように怪獣と戦闘する様子が描かれている。これもう『ウルトラマン ファイティング エボリューション』だろ。
「第三次性徴期」をキーに少女の成長と不安を描いた『巨大少女』のように40㍍Pの作詞は異なる二つの要素を合わせたものが多い。ここでは3曲だけ紹介することにする。
『トリノコシティ』は40㍍P楽曲中3番目に再生回数の多い楽曲である。スタッカートを効かせた特徴的な歌い方は「自分だけどこか 取り残された」という歌詞の語感と絶妙にマッチし、どこか楽しい印象を与えるが『トリノコシティ』というタイトルに表れているように空気は暗い。
謎に実写映画化された、観てないけど。DIVAのMVに金田バイクのスライドブレーキシーンがあった気がしてたけど全然なかった。
『からくりピエロ』は40㍍P楽曲で最大の再生回数を誇り、2023年3月9日現在その数は664万を記録する。
ピアノを基本にジャズチックで緩やかな旋律の本曲だが、その歌詞はとりわけ直接的な内容となっている。「これが悲しい僕の末路だ。」と主コメにあるように、恐怖からの脱却や未来への希望が描かれることはなく、たどり着いた少女の末路で心情が吐き出される。
2011年、ボカロが隆盛を極めていた当時に現れたオシャレなボカロソングは、VOCALOIDに新たな一面を与え1年足らずでミリオンを達成する。
さて、3曲目は個人的に思い入れのある曲だ。
40㍍P楽曲の再生回数で7番目に位置する『ドレミファロンド』を取り上げるのには理由がある。当時のニコニコ生放送の女性生主全員これ歌ってたからだ。
3曲だけと断ったが音ゲーマーとしてこれだけは付記しておこう。
『だんだん早くなる』とタイトルが物語っているが、だんだんと曲のテンポが早くなる。驚くべきことにBPMの変化する回数はなんと46回!(ChordWiki参照)
90から160までテンポの乱高下を繰り返す本曲は当然音ゲーマーに歓迎され『CHUNITHM』に実装を果たす。にもかかわらず曲のテンポが早くなるだけで『太鼓の達人』みたいにノーツが早くなったりはしないのでそこまで曲の早さを実感しない。BPM200超えの世界に慣れ親しんでしまった音ゲーマーの悲しき性である。
KEI
オタクたちの有象無象から湧出したボカロ文化はとりわけ彼らの心情に寄り添った歌詞が人気を集めた。その中でもKEIの作る爽やかなサウンドと自己肯定の歌詞は若年層から働き人まで、ニコ厨なら誰でも受け入れる包容力を持っていた。
ボカロでピエロといえば『からくりピエロ』の次にこちらの楽曲を連想するのではないだろうか。「大丈夫、大丈夫」と繰り返される『ピエロ』の歌詞は徹底的な自己肯定であり、自己のなにか一つでも肯定できなかった結果ニコニコ動画にたどり着いたオタクたちの胸を打った。
『ピエロ』で涙した当時のボカロ厨たちも、今ではこちらの曲のほうがリアリティをもった泣き曲になってしまったのではないだろうか。「B4の紙切れに収まる僕の人生を」とあるように、確かな現実感をもった歌詞の『Hello, Worker』は、そのタイトルが語るように、いつの間にか”社会人”と呼ばれるようになってしまったボカロ厨を肯定する他の誰でもない、俺たちのことを歌った俺たちの曲として親しまれた。
個人的に『走れ』には幾度となく勇気づけられた。
「気付いたときにはもう与えられてたゼッケンナンバー 参加しますなんて一言でも言った覚えはない」から始まる本曲は若かりし頃の多感が作り出した反出生に対する羨望と容易に噛み合った。自己肯定だけに終始せず、「まだ終わらせやしない」と最後に明日への気概を歌う歌詞は多くのオタクを勇気づけ、味方になった。
ささくれP
言うまでもなくVOCALOIDは電子音楽であり、"電子"の語感は簡単にチップチューンのサウンドを連想させる。そしてボカロのチップチューンサウンドといえば、この人の右に出る者はいない。
ささくれPを知らない新参ボカロ厨もアーティスト名である「sasakure.UK」の文字には見覚えがあるのではないだろうか。中でも『トンデモワンダーズ』はプロセカを宗教上の理由からインストールできない私ですら自然とハマり、数年ぶりにボカロ楽曲を聴くことになる(しかし「セイキンダンス」の影響によるものだが...)。
『終末シリーズ』についても語らなければならないだろう。その名の通り「終末」をテーマにしたこれら4曲はシリーズとしてだけではなくそれぞれ単曲としても支持を集め、4曲すべてのミリオン達成という偉業を果たす(終末シリーズの詳細な説明はニコニコ大百科に譲る)。
中でも全編に渡ってレトロゲームライクのドットのMVが採用された『*ハロー、プラネット。』は2023年3月9日現在で542万回再生を記録する大ヒットソングとなった。人生で初めてのチップチューンとの出会いをここで果たしたボカロ厨も少なくないだろう。
しかしこんなnote書いてるくらいだからもうお気づきだとは思うが、やっぱりどうしても、やっぱりね、『39』が好き。
「初音ミク生誕5周年をお祝いするアニバーサリーソング」という位置づけの本曲はsasakure.UK氏とボカロ界の巨匠「DECO*27」によるコラボ楽曲である。
初めてこの曲を聴いたとき、ボカロを愛し続けてきたことに対する「ご褒美」だと感じた。初音ミク、その人に注ぎ続けた愛に対するお返しだと思った。「声に出して 39」とあるように、初音ミクから我々に、そして我々から初音ミクに対して贈られる感謝の言葉はニコニコ動画を通して両者を繋げた。DECO*27のコーラスと「あれ、なんだかアタシの名前みたい(笑)」と笑う初音ミクには涙をさそわれる。
ヤスオPの『えれくとりっく・えんじぇぅ』で芽生えた初音ミクから我々に対する自我の萌芽は、後述する『Tell Your World』によって一つの到達点へと達する。そして初音ミクとボカロ厨との間に交わされた”接続”は『39』へと引き継がれていくのだ。
DECO*27
とくるとDECO*27を語らなければならないだろう。
DECO*27と言えば押しも押されぬ大人気ボカロPで主に中高生から人気を集める。
「DECO*27ってデコニーナって読むんや」と漏らす非ボカロ厨の言葉をどれだけ聞いてきたか知れない。
VOCALOIDオリジナル曲のミリオン数は単独で1位、全ての楽曲で殿堂入りを達成していることからもその人気ぶりがうかがえる。
ボカロ黎明期から活動してきたDECO*27だが特に2015年以降の活躍は目覚ましい。2016年に投稿された『ゴーストルール』は一時期ボカロ楽曲の代名詞的存在だった。
DIVA ARCADEに『ゴーストルール』が実装された時は祭りだった。あれほどの賑わいは2017年にDIVA入りを果たしたハチの『砂の惑星』まで待たなくてはなるまい。それもそのはず、なんと『ゴーストルール』の再生回数は1000万回を記録し、いまだ13曲に留まる「VOCALOID神話入り」を果たしている。
そしてDECO*27のテンミリオン楽曲といえばもう1曲、『モザイクロール』を忘れてはならない。
DECO*27初のテンミリオン達成曲である『モザイクロール』は、またDECO*27初のミリオン達成曲でもあった。また『モザイクロール』がGUMIオリジナル曲初のミリオン達成曲でもある。
続く『愛言葉』、『二息歩行』、『弱虫モンブラン』とともに、これらは初期DECO*27を代表する楽曲となった。
■愛言葉
■二息歩行
■弱虫モンブラン
初期DECO*27は比較的ゆったりとした曲調の中で若者の苦悩を歌い上げるものが多かった。名だたるボカロPと同様にDECO*27においても、居場所のない少年少女たちの心を代弁することで今のキャリアの土台を築いた。
中期DECO*27は上述した『ゴーストルール』に見られるように、アップテンポで激しい感情の高まりを表現するものが多く現れた。この時期には『妄想税』、『ストリーミングハート』などストーリー性をもった楽曲も多数投稿された。特に『ストリーミングハート』からは『ゴーストルール』で開花することになる才覚の萌芽を感じさせる(個人的には『ストリーミングハート』がDECO*27で一番好き)。
■妄想税
■ストリーミングハート
後期DECO*27楽曲は前期DECO*27と中期DECO*27の特徴を併せ持つものが多く作られた。中でも『ヒバナ』および『乙女解剖』は700万回再生を記録する大ヒットソングとなる。
■ヒバナ
■乙女解剖
美麗なイラストにキャッチーな曲調はニコニコ動画を主戦場にする歌い手や踊り手に留まらず、YouTuberや配信者の目にも留まった。心の内を語った歌詞はより技巧に秀でたものとなり、現代人の耳に馴染むサウンドが奏でられた。
この頃には初期DECO*27楽曲と地続きとなる曲も誕生した。わかりやすいものだと、全ての女性生主が歌っていた『愛言葉』は、2013年に『愛言葉Ⅱ』が、2018年に『愛言葉Ⅲ』と続いた。人気曲『二息歩行』には『アンドロイドガール』が対を成した。
DECO*27の勢いはまだ止まらない。2021年に投稿された『ヴァンパイア』はぴえん系や地雷系に代表される現代のインターネットの趣向と合致した。ボカロ厨、Youtuberはもちろんのこと、全てのVtuberがオマージュサムネを作成し、この曲をカバーした。
旧態依然を良しとせず、常に流行を取り入れ、積み上げてきたエッセンスの下で作られるDECO*27楽曲は、だからこそ時代や文化の壁を越えて多くの人々に愛されるのである。
ナユタン星人
ナユタン星人はボカロ老人感でなくとも新しい時代のボカロPである。初投稿の『アンドロメダアンドロメダ』は2015年7月に投稿されており、筆者がボカロ厨引退までもう秒読みの時期に入っている。
それではなぜナユタン星人について語る言葉を持っているのか、それはナユタン星人があまりにも、あまりにもキャッチーなボカロPだからだ。
ナユタン星人楽曲どれか1曲でも聞けばわかる中毒性の高いデジタルサウンドに新たな時代を予感せずにはいられなかった。特にナユタン星人初のミリオン達成曲となる『エイリアンエイリアン』と3曲目のミリオン達成曲『ダンスロボットダンス』の中毒性は凄まじく、どちらも投稿から半年を待たずにミリオンを達成した。
■エイリアンエイリアン
■ダンスロボットダンス
『ダンスロボットダンス』の再生回数は800万回に上りナユタン星人を代表する曲となった。その要因はいくつか考えられるが、ニコニコ動画のMAD文化と抜群の相性の良さを誇ったことが一因としてあげられる。
音MAD向きなサウンドは音ゲー向きなサウンドであることも意味する。ナユタン星人楽曲は様々な音ゲーに収録され、その中毒性から数多の音ゲーマーをボカロ沼へと招き入れた。
■ダンス首絞めダンス
■ダンスここすきダンス
■シャチョーカイバシャチョー
ピノキオP
ボカロ黎明期から現代まで活躍する長寿のボカロPは数多くいるが、その中でもピノキオP(現、『ピノキオピー』)ほど個性的なボカロPを他に知らない。
「ピノキオ節」で知られるピノキオP独特のこぶしはボカロ厨に新しい音楽体験を齎した。聴く人全てを心地よくさせる独特なサウンドと、毒の効いた歌詞は他のボカロPとはまた違った世界観を見せることになる。
『腐れ外道とチョコレゐト』を一聴きすればその特異性を垣間見ることができる。グロテスクなサムネとピー音だらけの歌詞。高いBPMとガチャガチャしたデジタルサウンドはピノキオピー特有の音楽性を感じるのに十分だろう。
オタクはこぞってカラオケに集まり、「腐れ外道」を選曲するもピー音が流れずに「おいちょっとこれピー音が流れるのがいいのになんなんだよおいちょっとー!w」っと要らないこだわりを披露した。今はどうなってるか知らない。キー高くて歌えなくて入れないから。
『マッシュルームマザー』からはこれでもかとピノキオ節を感じ取ることができる。
線画のイラストと単調動作を繰り返すピノキオPオリジナルキャラクターである「アイマイナ」ちゃん、なぞにぬるぬる動く黒い人から発せられる「電波」に洗脳されてしまったボカロ厨も数多い。
今では信じられないことだが、当時は2chを病巣に嫌韓の空気がインターネットを包み込んでおり、『マッシュルームマザー』の歌詞考察キッズによって「キノコ=韓流」の等式が打ち立てられていた。まさかこんなに韓流が流行るとはなぁ。
『すろぉもぉしょん』の時代に入るとピノキオPの絵だなぁと感じる。作詞作曲調教はもちろんのこと、イラスト、動画まで本人が務めているというので驚きである。『腐れ外道とチョコレゐト』や『マッシュルームマザー』は極めて風刺的な歌詞であったが、『すろぉもぉしょん』では個人の激情がコミカルに歌われており、後に続く『すきなことだけでいいです』の萌芽を感じる。
『すきなことだけでいいです』ではそのタイトルが示すように好きなことだけをして生きたいという欲望がこれでもかと歌詞に反映されている。しかし、それと同時に「全人類が幸せになったら宇宙が迷惑するから」と、好きなことだけで生きていきたいという欲望が極めて利己的で、非現実的な願いだと自覚している理性をも併せ持つ。この、欲望と理性との間で板挟みになり、現実的な打開策も見いだせないままになぁなぁで生きてしまう感覚は現代人は強く共感を覚えるのではないだろうか。かく言う私も2016年に投稿されたこの曲を知ってる理由もあまりにも曲調と歌詞がぶっささりすぎて全ボカロ曲の中でこの曲が一番好きと言っても過言に...まぁそれはさすがに過言ですがすくなくとも『すきなことだけでいいです』が全ボカロ曲の中で最も良い曲なんじゃないかと思う瞬間があることを否定できないくらいには好きだからです。西野カナ聞いて「これ...わたしだ...」って呟いてる女子高校生と全く同じバイブスで聴いて涙を流しています。
2015年に投稿された『はじめまして地球人さん』はピノキオP楽曲の中でもとりわけ特異な曲である。極めてポップな曲調とキャラクターとは対照的に確かに混入している死を薫らせる不穏な要素がまるでゲームのバグのように楽曲中に這いまわっている。この、楽しげな空気と風刺の効いた毒の二面性、ギャップはピノキオP独特の魅力であるが、『はじめまして地球人さん』においてその才能は一つの"極地"に達したように思う。ボーカロイド楽曲における、明るさの中の不穏表現でこの曲以上の作品を私はいまだ知らない。
さて、現在も精力的に活動しているピノキオPであるが、2021年に至って爆発的ヒット曲を生み出すことになる。それが『神っぽいな』だ。
サムネを見た瞬間にわかる、「この曲は伸びる」感。なんか最近神なんたらとかいうボカロ曲が流行ってるらしいと知り、なんとなくサムネを見て戦慄した。この期に及んでピノキオPが現代の若者にバカ受けする"この作風"でサムネを描き、曲を作れることに対して。驚異的なアンテナの感度、衰えない創作のエッセンス、「DECO*27」で散々褒めたたえた旧態依然を良しとしない態度が、『神っぽいな』から隠しきれないほどにじみ出ていた。
当然全てのvtuberがサムネを差し替え歌ってみたを投稿する。多感故に"神"や"死"といった強いワードを使いたがる中高生の琴線にぶっ刺さる。近い将来訪れるであろう空前の「神っぽいなブーム」を予見した時には既に、私の知らないだけで若者のコミュニティの中では「ピノキオピーといえば『神っぽいな』」の共通認識が出来上がっていた。
102作もボカロ楽曲を作っているとここまでなのか、ここまで至ることができるのかと、インターネット老人はただただ「神っぽさ」を歌うホンモノの神の前にひれ伏したのだ。
みきとP
みきとPといえばどの曲を思い浮かべるだろうか、私は真っ先に『小夜子』を挙げる。
なぜなら当時の女性ニコ生主全員これ歌ってたからだ。『ドレミファロンド』や『愛言葉』の時にも言ったけど、『小夜子』の女性生主人気は一線を画していた。
男オタクと女オタクは決定的に違っていた。男オタクはどこまでも無いものを願った。存在しない"初音ミク"という彼女、ぶつける相手のいない欲望、部屋に引きこもって存在しないあなたを想う。女オタクはどこかで現実と繋がっていた。彼女たちは全く無益な願いを抱かない。願いはいつも現実をよりよくするために捧げられた。ニコニコ生放送というプラットフォームで、コミュニティを作り、リアクションを得ていること自体、承認欲求の現れという側面を持っていた。
『小夜子』の歌詞はあまりにも現実的な女の感情を歌っている。今でいうところの「メンヘラ」な「かまってちゃん」を、ディティールの細かさを武器に歌った『小夜子』はどこまでも歌詞と現実がリンクしており、女性ニコ生主の心の隙間に見事に合致した。
そして現実には存在しない花澤香菜に似た声を持つ女性からの癒しを求めて、私のようなオタクは日夜ニコニコ生放送を徘徊するのだった...
実際のところみきとPといえば『いーあるふぁんくらぶ』だろう。いや『ロキ』だろって?若者の曲はよくわからんので...
ピノキオPの項目で若干触れたが、当時はインターネット中に嫌韓の空気が流れており、それに伴い中国に対する嫌悪感も無視できないほど膨れ上がっていた。中国、および香港や台湾に触れる『いーあるふぁんくらぶ』においても投稿当初はアンチ中国の波に揉まれコメント欄はそれなりに荒れていた。しかし、あっという間にミリオンを達成し、中国文化に嫌悪感のない若者の間で爆発的に人気となった本楽曲は、アンダーグラウンドに巣くうアンチ中国の波を押し返し、2023年3月9日現在で再生回数は765万回再生を記録した。
続く、ミリオン達成楽曲である『サリシノハラ』も一波乱を起こした。
『サリシノハラ』という楽曲名はAKB48元メンバーの「指原莉乃」氏のアナグラムとなっている。実際にアナグラムを意識して作成されたのか真偽は不明だが、ボカロ厨とAKBオタクの相性は抜群に悪く、AKBアンチによるバッシング、荒らしが日常的に行われていた。
何度もバッシングの波に揉まれ、そのたびに押し返してきたみきとP楽曲には、好きを貫く作者の意志の強さを感じずにはいられない。
さつき が てんこもり
ここからは何人かの「ネタ系」のボカロPに焦点を絞っていく。
「さつき が てんこもり」はボカロはもちろんのことアキバ系のリミックスや作曲の分野においても広く知られる。特に有名なのは公式に逆輸入もされた『【ファミマ入店音】ファミマ秋葉原店に入ったらテンションがあがった』だろう。
ガチでわざわざこの場で書くことでもないが淫夢厨であることを告白しており(隠しておらず)、なんとクッキー☆声優のYMN姉貴の楽曲を手掛けた経験もある。たまげたなぁ...
しかしあくまでこのnoteの主目的は初音ミクもといVOCALOIDの軌跡を追うことなのでボカロ楽曲に立ち返ろうと思う。
ボカロPとしてのさつき が てんこもり氏の代表曲といえばこれをおいて他にはない。
MMORPGをテーマに作られた『ネトゲ廃人シュプレヒコール』の歌詞に多くのボカロ厨が涙した。なぜなら2010年にニコニコでボカロ聴いているやつなんて昼間っからネトゲしてる引きニートか痛いキッズしかいなかったからだ。今みたいにファッショナブルな存在じゃなかったんだよ、ボカロは。
「ネトゲ廃人」とあるように歌詞ではネトゲーマーがあるあると共感してしまうシチュエーションが歌われている。動画中のコメントではブロントさんをはじめとしたネトゲの名言やサ終報告が書きこまれることも多い。
いつになっても着飾ることなく、常に「俺たちの味方」であり続けてくれる身近な存在だからこそ、さつき が てんこもり氏は根強い人気をほこるのだ。
ギガP
面白い動画とはなんだろう、答えは男子諸君が視線を少し落とすだけで得られる。
それはち〇ち〇だ。〇ん〇ん。笑いの答えはちん〇〇に全て詰まっている。
笑いをとるには〇〇ちん。一にも二にもちんち〇。ち〇んちんを制したものが笑いを制すると言っても過言ではない。
そんなノリで作られたとしか思えない曲が470万回以上再生されているのだから凄い。
『ギガンティックO.T.N』というタイトルもさることながら「おっちん」から始まってしもとるし言い訳をする気がまるでない。しかしこれが良い曲なのでなんとも悔しい。
もはや全てのオタクがカラオケと放送室に殺到してキシキシと笑っていたことは言うまでもない。黒歴史を思い出すからこの曲を聴きたくないというオタクも少なくないだろう。当時は全てのメガネをかけている女子が『ギガンティックO.T.N』を聴いていたし、一人の例外もなく全員黒縁メガネだった。
正直言って当時はギガPに対して上記と『おこちゃま戦争』のイメージしかなかったため『ヒビカセ』が投稿された時はそれはもう驚いた。この曲を?ギガが?マジ???
"初音ミク"をテーマに、「私の声」を「ヒビカセ」と歌う歌詞には多分にメッセージ性が盛り込まれている。
『ギガンティックO.T.N』とほとんど対極にある重厚感のあるダンスミュージックとシリアスな歌詞に正直ドハマりしたしDIVAもめちゃくちゃ叩いた。初音ミク"を"歌う曲に本当に弱い。だって、ほんまに、「魅了されていく」んだもん。聴けば聴くほど『ヒビカセ』に、初音ミクに。
おにゅうP
まずはおにゅうP楽曲の楽曲名をご覧いただきたい。
祝ってやる
J( 'ー`)し カーチャン
ガチャまわせ
キンタマにハッカ油を塗ったなら
クソゲー実況プレイ
シャブ漬け
世界はおっぱいに満ちている
裸だったら何が悪い~sing go~
般若心経ポップ
これはおにゅうP楽曲の一部だが、その一部を垣間見ただけでもネタ曲の宝庫であることがおわかりいただけるだろう。
おにゅうPの楽曲には独特な着眼点の含まれるものが多い。特に『般若心経ポップ』は一般人になじみのない「般若心経」を、一般人が馴染むことによって生じる「ポップ」の音楽ジャンルによって再編した曲になっており、その特異性が話題を呼び2023年3月9日現在、おにゅうP唯一となるミリオンを達成している。
『般若心経ポップ』にはロックやR&Bなど様々な派生アレンジが存在する。『般若心経ポップ』を皮切りにしたのかどうかはわからないが、空前の般若心経ブームを巻き起こすことになり、ニコニコ超会議では『超テクノ法要Remix』とあるように般若心経とテクノが融合した。
おにゅうPにネタ曲メーカーのイメージを植え付けておいてなんだが、それだけで終わらないのが同氏の魅力である。おにゅうP楽曲は一見、ネタに振り切ったように見えてその実、鋭いメッセージ性を孕んだ謎の感動を伴なうものが多い。
ミリオン入り間近でDIVAにも収録された『神曲』も、曲のタイトルが指し示している通り、遍く中のたった一つの曲が"神"とまで呼ばれる構造に対する批判と、しかし、こんなものに救われている私たちという俗なまでの現実が歌われている。
ちなみにDIVAにおける『神曲』のMVでは初音ミクがまるで神であるかのように扱われている。"髪のように薄く散ってくかもしれないが 私はこんなもので救われるのですから"とあるように、初音ミクを救いのシンボルとする浅はかさと、しかしその信仰によって排他された生活に耐えて生き延びることができている現実という二面性がここでも表現されている。
"一風変わった曲では"、というマイルドな言い回しが許されるのならば、この曲も紹介しておかなくてはなるまい。
『例ノアレ』は文字通りニコニコ動画における「例のアレ」が詰め込まれた楽曲となっている。ちなみに筆者はこの楽曲に採用されている全ての元ネタを解説することができる、履歴書には書けないタイプの特技だ。
『神曲』とはまた違ったベクトルだがこの曲も「謎の感動」を内包しており、ビリー兄貴と初音ミクと野獣先輩が「レ淫ボー共同戦線」を結ぶラストシーンで最高潮を迎える。歌詞の意味するところはほとんど『神曲』と変わらない。「汚い神曲」とも言えるだろう。
投稿された当時から「すぐに消される」と誰もが確信しており、視聴者は視聴日時をコメントすることでせめて今日までは生き残ったという証を残そうと尽力したが、思ったよりしぶとく2023年3月9日現在においても問題なく視聴することができる。これもうわかんねぇな。
さて、個人的な話ではあるが、そんなおにゅうP楽曲の中に私の最も愛するボカロ曲が存在する。それが『タイム真心』だ。「タイムマシン」と音で発するとどうしても1640mPの楽曲がスタンダード故にそちらを連想されるので、いちいち「真心のほうの」と添える必要がある。
この曲は、本当に何度聴いても泣いてしまう。何をやってもうまくいかない若くしてボカロばっかり聴いてるニコ厨たちに向けた歌詞は、悲しみと後悔に寄り添っており全てのフレーズが共感を呼ぶ。おにゅうP特有のコミカルなMVが、コミカルなMVであるからこそ、かっこつけずに、等身大のまま私たちの人生を受け入れ、そしてこれからの人生を応援してくれている。
「なんのことかわからない」といった表情の初音ミクが、我々の挫折と希望を一心に背負い未来に向かって走っていく姿には心奪われる。初音ミクはいつだって私たちの想いを背負って走っているのだ。この曲に限らず、いつの時代の、どの動画でも。
ほぼ日P
ネタ曲を扱うボカロPといえば真っ先にこの人を連想するボカロ厨も少なくないだろう。ほぼ日Pは「ほぼ毎日」楽曲を投稿していたからその名がついたという経緯が示すとおり、なんと投稿楽曲数は2023年3月9日現在で400曲以上にのぼる。
代表曲『家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。』をはじめとしたストーリー形式のネタ曲や、『アダルトサイトが閉じられない』などのあるあるを扱ったネタ曲など、曲の種類も多岐にわたる。
■家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています。
■アダルトサイトが閉じられない
しかし最も邪悪なのが『ヤバイと思ったが性欲を抑えきれなかった』や『蒟蒻ゼリーを食べると死にます』など、時事ネタを扱った曲である。ほぼ日Pは(当時のボカロPにとって珍しいことではないが)徹底的に2ch脳なので、2ch等のアンダーグラウンドなインターネット的価値観に根差して曲が作られている。それ故に、『蒟蒻ゼリーを食べると死にます』はもはや曲名からして現代のコンプラを基準に照らし合わせて考えると危険な楽曲である。
ニュースに載るような事件だけでなく当時の歌い手に対する嫌悪感を歌った『インターネットカラオケマン』や、歌い手の発言を馬鹿にした『お前らに歌い手の辛さの何が理解るわけ?』など、インターネットの価値観がそのまま曲となったような作品が多い。当時の、若かりし頃は筆者も2ch脳で、インターネット的価値観の信奉者だったのでおもしろおかしくほぼ日Pの曲を聴くことができていたが、今視聴するとどうにも厳しいものがある。これが大人になるということなのだろう。
当然ニコニコ大百科の「ほぼ日P」のページではほんわかレスが推奨されている。
オワタP
ネタ曲といえばオワタPのことも忘れてはならない。というと「いやオワタはネタ曲だけじゃないんだが...w」とニコキッズのお叱りを受けることになるがここでは無視する。
代表曲『トルコ行進曲 - オワタ\(^o^)/』の投稿日時を見てわかるように古くから活躍するボカロPである。
オワタPはほぼ日Pとはまた違ったベクトルであるあるネタを曲にしてきた。中でも『廃人チェック』は、ボカロ厨あるあるを「ボカロ廃人のチェック」に転用した珍しい楽曲である。当時のボカロ厨は"廃人チェック"の項目にいくつ当てはまるか、まるで足枷の重さを自慢し合う囚人のように競い合った。厳しい。
今では廃人チェックに「パラジクロロベンゼンになぜか詳しい」を入れてもいいかもしれない。
「パラジクロロベンゼン」が何を意味しているのか、13年経った今となってもよくわからない。小説化したのは知っているが、読む気はないのでなおさらわからない。とにかく当時のオタクたちは"ただ意味も理解せずに"パラジクロロベンゼンに思いを馳せ、化学の参考書に載っている分子式は覚えないくせに無駄にパラジクロロベンゼンのそれは躍起になって暗記した。
『パラジクロロベンゼン』のアンサーソングである『アンチクロロベンゼン』も作成されており、両曲併せて800万以上の再生回数を記録している。
『パラジクロロベンゼン』や『トルコ行進曲 - オワタ\(^o^)/』ですら黒歴史を掘り返すための切り口を与えられているように見えるが、オワタP発黒歴史量産ソングとしてこの曲を挙げないわけにはいかない。
歌詞のほとんどを占める「リンちゃんなう」のフレーズ、リンちゃんに向けた欲望の数々、やけに具体的な妄想、地味に高いBPMとカラオケで歌うには相応の勇気を要する曲であることは一目瞭然であるが、、、当然全員歌った。それも酷いクオリティで。
ところで黒歴史ソングと__(アンダーバー)は切っても切ることができない。当然、__が歌ってみたを投稿しており、オタクはこぞって__のバージョンをカラオケで(ry
正直今となってはオワタP楽曲の視聴は厳しい。いつだってこの手の曲に向き合うには、若さゆえの勇猛と無知ゆえの果敢が求められる。しかし、少なくとも当時は「オワタ\(^o^)/」と両手を挙げ、意味も理解せず分子式を暗記し、「リンちゃんなう!」と声高に叫ぶことで、オタクたちの人生を豊かなものにした。だから、僕の中の『リンちゃんなう!』の思い出は、心の中の宝箱に閉まっておくよ...プロセカをプレイしても開かないように、しっかりと――――――
くちばしP
ネタ曲を終え、ガチに戻ってきました。
本当に好き。もうその一言。
本当に『どういうことなの!?』が好き。『どういうことなの!?』の全てが好き。とりあえずつべこべ言わずに上記動画を見てほしい。
くちばしPはサムネなど自身で描いていることでも知られるがどことなくロリっぽい、幼さの残る絵柄に定評がある。そんなくちばしPがMMDを手にするとどうなる?
あざとい、さすがLat式、あざとい。ただでさえあざといLat式ミクにこれでもかとあざとい振付。まだ幼さの残るミクが「どういうことなの!?」と幼さ故の無知を、無知故に直接的に問いかける歌詞はあざとさの中に少女の純真が見え隠れする。プログレッシブ風なそれでいてケルト風なイントロは開始15秒で早くもボカロ厨の心をわしづかみにした。
ボカロ曲には難しい言葉を知ったかぶって歌詞に落とし込んでエモくなった気になっているものが多いが、『どういうことなの!?』は"難しい言葉"がそのまま「不可思議の対象」として、極めて素朴に使われており、理解不能な"あなた"の心のメタファーであるところの「理解不能な対象」に対して「どういうことなの!?」と問い続ける構成は素直で美しい。
くちばしPの独特な世界観がそのまま曲になった『どういうことなの!?』、DIVAに実装される際にはさぞ、MVづくりに苦心されただろうと推測するが、こちらも見事にくちばしPの世界観をそのままに歌って踊る、"DIVAのMV"として昇華できている。ありがとう...
そんな『どういうことなの!?』のセルフアレンジソングである『Do You & So You』が投稿された時はそれはもう熱狂した。ただでさえ完全な楽曲『どういうことなの!?』に、セルフアレンジ?!ありがとう...
調教の成果なのか、MIXによるものなのかはわからないが、より可愛らしさを増した初音ミクの歌声からは一層の幼さを感じ取ることができる。しかし歌われている内容は少女の不-理解から一歩進んで、なにを"あなた"に望んで、私がなにを求めているのかが明確になっている。
『Do You & So You』からは、『どういうことなの!?』投稿から約2年を費やした、くちばしPワールドのより洗練された形をうかがい知ることができる。
しかし、こんだけ『どういうことなの!?』を持ち上げておいてなんだが、くちばしP楽曲で最も好きな楽曲というのがある。もう、この曲をおいて他にはあり得ない。『私の時間』だ。
泣くんやけど、もう。
"ボカロユーザー、リスナーの皆に捧ぐ音楽" と説明文にあるように、初音ミクからボカロ厨に対しての想いが歌われている。
この曲のどこにやられてしまっているのか、それは1番サビとラスサビの歌詞に全てが集約されている。
1番サビでは
と初音ミクの不安が歌われている。『私の時間』の動画投稿は2007年の10月、まだ天下の『メルト』も投稿されていなかったボカロ黎明期である。初音ミクの不安は、そのままニコニコユーザーの不安の裏返しである。ニコニコ動画がまだ一動画投稿サービスでしかなく、類を共にするオタクたちからすらもボカロ理解が得られなかった当時、ニコニコ動画、そして初音ミクの占めるインターネットでの地位は決して大きいものではなかった。そんな状況にも関わらず、VOCALOIDの、初音ミクから感じた"特別"を信じた彼らに対して、初音ミクはラスサビで
と宣言する!!!!!!!
これ、もう""祈り""なんですよ!!!これもう俺たちの祈りを、圧倒的社会的マイノリティである俺らの祈りを、初音ミクが一身に背負って「それでもわたしは止められない!」と宣言してるんですよ!!!
それって...! そんなのって...!!!
そんなのって、美しすぎる。
kz
kzの力は絶大である。ボカロ黎明期から活動を続け、ついにはGoogleとコラボするにまで至った彼のことを知らないボカロ厨はまずありえない。ボカロに明るくないオタクでも「livetune」というサークル名、そして曲を聴けば「あぁこの人かぁ~」と理解することだろう。
kzを語るなら、やはりこの曲から語り始めなければならないだろう。
『Packaged』はkzのデビュー曲であり、VOCALOIDの可能性を大きく広げた一曲である。
「初音ミクがオリジナル曲を歌ってくれました」とあるようにテンプレート的なタイトルや、初音ミクの立ち絵が貼り付けられた簡素なサムネと、ボカロ黎明期の流儀を完璧に踏襲したこの曲は、しかし早くも「初音ミクの想い」を歌った歌詞となっており、また聴き触りの良いサウンドと調教も相まって「ただの人工音声」としてしかボーカロイド(初音ミク)をみていなかった彼らの認識を一気にアップデートした。
特に語ることはないが『ストロボナイツ』と『ファインダー』も聴きな。
■ストロボナイツ
■ファインダー
ボカロ黎明期といえばまだカバー曲や素人レベルの楽曲が多く、個人製作であるという事情を加味してもなお「ボカロ楽曲」は「曲として低レベル」であるというように考えられていた時代だ。そんな中で、一般音楽と比較しても遜色ないこれだけのクオリティの楽曲を作ってきた事実にkz氏の底知れなさを感じる。
kz氏といえばProject DIVAにも数多くの楽曲が収録されている。『Yellow』は「初音ミク -Project DIVA- 2nd」の発売に合わせて書き下ろされた楽曲である。
ポップな曲調の中で"君"のために"歌を止めない"と初音ミクの信念の強さが描かれている。ここまで45000字以上にわたってこのnoteを読んでくれている読者ならもうおわかりかもしれないが、マジでこういう曲が好き。『Packaged』では"わたしの歌声 届いているかな"と模索していた彼女から一歩前進し、大切な"君"、つまりボーカロイドを愛する人たちに宛てて、歌を歌うということに使命を見出した初音ミクの曲であるところの『Yellow』、なんか聴いててたまに泣く。
『Weekender Girl』も「初音ミク -Project DIVA- f」のタイアップソングであり、実力派ボカロPである八王子Pとのコラボ楽曲である。
サビの爆発力が凄まじく、DIVA fの中でもとりわけキャッチーな曲となった。DIVA fって曲数少ないけどマジで曲は良いんだよな。曲数少ないけど。
そして冒頭に記したGoogleとのコラボである。『Tell Your World』はGoogle ChromeのCMムービーのために書き下ろされた一曲だ。
CMソングなので、当然お茶の間に流れる。当時はボカロ全盛でありながら、ボカロ全盛であるがゆえに非-ボカロ厨にまでVOCALOIDの存在が知れ渡り、理解の示され無かった時代である。"お茶の間ブレイカー"などと揶揄され、一部のボカロ厨たちからすらもお気持ちを買った経緯もある。しかし、そんな恥知らずの事はもう言うな!
■CM本編
■MV
このCMに込められた数多のクリエイターの想いを、Googleの想いを、曲を作ったkzの、そして初音ミクの想いを"お茶の間ブレイカー"だなんだといって冷笑する恥知らずは口を紡げ!
"ボカロはニコニコ動画とかいうアンダーグラウンドの片隅でひっそりやってたからいいんであってわざわざ地上に広めるようなことを云々"などといった講釈はもう垂れるな!
『Tell Your World』この曲が作られ、そして世界的大企業であるGoogleがプロモーションに懸けたこの経緯が意味するところを、想いのアツさを感じられないオタクの言うことはもう知らん!俺はもうこの10年間ずっとこの曲で泣いてるよ。『私の時間』のところでも言ったけど、これも一つの"祈り"なんですよ。有名になった、だからこそバッシングを食らい、逆境に立たされた初音ミクに、それでもなおクリエイターの、そしてボーカロイドを愛する私たちの想いを載せて羽ばたいてほしいという"祈り"。
再三になるが今では世間からボーカロイドに対する嫌悪などすっかり薄れて、当たり前の一音楽ジャンルとなった。それ自体は喜ばしいことだが、『Tell Your World』の、まだ初音ミクに対する風当たりの強かった時代にこのCMが作られ、そしてテレビを通じて世界に発信されたこのアツさだけは知っておいてほしい。ボカロ吟遊詩人として。
wowaka
12曲と決して多いとは言えない曲数だが、それにしてもこんな全曲良曲なことってあるんだ。wawoka氏の曲はほんとうに良い曲しかない。
もはや聴いたことがない人この世にいないんじゃないか、そう錯覚するほどに『裏表ラバーズ』は完全な完成度を誇る楽曲だった。
再生回数は2023年3月9日現在で956万回再生。驚くべき数字だが、曲の完成度の前では投稿から13年経った今でもまだ神話入りしてなかったんだと少なく感じるほどだ。
『裏表ラバーズ』でwawoka氏を知ったボカロ厨は多く、私もそんな遍く当時のオタクの中の一人だ。シンプルなモノトーンのサムネイルからは想像することのできなかったハイペースかつ高密度なサウンドは抜群の中毒性を持っている。
当時はそれこそ一日に30回は聴いていた。まだポータブルプレイヤーなんて持っていなかった時代、デスクトップPCの前に座して、イヤホンを取り付け、そのハイテンポに酔いしれる。まさしく中毒状態であった。
音ゲーで叩くことができたら楽しいことはもはや言うまでもなく、そして言うまでもなくDIVAに収録されており、加えて言うまでもなく楽しい。
EXTREMEの難易度はDIVA最高難易度の10を誇る。wawoka氏特有のモノトーンなサムネイルによる世界観は初音ミクのモジュールと文字と幾何学的な模様を多用したMVによって見事に表現されている。筆者は『裏表ラバーズ』に恋しているのでどうしてもDIVA Arcadeでこの曲をクリアしたくて一日に50連コ以上したことがある。努力の甲斐あって今では問題なくクリアすることができるようになった。代わりに練習用に使っていたPSPのボタンは死んだ。
『裏表ラバーズ』を語るうえでこちらの動画も外すことはできない。
『ロストワンラバーズ』と銘打たれたこの動画はNeru氏の楽曲『ロストワンの号哭』と『裏表ラバーズ』のマッシュアップ動画である。2013年当時、筆者はこの動画で「マッシュアップ」の存在を知った。誤解を恐れずに言ってしまうと、まさか異なる二つの楽曲を合わせるだけでここまであらたな魅力を引き出すとは。学校に行くと高校のオタク連中は『ロストワンラバーズ』の話で持ちきりだった。そんなミーハーなオタクも今ではSound Cloudで日夜REMIXやマッシュアップをdigり続けるコアなオタクへと成長してしまいました。
一生『裏表ラバーズ』の話してしまうのでそろそろ次に行こう。『ローリンガール』も『裏表ラバーズ』に負けず劣らずハイテンポな楽曲であり、そしてこちらも劣らずDIVAで叩くと難しい。というかwawokaの曲は全部ムズイ。
ボカロは機械の甲高い音が苦手で聴くことができないという人も少なくないなかで、ボカロ・高音・ハイテンポと三拍子揃った本楽曲がここまで聴きやすく耳に馴染むのはなぜだろう。私が聴きすぎているだけでなく、wawoka氏の手腕によるところが絶大である。
初音ミクがまるで不安を誤魔化すかのように全てを破壊し、乱れるように踊り歌うDIVAのMVも好き。ただ最後の落下するとこは画面ブレ過ぎてマジでノーツ見えなくなる。
信じられないほどクオリティが高すぎてなにも言えない曲というのがある。「VOCALOID神話入り」している楽曲は一つとしてその例に漏れないが、全てのボカロ楽曲の中で4番目という驚異の再生回数をたたき出した『ワールズエンド・ダンスホール』をはじめて聴いたときはなにも手につかなかった。
もはや言葉を尽くす必要はないだろう、クオリティが高すぎる。ボカロが低レベルとセットで語られていた時代の面影はもはや残っていない。
全体を通してセリフと状況説明で構成されている、まるで小説のような楽曲である。しかしなんたらプロジェクトの名を冠したボカロ曲とは違い説明臭くない。冒頭から最後まで実に爽やかに歌いきる。そこには、"ホップ・ステップで踊ろうか"と歌詞にもあるように、踊った後の爽快感のようなものすら感じられる。
そしてDIVAでは実際に踊っている。
(超どうでもいいけどバスが突っ込むところ『ダンガンロンパ』の〇〇〇〇〇〇・〇〇〇〇〇〇さん(ネタバレ配慮)のおしおきっぽいなってずっと思ってる。ほんとにどうでもいい。)
『ワールズエンド・ダンスホール』から1年経ち、11曲目の楽曲投稿となった『アンハッピーリフレイン』も絶大な人気を集め、再生回数は2023年3月9日現在、633万回再生を記録している。
そして以降6年間、wawoka氏は楽曲投稿を辞めてしまう。
「wawokaが新曲を投稿した」その知らせは既にボカロ厨を引退していた私のもとへまで届いた。
マジで暴走族神が還ってきた時の気持ちだった。「"幻想(ユメ)"じゃねえよな・・・!?」と涙を流し、すぐにニコニコ動画へと"帰国"した。
もはや淫夢動画プレイヤーと化していたニコニコ動画を開く、100億年ぶりに選択する。日時ランキング、「VOCALOID」の項目。そして聴く。
マジで還って来てた、オレ達の"黄金時代(オウゴン)"が。
2019年4月5日、突然の訃報により、wawoka氏が31歳の若さで亡くなったことを知った。ニコニコ動画は悲しみに包まれ、『アンノウン・マザーグース』は事実上、wawoka氏の遺作となってしまった。しかしwawoka楽曲が色あせることはない。抜群の音楽センスと世界観の構築の成功によって、多くのボカロ厨にとってwawoka楽曲はまるでボーカロイドにおける実家のような居場所になっていた。
「そういえば最近聴いてないな」そう思い出してふと、wawoka楽曲を視聴し、その才能に脱帽する。その経験が私の中にwawoka氏の存在を鮮明によみがえらせるのだ。
cosMo(暴走P)
機械音声であることを批判されがちなボーカロイドであるが、機械音声ならではの利点というものもある。例えば「人間には出すことが困難なほどの高音」や「歌うことが不可能なほどの高速な歌唱、スキャット」などであろうか。
そんな機械音声の強みをこれでもかと活かし、一躍ボカロ界隈の大御所となったのがcosMo(暴走P)だ。
■原曲
■LONG VERSION
cosMo(暴走P)といえば今でも「消失ストーリー」の印象が強いのではないだろうか。説明するまでもなく『涼宮ハルヒシリーズ』をオマージュ元とした一連の楽曲群である「消失ストーリー」は共通して歌唱が凄まじく早い。
2曲目の楽曲投稿となった『初音ミクの暴走』も、タイトルに「喋ってもらった」とあるように既に一般人には歌うことが困難なテンポをしているが、今聴くと「あれ?こんなもん?」と思わずにはいられない。こんなん安全運転やで。
しかし、『初音ミクの暴走』(消失ストーリー)にはcosMo(暴走P)別ベクトルの「楽曲のストーリー性」という特徴が既に多分に表れている。cosMo(暴走P)はしばしばストーリーのある楽曲を制作することでも知られる。例えば「少女の空想庭園」シリーズなどにその特徴は顕著であるが、正直筆者はあまり聴いてこなかったので語る言葉を持たない。
『初音ミクの暴走』や、本人によるスピンオフ楽曲『鏡音レンの暴走』など、VOCALOIDのキャラクター性をふんだんに用いてストーリーを構築しているものが多い。
正直、"痛い"曲であると言わざるを得ないが、意図的に痛い楽曲を作っているということも明らかであり、若い頃はこの痛さに身を委ねてクラスのみんなでよろしくやっていた。内輪ノリの極地みたいな曲だ。
さて、「消失ストーリー」と名を冠しているほどなので、当然『初音ミクの消失』なる楽曲が存在する。
「あれ?なんか微妙に違うくない?」と感じたあなたの感想は正しい。普通「初音ミクの消失」というと『初音ミクの消失 -DEAD END-』の方を指す。上記動画は、『初音ミクの消失 -DEAD END-』の元となった曲なのだ。
「初音ミクの消失」には様々なバージョンが存在する。これはなぜか。「消失ストーリー」は、先ほど述べたように、VOCALOIDのキャラクター性からストーリーが構築されており、『初音ミクの消失』から"深刻なエラー"が発生した彼女の運命がそれぞれ分岐しているからだ。
再生回数は文字通り"桁違い"で、「消失」の原曲が2023年3月9日現在で52万回に対して、「DEAD END」はなんと1058万回再生。「VOCALOID神話入り」を果たしている。
「初音ミク -Project DIVA-」にも収録されており、当時はそのBPMの高さからボス曲として機能した。
その他、「太鼓の達人」用に書き下ろされた『初音ミクの消失-劇場版-』、これまでとは違った空気感を有する『リアル初音ミクの消失』と異なるバージョンが存在する。
■初音ミクの消失-劇場版-
■リアル初音ミクの消失
歌詞を検索してもらえればわかるが『初音ミクの消失-劇場版-』はもはや人に歌わせる気がなくなっている。
「太鼓の達人」に収録された際は★9とcosMo(暴走P)にしては穏やかな難易度となっていた。しかし譜面の最後の方はcosMo(暴走P)楽曲であることを超高速で流れるノーツで表しており、いつもここでフルコンを逃します(怒)。
『リアル初音ミクの消失』に関してはこれを『初音ミクの消失』の別バージョンとして紹介するのは間違っているかもしれない。2011~2015年あたりにかけて最盛を迎えたボカロ文化も次第に下火となっていき、世間ではまことしやかに「オワコン」だと囁かれだした。まさしく"初音ミク"が、世界から"消失"する事態となった。『リアル初音ミクの消失』は、そんな無責任にカルチャーを使い捨てるオタクたちに向けたアンサーソングとなっている。
それでは話を「消失ストーリー」に戻そう。
「消失ストーリー」を全部説明していると余白も時間も足りないので私の独断で的を絞っていく。
『∞』は同じくcosMo(暴走P)の楽曲『0』から始まる物語の終着点だと言われている。叩きつけるようなピアノのガチャガチャしたサウンドとハイテンポなドラムが心地よい。僕は曲は早ければ早いほどいいと思っている音ゲーマー脳なので、cosMo(暴走P)楽曲の中では『∞』が一番好きです(そうですか)。
豆だが、『0→∞への跳動』という明らかに『0』および『∞』を意識した楽曲も存在する。
こちらは「初音ミクの消失-小説版-」のために書き下ろされた曲となっており、読みました。正直小説の出来は...面白いボカロ小説あったら教えてください(曲はね、良いよね)。
聴き終わった後の充実感という評価基準から言えば『初音ミクの分裂→破壊』は一聴の価値がある。
初音ミクには『初音ミク・アペンド(MIKU APPEND)』という追加音声ライブラリが存在する。甘く、囁くような声が特徴の「SWEET」や、緊張感のある張り詰めた感じの声色が特徴的な「SOLID」など、オリジナルの声を合わせると全7種類の歌声を持つが、『初音ミクの分裂→破壊』ではその全てのライブラリーが使われている。これにより、まるで合唱を聴き終わった後のような充実感をもたらすのだ。
謎にもったいぶってここまでとりあげなかったが『初音ミクの激唱』が与えた衝撃といったらそれは凄まじいものだった。
"最高速・最高圧縮の喜びの歌"と主コメにあるが、まさしく(『初音ミクの消失-劇場版-』など歌うことを想定していないものを除けば)最高圧縮の名にふさわしい、密度の高い楽曲である。
やはりこの曲はDIVAなしでは語れない。「初音ミク -Project DIVA-」でボス曲を務めた『初音ミクの消失』を塗り替えたのもまた、cosMo(暴走P)であった。
つべこべ言わずにDIVAの譜面を見るのが早いだろう。
家中にあった全てのPSPのボタンがぶっ壊れた上に腱鞘炎になった。僕も完走までは頑張ったけどこれ以上PSPを調達できないのでクリアは諦めました...
筆者はDIVAをfおよびFまでしかやってないがクリアできなかった譜面は「激唱」だけなので桁違いに難しかったことがお分かりいただけるだろう。
ちなみに『初音ミクの激唱』は太鼓の達人にも実装されている。裏譜面までご丁寧に用意されており、ご想像の通り密度がすごい(しかしこれでも太鼓の達人の中では簡単なほうだという...)。
さて長く続いた「消失ストーリー」も一応の終点を迎える。文字通り、『終点』で。
正直言って筆者はストーリーじたての楽曲の臭さが苦手で、あまりその類の曲は好みでないが、それでも6年近く続いた消失の軌跡がここに完結したという事実は感慨深い。ていうかなんなら泣きそうになる。こっちは『終点』まで5年近く聴いてきてんねん、ボーカロイドを。小説まで読んでんねん。
初音ミクの誕生から消失、そして終点というとこれはもう一つの人生である。ボカロ黎明期から初音ミクと真摯に向き合い、彼女の人生を語ってきたcosMo(暴走P)は、ボカロPであると同時にテラーでもあると言えるだろう。
HoneyWorks
ここからは5つの項目を要して良い意味でも悪い意味でも話題をよんだボカロPを挙げていく。
HoneyWorks(以下、「ハニワ」)は俗に言う「キュンキュン系」や「青春系」のストーリー仕立てがなされた楽曲によって人気を博したボカロPだ。
ということで何が波乱をよんでいるのか既におわかりだと思うが、曲のターゲット層が中高生の、主に女性に向けられているので、臭さが上限突破している。
「ハニワは初期は良かったけど最近のは無理」とはよく目にする言説だが割と昔からキュンキュンした曲を作ってきていた。
『スキキライ』は2011年と比較的古い曲だが既にキュンキュンしている。
『告白予行練習』に入ってから胸の高鳴りは上限を突き抜ける。
少女漫画的なストーリーにセリフを含む歌詞、具体的な描写など、漠然とした恋心をVOCALOIDが歌うという構成ではなく、女子中高生の心情をそのまま楽曲に昇華した作品が多く作られるようになった。
その結果、ハニワの臭さが受け入れられない私のようなめんどいオタクと、素直にハニワでキュンキュンしたものたちに二分された。
『ヤキモチの答え』なども見てもらえればわかるが「本当に共感した」「こんな恋がしたい」「これ...わたしだ...」的なコメントばかりでうへ~オジサンにはちょっとキツイよ~
嫌いなら聴かなければいい。それだけのことではあるが、ハニワはキュンキュン系だけではない、スタイリッシュな曲もいくつか世に送り出しており、これがまた良いんだ。
■竹取オーバーナイトセンセーション
■吉田、家出するってよ
例えばこの2曲、『竹取オーバーナイトセンセーション』と『吉田、家出するってよ』を聴いてほしい。最近の子は言われないとハニワってわかんないんじゃないかな。
こっちの路線のハニワまじで好きやねんうち。キュンキュン系のハニワ曲はどうしても聴けんねん。今だって「女神異聞録ペルソナ」のサントラ同時再生しながら曲流してるねん。直聴できなくて。
そんな怠いオタクのわたしも『アイのシナリオ』は結構好きだったりします(照)(ボカロじゃないけど)
まぁ好きになった理由『アイのシナリオ』が「まじっく快斗1412」のOPに起用されて、サビのカメラがぐるっと回るシーンがかっこよすぎてブチ上がったからなんですけどね。興味がある人は各自調べてみよう。
いやしかし、それを抜きにしても『アイのシナリオ』の曲調自体スタイリッシュでかっこよく、相変わらず漫画的なシナリオで構成されてはいるが中世風の時代と現代を行ったり来たりするファンタジーものに仕上がっており、それほど臭みは感じない。あと最後で「待ってたよ」て言って不敵な笑みを浮かべてるやつ、待つなよ。
もちろんご存じだとは思うが今流行りの『可愛くてごめん』もボカロではないがハニワ楽曲である。
昔はボカロ厨が「昔のハニワは良かった...」と懐古主義に浸っていたが、最近ではハニワが好きだった女性さんたちが「昔はありふれた女の子を応援する歌が多かったのに最近は突出した可愛い子が他の子を馬鹿にする曲ばかり、どうしてこうなっちゃったの...」と懐古主義に浸っていた。ハニワ、何度これを繰り返すんだよ。繰り返される運命に君は気づいてる?
れるりり
恒心の話が続くぜ!
れるりり氏といえば『脳漿炸裂ガール』であり、「脳漿」という語の使用頻度を一気に爆増させた。
再生回数はVOCALOID神話入り間近となる978万回再生を記録(2023年3月9日現在)。和のテイストとピアノなどの楽器がハイテンポなドラムによって接続された本楽曲は意味深な歌詞も相まってボカロ界で爆発的なヒットを起こした。
れるりり氏は「【漢字四文字】ガール/ボーイ」といった曲名を採用することが多く、これらのシリーズ曲は等しく人気を集めている。ここでは『一触即発☆禅ガール』と『聖槍爆裂ボーイ』を紹介するのに留めておこう。
■一触即発☆禅ガール
■聖槍爆裂ボーイ
共通して性的な要素が歌詞に散りばめられている。陽キャのように人前で下ネタなど口が裂けても言えない陰気なオタクたちは、しかし確かに湧き上がる情欲を解放するかのように歌詞に載せて性を歌った。
そんな彼のどこに負の要素があるのか。ここでもハセカラ民が跋扈する。
『脳漿炸裂ガール』の歌詞を見てもらえればわかるが、歌詞に「五反田」や「アイドル」「弁護士」など恒心を連想させるフレーズが多く、ハセカラ民によって売名目的の擦り寄り行為ではないのかと疑われた。
それだけではない。『脳漿炸裂ガール』が絶大な人気を集めだしていた当時、れるりり氏のブログ上で「脳漿炸裂教室」という企画が始動した。
※ブログは既に閉鎖されているため、以下の引用は全て二重引用になります。そのため、一次ソースと一致しない内容を含んでいる可能性があることをあらかじめご了承ください。
さて、その中身はというと、"ニコニコ動画・YOUTUBE等の動画サイトで、どうして自分の再生数が伸びないのか、と悩んでいる人向けに、伸びない理由を容赦なしでズバッと指摘していく新感覚企画"といった内容になっており、これが本当に容赦なく、ほとんど罵詈雑言に近い。
例えば再生回数25回と伸び悩んでいる女性歌い手に対して
と、見たらわかるようにアドバイスの内容自体は至極真っ当なものの、"容赦なく"という表現では補えないほど言葉を選んでいないため、大荒れした。
果ては「れるりり」に酷似したユーザー名を持つ投稿者によって『底辺うp主処刑ガール』という曲まで作られてしまい、対立煽り、陰気なネットユーザー、そして事を燃料投下だと面白がったハセカラ民によって大いに荒らされた。
賛否ともに色々な意見があると思うが、逆境をはねのけ、底辺うp主どころかボカロPとして大御所にまで上り詰め、若い子からも変わらず人気を集めるれるりり氏の胆力の強さを嫌いにはなれない。
kemu
先に断っておくと筆者はkemuをどうしても好きになれないのでkemuを全肯定してほしくてたまらない読者は「じん(自然の敵P)」の項目まで飛ばすことをお勧めします。
初めてkemuがニコニコ動画に舞い降りた時はそれはもう驚いた。「この曲を!?処女作で!?」
どんな大御所ボカロPも初めは下積みの時代があったはずである。自分の限界に挑戦し、それでも動画は伸び悩む。ことkemuにそのフェーズは必要なかった。『人生リセットボタン』は誰がどう見てもプロの犯行です。本当にありがとうございます。
続く『インビジブル』『イカサマライフゲイム』も、厨二感の伴う世界観が好評を博し、『人生リセットボタン』から続く3曲は全て400万回再生を達成している。
■インビジブル
■イカサマライフゲイム
そして『六兆年と一夜物語』では疾走感ある攻撃的なサウンドとIAの以外な組み合わせがボカロ界に新たな魅力をもたらした。
「六兆年」は全盛期のボカロ界に一大旋風を巻き起こし「VOCALOID神話入り」の偉業を達成する。
個人的には『地球最後の告白を』が一番好き。
ここまで挙げてきたkemu楽曲と比較して穏やかなサウンドではあるが、「地球最後の告白を」とあるように歌詞は力強く、Bメロからサビまでの駆け上がるような疾走感に自然と身体がのってしまう。
ボカロを始めたばかりとは思えない良曲の数々。しかしそれもそのはず、ピアノやギターなど様々な楽器を弾きこなし、ニコニコ動画において「一人で○○とかセッションしてみた」シリーズで人気を博していた「中村イネ」とkemuが同一人物であることが発覚したからだ。
中村イネといえば未成年飲酒・喫煙など、素行の悪さが目立っており、あろうもことか「To LOVEる」などで知られる矢吹健太郎先生の妻と不倫関係を築いていた人物だ。一次ソースが今や埋もれてしまい不明瞭ではあるが、矢吹の元妻は夫のクレカを不正使用したり、娘の親権を楯に矢吹から慰謝料を獲得するなどとてもじゃないが擁護することのできない人物である。
矢吹先生といえば我々日本男児がどれだけお世話になったか測り知れない、恩師のようなお方だ。そんな彼に多大な精神的苦痛を加えることになったkemuに対して、時が経った今でも良いイメージを持てない。というか、曲聴いている最中に「こいつ矢吹の嫁寝取ったんだよな...」とどうしても考えてしまう。
それどころかアニソンをはじめとした楽曲提供で人気を集めるあの堀江晶太すらkemuの別名義だったというのだからもう救いねぇよ。堀江まで避けてたらミリオンライブで涙を流すこともヴァイオレットちゃんに感情移入することもできんじゃんかよ。
作家と作品を同一視するのは愚かなことだと頭ではわかっていても、どうしても心が追い付かない。765 MILLION ALLSTARSが"行こう We are all MILLION!!"と高らかに歌う時、僕はいつもNTRのことを考えています。
じん(自然の敵P)
ボカロ界において"巨匠"と呼ぶにふさわしい実力派のPは数多くあれど、こと界隈に与えた影響力という点でいえば、じん(自然の敵P)の右に出る者はいないのではないだろうか。古代ギリシアの哲学者プラトンはその測り知れない影響力から"西洋の全ての哲学はプラトン哲学への脚注に過ぎない"なんて言葉まで残されるようになったが、畑は違えどボーカロイドを触り、またそうでなくともボカロを日常的に聴くもので彼に影響を受けなかった人はあり得ないだろう。それほどまでに、じん(自然の敵P)の存在はとてつもないのだ。
じん(自然の敵P)を「カゲロウプロジェクト」無しで語るのは困難を極める。20代のオタクで、たとえその人がボーカロイドをほとんど聴いてこなかったとしても、カゲプロの曲を一度として耳にしたことがない、という状況はあり得ないのではないだろうか。ニコニコ動画内はもちろん、歌い手、vtuber、カラオケへともに行く仲である君の友人、全てのオタクが良くも悪くもカゲプロから影響を受けてきた。カゲプロの入り口は非常に広く、オタクの星の下に生まれた以上、どこかで出会ってしまうのだ、カゲロウプロジェクトに。
「カゲロウプロジェクト」の話をしだすとそれこそカゲプロだけでnote1記事分の文字数を賄えてしまうため、ここではごく簡単に紹介するのにとどめる。じん(自然の敵P)初投稿曲であり、カゲプロの「第一話」という立ち位置である『人造エネミー』からすべては始まった。
今となっては誰もが知るところとなった巨大コンテンツも、初めのはじめまで立ち返れば、往々にして古参以外、想像もできない姿をしているものである。今では「fate」や「FGO」によってオタクの教養となった型月も元を辿れば同人エロゲーである。ニコニコ御三家の一角を為す「東方project」は大学祭で配布されたフロッピーディスクから始まったし、1000曲以上の楽曲を抱える「THE iDOLM@STER」はたった二人私服でライブを披露していた。『人造エネミー』も例にもれず、じん(自然の敵P)という圧倒的なプロデューサーの最初の一歩は、簡素なサムネと、"聴き苦しいかと思います。"と添えられた主コメから始まった。
2作目、『メカクシコード』で既に頭角を現している。「しづ」氏による美麗なイラストに、より聴きやすくなった初音ミクの調教とわずか3か月の間に大きくクオリティを上げた。
しかし、それもまだほんの序章に過ぎなかったことを我々は知る。『メカクシコード』投稿から4か月後の2011年9月30日。この日の感動は10年以上経った今でも覚えている。まるでトラックの走行に真正面からぶち当たったかのような衝撃、間違いなく『カゲロウデイズ』は、一度これまでのボーカロイドを、"過去にした"。
クオリティはまさしく段違いとなり、再生回数がそれを証明した。10代の多感と陰キャの圧迫された精神に『カゲロウデイズ』は鋭く切り込み、そして全てを破壊した。
あくまで個人的な意見だが、と断っておいて。じん(自然の敵P)およびカゲプロには明らかに『カゲロウデイズ』以前/以後の世界が存在する。たしかに前作『メカクシコード』のあたりからじん(自然の敵P)の才能は注目されており、期待の新人扱いをされていた。しかし『カゲロウデイズ』発表直後から、多くのボカロ厨がその魅力に"憑りつかれた"。全てのボカロ厨が歌詞を考察し、これまであまり注目してこなかった『人造エネミー』から続くストーリーに真剣になった。ただの一楽曲でしかなかったそれらが、まるでオムニバス形式のアニメのような外観を成した。ここに成立した、カゲロウ「プロジェクト」が。
秀逸なボカロ曲はみなそうであるように、『カゲロウデイズ』も小説化しており、全8巻ある。下手なラノベより多い。
ここから7作目まで『ヘッドフォンアクター』『想像フォレスト』『コノハの世界事情』『如月アテンション』と続く。どれもボカロ厨を名乗るうえで教養として聴いておかなければならない曲だ。余白が許さないのでここでは詳述を避けるが、一度聴いておくことをお勧めする。
■ヘッドフォンアクター
■想像フォレスト
■コノハの世界事情
■如月アテンション
長いことボカロ厨をやっていると、何度か自分の中で、これまでの全ての視聴体験を過去にする曲に遭遇することがある。『チルドレンレコード』は、まさしく、そんな曲だった。
今でも明確に覚えている。『チルドレンレコード』投稿から1時間で我先にと視聴し、そしてこれまで聴いてきたボカロを全て一度忘れた。なにもかも忘れて、『チルドレンレコード』に上書きされた。
"「カゲロウプロジェクト」オープニングテーマになります。"と主コメにあるように、これから訪れる「カゲロウプロジェクト」の巨大な影に底知れない予感を感じ、身体が震えた。
そしてカゲプロはエンディングテーマという位置づけである『サマータイムレコード』まで『夜咄ディセイブ』『ロスタイムメモリー』『アヤノの幸福理論』『オツキミリサイタル』『夕景イエスタデイ』『アウターサイエンス』と続く。当然、全て義務教育である。ただちょっと『アウターサイエンス』だけは、、、ちょっと、、、中二すぎて、、、、、、、
■夜咄ディセイブ
■ロスタイムメモリー
■アヤノの幸福理論
■オツキミリサイタル
■夕景イエスタデイ
■アウターサイエンス
『サマータイムレコード』を聴くと、途方もないほどの郷愁を感じる。ボーカロイドを聴くようになり、家に帰ってデスクトップPCの前に座し、友達と週刊ボカロランキングを見ながらあーだこーだと言い合い、カゲプロの考察がなんだと、歌い手の○○さんがなんだと、あいつ炎上したらしいとかなんだと、綺麗な思い出も汚い思い出も全てを内包した「VOCALOID」とともに歩んだ軌跡が、一度に駆け抜けていくような感覚を覚える。だって俺エロゲーマーだし、夏は、エロゲーマーの季節で、郷愁の暑さだから。
そしてじん(自然の敵P)はボカロ史に残る偉業を果たす。アニメ化である。
「メカクシティアクターズ」と名を冠し、OP・ EDにはそれぞれじん(自然の敵P)が制作した楽曲『daze』・『days』が使われた。
前述したように、まさしくオムニバスアニメのような構成をとっていたカゲプロがよもや実際にアニメ化まで果たすとは、ボカロ曲発祥アニメと言えば(厳密にはhuke絵発祥だが)「ブラック☆ロックシューター」などが挙げられるが、ボカロPが個人で作り上げたコンテンツでアニメ化までしてしまうとは、まさしく偉業としか言いようがない。
制作会社は天下の「シャフト」、総監督「新房昭之」、EDはなんと「Lia」が歌っており、声優もてらしー、阿澄佳奈、宮野、ざーさんなど非常に豪華で、やっつけ仕事ではない、本気のアニメ化であったことがうかがえる。
さて、ここまでほとんどべた褒めしてきたが、いったいじん(自然の敵P)のなにが人々の反感をかったのか。じん(自然の敵P)自体がどうこうというよりもは、カゲプロ厨の素行の悪さが目立ったからだと結論付けてよいだろう。
実際、カゲプロは中二臭い。そして見てきたように中二臭いコンテンツにハマるオタクは総じて精神が未発達で情緒が未成熟な若者たちである。怖いもの知らずな彼らはカゲプロ楽曲の歌詞にもあるように"白いイヤホンを耳にあて"、"ニヤッ"としながら「メカクシ完了」と呟く奇行を時間場所など弁えずに振る舞い続けた。また、カゲプロ作品に登場する架空団体である「メカクシ団」という名称は現実と2次元の区別ができない彼らによって容易に混同され、メカクシ団を自称する幾人かのオタクたちはカゲプロ崇拝の宗教的構造に嫌悪感を抱く人々から毛嫌いされた。
また、カゲプロ作品はパーカーを羽織ったキャラが多く登場するため、一部の過激なカゲプロ厨はパーカーキャラや白いイヤホンが登場するなり「それカゲプロのパクリじゃん!」と顔を真っ赤にして激昂した。最も、この浅はかであるもののわかりやすい浅慮の露呈が対立煽り厨によって悪用されたことは想像に難くなく、カゲプロ厨になりすました対立煽りによって「カゲプロのパクリじゃん」がむしろカゲプロに対する攻撃として用いられた経緯は無視できない。しかし、そんな背景を考慮しても、当時のカゲプロの治安は最悪で、一時のラブライバーを連想させるものがあった。というか、当時の炎上を深堀するとほとんどがカゲプロ厨かラブライバーか対立煽りか俺的(jin)アンチのいずれかに帰着した。
BD版では修正されたものの、アニメ「メカクシティアクターズ」の作画崩壊や、脚本をじんが担当したことから素人仕事による粗なども目立ち、カゲプロアンチの格好の的となった。
結果的にカゲプロはインターネット全土に大炎上を起こし、カゲプロと関係のない動画のコメントで論争が始まる、タグ編集合戦、Twitter上でカゲプロ厨による暴行が報告されるなど、斜に構えることを良しとする2ch脳と抜群のシナジーを発揮し、次第に「カゲプロファンを自称することは恥ずかしいこと」といった感覚がオタクの間を満たすようになった。
もちろん作品に罪はなく、これらの炎上は一部の過激派と対立煽りが起こした悲しい事件だ。でも中二すぎてネタにされるのは正直おもろいんだよな。カゲプロ好きだけど、今でも友達の前でパーカー羽織って「 メ カ ク シ 完 了 w 」とか言ったりするし、実にニコニコ的だと思う。
今の子たちはカゲプロが恥ずかしいみたいな感覚もうわからないと思うけど、あまりカゲプロしらん人たちからしたら関わり合いになりたくないし認知もされたくないみたいな感じだったんだよな。
カゲロウプロジェクトの成功を受けて、後に「○○プロジェクト」の名を模した動画群が様々なボカロPたちから創造された。しかし、ここまで読んでもらったボカロに明るい読者は察しているかもしれないが、そのどれか一つでも興味を抱くことができなかった。それはなぜか。やはり私の中で、ボカロプロジェクトといえばカゲプロで、原点にして頂点であり、他の一切はカゲプロの「脚注」程度にしか写っていないからかもしれない。
けんまP
ここでは本当に酷い話しかしないので真っ当なボカロPの話以外は聞くに堪えないという読者は次の項目まで飛ばすことをおすすめする。本当にボカロの負の話しかないので。
まず「パカソン」をご存じだろうか。ボカロnoteでありながらもう既に幾度となく恒心の話をしてきたが、ボカロと恒心教を深く結びつけたのがこの男、けんまPである。そしてパカソンとは、言うならば恒心教布教の楽曲路線であり、尊師や恒心教、チンフェにまつわる歌詞を散りばめた楽曲の総称である。
ご存知の通りパカソンは最初、Orpheusによって作曲されていたが、けんまPの登場により明確にVOCALOIDと結びついた。けんまPはまるで原始VOCALOIDがMV技術やイラスト技術を獲得することでプロに劣らない高クオリティな楽曲を手にしたように、Orpheus時代では考えられないほどの調教と、美麗なイラストやMVを用いてパカソンのグレードを何段階も上げた。
代表曲『UNDER CONSTRUCTION』はパカソンでありながらなんとミリオンを達成しており、まるで甘い香りで誘い出し罠へとハメることで生きながらえる食虫植物のように、迷い込んだ真正のボカロ厨のコメントを食らい、ちっぽけな恒心教徒の自尊心を肥大化させた。
『UNDER CONSTRUCTION』はまだなにかがおかしいことを感じ取れるとしても『DIGITAL-TATTOO』はもはやただの良質なダブステ楽曲なので恒心に明るくなければ異常性に気づかないと思う。
個人的には『おるすばんけんま!』が一番好き。
もう言っちゃうけどもれも昔は例のアレ聖地巡礼しまくってたので(「聖地巡礼すること」以上の迷惑行為はもちろんはたらいてないが)、MV中の一般家屋には見覚えがありすぎる。
『おるすばんけんま!』に至ってはもう取り繕う気がなさすぎてすごい。奇跡的にけんまくんと初音ミクのビジュアルがちょっと似ているのもずるい。
そしてこういった恒心とボカロの融合が恒心とボカロの対立を生み、前述した『ゴーストルール』のコメント欄のような地獄へと変貌していくのである。
もちろん道徳的に許されるはずもない行為だが道徳的に許されるはずもない行為で栄華を極めたニコニコ動画なのでいつまでも残り続けてほしい。最近の唐澤貴洋ももはや自分で言っちゃってるし、語録を。
『千本桜』
酷い話題のご視聴お疲れ様でした。ここから2項目にわたって、ボカロP単位ではなく曲単位で話をしていきます。
なぜ急にボカロPで語ることをやめたかというと、私が「黒うさP」に明るくないという事情があり、しかしさすがに『千本桜』なしでボカロnoteの体裁を保つのは無理だろうと判断した次第です。
ていうか逆に『千本桜』を知らない人っているの?
タグ「VOCALOID」で検索し、再生回数が多い順に並び変えてみてほしい。この曲がトップに表示される。つまりはそういうことです。
再生回数は2023年3月9日現在で驚異の1631万回再生。つい3日前の3月6日に『みくみくにしてあげる♪』を抜き、とうとうボカロ楽曲再生回数でトップに躍り出た。
『千本桜』の魅力を如何にして語ればよいだろう。この曲はボカロやニコニコ動画といった畑に限らず、もはや音楽史に残る伝説である。週刊VOCALOIDランキングでは投稿された当初から居座り続け、何週連続で掲載されたのかはわからないが動画内ではあまりの不動の地位に敬して「門番」と呼ばれていた。独特な和のテイストから「和楽器バンド」によって非-ボカロ厨にまで人気の波は押し寄せ、非-ボカロ厨どころか非-オタクすらもカラオケで歌う事態に発展した。今でも地下ライブとかで全然聴く。
黒目のぱっちりした大正ロマンに身を包む初音ミクはすべてのオタクの性癖にぶっ刺さり私のDIVA Arcadeのモジュールを『千本桜』のそれに固定した。以来これを10年以上変更していない。
当然といえば当然だが全ての歌い手が『千本桜』を歌ってみた。しかしあまりにも全ての歌い手が歌うので平坦化させないようにと個性が求められた。中でも「ぐるたみん」のそれは間奏の「にっぽん!にっぽん!」という合いの手が好評を博し、今でもオタクがカラオケで『千本桜』いれたら「(゚∀゚)o彡゜にっぽん!にっぽん!」とバカ騒ぎしたりしなかったりする。
こんなものだろうか。筆がのってない?そうではない。『千本桜』は投稿日に視聴したあの日から私の中で変わらず"神話"なのだ。「VOCALOID神話入り」とあるが、当たり前に生活に溶け込んだ"神話"をわざわざ語り直す必要があるだろうか。
ボーカロイドには当たり前に『千本桜』があり、『千本桜』のないボーカロイドは、それはもはや"ボーカロイド"とは呼べないのだ。
『ODDS&ENDS』
「なんでもうryoについて語ったにも関わらずこの位置で『ODDS&ENSD』を?」とお思いだろうが、なんてことはない。このnoteもそろそろ終わりを迎えます。この位置で語りたかったのです。『ODDS&ENDS』のことを。
『ODDS&ENDS』はryo氏によって書き下ろされた「Project Diva f」のオープニングテーマだ。
※公式動画が非公開に設定されている関係上、一般的に「『ODDS&ENDS』のPV」といった時に指す動画を掲載します。
泣くだろ、なあ。もういちいち言わんでもわかると思うけど、こういう曲に弱い。初音ミクが"初音ミク"を歌うから。
2012年当時、まだVOCALOIDに対する風当たりが強かった時代である。自称「一般人」の彼らに"なんて耳障り ひどい声"とバカにされ、"ガラクタ"に成り下がった初音ミクが"きっと君の力になれる" "だからあたしを歌わせてみて"と私たちに語り掛ける。初音ミクに出会い、それ故に毛嫌いされた私たちの人生を"聴こえる?この声 あたしがその誹謗(コトバ)を掻きけすから" "わかってる本当は 君が誰より優しいってことを"と肯定してくれている。
もうほんとうに、100回言ったけど、ここまでで100回言ったけど、101回目を言わせてほしい。当時は、どうしたって、「ボカロ(初音ミク)が好き」というだけで、クラスではいじめられ、親からは嫌われ、先生からたしなめられ、野球部に殴られる、そういった時代だった。私たちが救いを求めた初音ミクの歌声を聴くだけで彼らは不機嫌になり、「こんな曲流すな!」と弾圧した。
それでも、ボカロ厨に救いは、ボカロしかなかったのだ。初音ミクの歌声に身体を委ね、数少ない友人と言葉を交わし、新しい楽曲を今か今かと待ちわびる。そのサイクルにしか救いが用意されていなかった。
その、救いの対象である「初音ミク」が、"わかってる本当は 君が誰より優しいってことを"と肯定してくれることが、どれだけ生きる上で励みになったか、きっと当時の劣悪を経験したオタクしか理解できない。
DIVA fオープニングテーマということで当然DIVA内のMVのクオリティも高い。
ごめん、ほんまに泣いてええか?
理屈じゃないんだよもう。お前らがどれだけ「ボカロで感動www」ってバカにしても、もう理屈じゃなくなってんだよ。"初音ミクに救われた"というこの経験は、私の、精神の奥の、奥の部分に根差して、どうしても涙がこぼれ落ちてしまう。
本当に神秘的で、初音ミク。あなたは美しすぎる。
ika
気づけば6.4万字です。もしここまで読んでくれた人がいたなら、本当にお疲れ様でした。ありがとうございます。
このnoteを書き出したのがかれこれ去年の5月とかですが、最後はこのボカロPの話で終わろうとその時から心に決めていました。たった2曲しか話題にしませんが。
コンテンツが巨大になるにつれて、古いものは新しいものによって淘汰されていき、フレーズの知名度とは反比例してなかなか「原点にして頂点」と発する機会は少なくなっていきます。
しかし、ボーカロイドにはあるのです。「原点にして頂点」、の曲が。
『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』とはボカロ楽曲の中で初めてミリオンを達成した楽曲であり、3日前に『千本桜』によって越されるまでは全ボカロ曲の中で最高となる再生回数を誇っていた、まさしく「原点にして頂点」というに相応しい楽曲だ。
"みくみくにしてあげる"と中毒性の高いフレーズを初音ミクがポップに楽しそうに歌うことで多くのニコ厨をボカロ沼へと誘った曲であり、もちろんDIVAにも無印から収録されている。
サビの連続パンチのような振りやネギを振り回す振りはシンプルでありながらシンプルであるからこそ真似しやすく踊ってみたを主戦場に当時の踊り手たちによって広く拡散された。
『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』のPVというとこちらも忘れてはならない。
当時まだMMDの無かった時代に、MMD登場時のクオリティをはるかに凌ぐ出来で活躍する3DPVは、完全にプロの犯行です。本当にありがとうございます。
変わり種だと演歌歌手「小林幸子」が「さちさちにしてあげる♪」とタイトルを変え、替え歌を披露した歴史もある。
当時は「期待の神人」と言われてた。
さて、なにも「みくみく」が原点にして頂点だからというだけで最後にika氏を語ろうとしたわけではない。もう1曲、「みくみく」を語るうえで外すことのできない曲がある。今から久々に聴くので、泣く覚悟をしています。
"VOCALOIDを愛する皆様のお陰で、「みくみくにしてあげる♪」はとても幸せな曲になりました。"と主コメにあるが、これは当時、『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』がVOCALOID神話入りした経緯を含んでいる。本楽曲は、「みくみく」の大反響を受けて、5年越しに作成されたリメイクソングなのである。
泣く。
これを泣かずに直視できる古参おるのか?私がここまで65000字に渡って表現したかった
この想いを、たった5分間の動画で余すことなく全て、表現しきっている。
初音ミクが、これまで装着してきた様々なモジュールをまとって、「原点にして頂点」である「みくみく」を歌っている。様々なイラストレーターの書いた絵で、様々なモデリングで踊っている。たったこれだけのことがあまりにも、あまりにも美しい。
ごめん、もうほんまに手震えて文字うてんくなってきた。美しすぎる。美しい。本当に美しい。ありえないほど美しい。ダメだろ、こんなに美しかったら。
初音ミクのモジュール、そしてMMDモデルの数だけ、いいや。そのモジュール、モデルを使った動画の数だけ、ニコニコ動画に「初音ミク」という一人の少女に想いを託した人がいるのです。
初音ミクに歌詞を吹き込み、曲を作り、絵を描き、モデルを作り、動かし、歌ってみて、踊ってみて、ただ聴くだけだっていい。「VOCALOID」を愛した人の数だけ初音ミクに託した想いがあって、その想いのすべてがたった5分に全部凝縮している。
その、全てのオタクの想いを指して"幸せな曲になりました"と言ってくれるika氏はもうどうなっとんねん。
そんなの、もう、泣かないわけがないじゃんか
僕はもうどうしてもボーカロイド全ての曲の中でみんみくで一番泣いてしまうんです。この曲には全てが詰まっています。
VOCALOIDの、俺らの、お前らの、そして初音ミクの想いの全てが詰まっているから、僕は声をあげて泣いてしまいます。
それも全部、あの日、みくみくにされてしまったから。
おわりに
ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。
このnoteは、私がボカロ厨をやってきた中で感じてきた全てを共有したいと思い書き始めました。まだまだ語り足りない曲もあるので、そちらは有料部分で話していこうと思います。本編ほどがっつり書かないし、だいぶ砕けてますが、「価格は200円」にしておくのでもし興味があれば読んでみてください。
ここまで読んでみてどうだったでしょうか。全くボカロを知らない人にも初音ミクのなにが美しいのか理解してもらえたでしょうか?ボカロに明るい人は「あったあったwそんなことw」と喜んでもらえたでしょうか?もしそうならこれ以上の幸せはありません。
記憶だけを頼りに書いている個所も多分にあるので、事実と異なる場合はコメントやTwitter(@amamiharukasan2)のDMなどで教えていただけると助かります。それ以外になんでも、コメントやリプライで感想をもらえるとありがたいです。そんなに読まれないと思うけど。
あとリンク切れとか非公開設定とかもあったら教えてください。
それでは、このnoteがあなたをみくみくにしますように。
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