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【分割版】ボカロとかいうクソデカい物語の主人公『初音ミク』【その1】

※本noteは、7.4万字も書いたせいでnoteがクラッシュしてスマホで読むことができなかった以下のnoteの分割版その1です。内容は同一ですが、有料部分は元noteにのみ付属しています。


はじめに

 VOCALOIDがなにかといった話をここでは敢えてしないがボカロが“私にとって”なにかと問われたら一部の期間をもってすればそれは私における音楽体験の全てだった。

 今の時代のように市井に当たり前に合成音声が浸透するのは人間が理性的な動物に近づくもう少し後になってからのお話で、当時はもうどうしたって『肉声』と『機械音声』の間には越えることのできない巨大な壁が存在していた。今では「人が歌っているか」はたまた「なにかに歌わせているか」なんてことは瑣末な違いとなった。ニコニコ動画の歌い手文化がYouTubeの台頭やSNSの流行によりインターネットの表層にまで噴出した結果、人々がボカロに触れる機会は格段に高まり、『肉声』に対する教条的な信仰は放棄され、そこには曲自体の質のみが取り残され、また評価されるようになった。
 『米津玄師』に代表されるように主にニコニコ動画を活動の舞台としていたアーティストがお茶の間にまで現れるようになり、『肉声信仰』が放棄されたそれだけに留まらず、むしろボカロはかつてウォークマンをJ-POPやK-POPを流す専用機とし、テレビで『初音ミク』の単語が映し出されるや否やチャンネルを変えていた彼/彼女にすらも迎え入れられた。意図的にアニソンやボカロを排除していたCD売上ランキングは地上波に萌え声や機械音声を載せることを厭わなくなり、CDショップには特設コーナーが設けられ、歌い手はもはや手の届く存在ではなくなり、ボカロPは普遍的に『アーティスト』と呼ばれるようになった。

 これは、そんな新時代が訪れることなど微塵も考えていなかった頃の、まだアニメが明確に「通常アニメ/深夜アニメ」と区別されていたように、音楽も「肉声/機械音声」の区別がなされていた、そんな時代の思い出話だ。

 このnoteで言いたいことの全てが端的に私の過去ツイに収斂されている。

全部合わせて、kemuとかほぼ日とかおにゅうとかも全部、れるりりとかぐるたみんとかももうそんなことも一切合切全部含めてボカロの良いとこ悪いとこ凄いとこキモいとこ全部含めて「VOCALOID」ってデカい物語があってその全部に「初音ミク」とかいう女が全部の想いを受け止めて存在しているの美しすぎる

@hoshizora_yume8

 実のところ、この発言の真意を読者に理解してもらうことを、私はあまり期待していない。なぜなら、これは『軌跡』だからだ。そして、軌跡に上に成った『歴史』だからだ。しかもそれは、「VOCALOIDの歴史」であると同時に、「ニコニコ動画の歴史の一側面」といった性質を併せ持つからだ。
 つまり、真意の解明には少なくとも「ボカロの歴史」と「ニコニコ動画の性質」を“知識として”理解している必要があり、その上で、私が抱く『美しい』といったこの特異な感情を理解するだけの感受性がなければならない。その全てを読者に強要するなど、甚だ酷な話だろう。
 しかし、私がダラダラと何万文字にも渡って本noteを書き連ねることができるモチベーションの部分は、ひとえに上記の『美しさ』に起因しているという、そのことだけは忘れないでいただきたい。私は、(たとえ当時はそうであったとしても)ボカロの曲が好きだとか、VOCALOIDのアングラ感に恋していただとか、そういったことではなく、ただただ『初音ミク』という存在に視てしまったのだ、『美しさ』を。


ボカロとの出会い

 「初めて聴いたボカロ曲は?」これは「一番好きなボカロ曲は?」の次くらいにはボカロオタクの間で交わされてきた最もオーソドックスな類のやりとりである。例に漏れず私も話し相手がボカロオタクだと知るや否や水を得た魚だと言わんばかりに「初めて聴いたボカロ曲は!?」と鬼気迫る勢いで幾度となく問いただしてきた。
 このやりとりは例えでも何でもなく『自己紹介』の役目を負っている。「初めて聴いたボカロ曲」「好きなボカロ曲」「好きなボカロP」この三要素が揃えば、相手が何を感じ、何を話し、これまでどう生きてきたのか、その全容はほとんど解明されたといっても差し支えない。
 であるならば、自己紹介の常として、こちらとしても「初めて聴いたボカロ曲」を披露して人間性の開陳を行わなければならないのであるが、実際のところ私はVOCALOIDの第一歩をどの曲で踏み締めたのか判然としない。『メルト』と言われればメルトな気がするし、『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』だと言われればそんな気もしてくる。とにかくわかることは私がまだ小学生が終わるか中学生が始まるか、それくらいの時期で、かつ最もメジャーな位置にある曲だったというそれだけである。
 しかし、その時に感じたエモーションだけはいまだに覚えている。それはメロディーだった。曲調だった。

 当時、小学生だった若造はイヤホン、あるいはヘッドホンを所持しておらず、また数えるほどしかそれらを使用したことはなかった。所持金が常に1円を下回っていた彼には到底「私物を持つ」ことは叶わず、音楽体験はもっぱらMD(Music Disc)によって齎された。
 たった1枚のMDのセットリストは既に忘れてしまったが、確か『愛をとりもどせ!!/クリスタルキング』『OVERLAP/KIMERU』を聴いていたと記憶している。言うまでもなく前者はアニメ『北斗の拳』OPで、後者はアニメ『遊☆戯☆王デュエルモンスターズ』の5つ目のOPである。
 おそらく他にもMDに入れて欲しかったアニソンがあったと推察するが、親による、ペアレントコントロールという名の「萌えアニメの曲ではないか」といった非人道的なチェックが行われていたため、北斗の拳と遊戯王くらいしかMD入りを果たすことはなかった(まさか私が『ブラック・マジシャン・ガール』に萌え萌えしていたことを親は知る由も無いだろうが)。

 つまるところ、少年時代の私に自由な音楽体験はあり得なかった。PCは一応1台あったが、まともに動画を再生できるような代物ではなく、もっぱら『涼宮ハルヒ』のエロ画像を閲覧する専用機と化していたため、心が荒んだ時にはMDを再生し「愛を取り戻せ!」とまるで自身が北斗の末裔だと言わんばかりにクリスタルキングとともに叫んだ。

 我が家のPCの性能が上がり、動画やゲームに触れることが可能になったあの日、私にとってあれは大化の改新や遷都や黒船来航や世界大戦にも勝る有史以来の大事件であった。今となってはどのようにインターネットの大海を彷徨ってニコニコ動画にたどり着いたのかわからないが、ともかく私はニコニコ動画でVOCALOIDと出会った。

 「初めて聴いたボカロ曲」に確かな答えを供せないことは先程述べたばかりだが、「初めて衝撃を受けたボカロ曲」は間違いなく『結ンデ開イテ羅刹ト骸/ハチ』だった。今では『米津玄師』として一世を風靡している彼がハチ名義で投稿したこの曲を聴いた時のインパクトは忘れられない。
 これまで「和風な曲」との出会いを果たせずにいた私にとって、多彩な和楽器によって織りなされる音感はそれだけで新しかった。それに加えて羅刹ト骸の歌詞はあまりに暗く、それはこれまで聴いてきたどの曲をも凌駕する暗さであった。歌詞の暗さは言葉を飛び越え曲調に至り、和楽器の寂しげなサウンドによって醸し出されるダークな世界観と、その中で響く感情を感じさせない機械の音声は全く新しい音楽体験を私に齎した。

 それから私はいくつかのことを知った。この機械音声は『VOCALOID』と呼ばれる製品の『初音ミク』というキャラクターのものであること、ほとんどどの楽曲も素人のクリエイター1人によって作られていること、ボカロはニコニコ動画を主戦場にする文化であること、そこから派生してボカロ曲を歌ったり踊ったりする人たちがいるということ。
 これまで抱いていた音楽の概念が一変した。歌声は人間固有の産物だと思っていたし、曲はCD、もしくはMDで聴くものだと思っていたし、ましてやニコニコ動画などといういちプラットフォームで独自の文化が醸成されていようなど、考えも及ばなかった。

 ハチでめでたく両足を突っ込んだボカロ沼から這い出るまで実に7年を要した。


ボカロと学校集団

 当時はVOCALOIDを聴いている人間に人権は与えられていなかった。中学生が形成する社会集団は異端を排斥することによって調和を実現している。彼らの文化圏における楽曲のスタンダードはMステのCD売り上げランキングによって決定され、それはドラマの主題歌であり、CMに使われるような曲でしかあり得ない。言うならば、彼らは基本的に受け身の態度で、曲の方から自ずと出会った音楽体験しか認めていなかった。探求心に基づく音楽体験への自発は忌避されるモチベーションであり、それはオタクのオタク性を端的に表すことができる極めてお手軽な分類方法でもあった。
 つまるところ、積極的にインターネットの大海をサーフィンし曲を選りすぐるその態度自体が輸入されるべきではなく、ましては機械音声ともなるとそれは一聴にすらも値しないものとなり、そして美少女イラストが添えられようものなら異分子の烙印を押され、徹底的に排斥された。

 その中でボカロを聴くには、レジスタンスを形成するしかない。それはあたかも小魚が集合することで大魚を威嚇し生きていくように、肉声信仰を捨て、初音ミクという女に魅入られた者たちで集い、オタク同士で身を寄せ合うことで野球部に抗って生きていくのだ。しかし悲しいことにオタクは威嚇する術を知らない。
 学校帰りにイヤホンを奪われた末に漏れでる『1925』を聴かれ「お前オタクかよ!!!」と罵倒された時はさすがに泣くかと思った。

 一方で、オタクは倒錯した価値観を持つ生き物である。「中学生なのに俺はボカロを聴いちゃっている」「初音ミクに恋している」「逆にJ-POPなんて聴かない」、若さゆえの浅ましさ、オタクゆえの逆張り精神が融合し出来上がったアイデンティティはしばしば野球部をイラつかせた。
 野球部を代表する運動部からの抑圧やオタク的文化であるボカロを持ち込んだことによる家庭内不協和は精神衛生の悪化に繋がり、過度に悪化した精神はあたかもユダヤの地を追われ選民思想に至り神を信仰したユダヤ教徒のように救いを求めることになる。ニコニコ動画には信仰の土壌ができあがっていた。リア充に忌避される全てをぶち込んで醸成されたニコニコ動画のアングラ感はオタクたちの精神的支柱となり、ボカロオタクの信仰は自ずと『初音ミク』へと向かい、インターネットにおける彼らの態度を幾分か大きくした。浅ましくも醜いオタクを包み込むだけの包容力がそこには在った。逆に運動部は排斥された。ただし相撲とイチローを除く。


ボカロとの軌跡

 さて、長すぎる前置きを終えて少女がアイドルに成るまでのドラマチックを2億倍に薄めた、インキャがボカロオタクに変容するまでの軌跡を追っていこうと思う。当時のオタクのダイナミズムを感じさせるために、時系列順に行きたかったが、あまりにも話題が交錯するためわかりやすさを選びここではボカロP毎に当時を振り返っていく。その都合上、「その時代」に関わる話題や脚注に相当する話は随時『COLUMN』として掲載した。
 また、本noteは救済による壮大な自分語りなので、救済が特に語るべき言葉を持たない動画は取り上げていない。なので「なんでこの動画(この話)がねぇんだよー!」的な批判は受け付けない。ご了承願いたい。

ハチ

 前述したように『結ンデ開イテ羅刹ト骸』の衝撃は凄まじかった。『ハチ』の二文字は意識に強く焼き付けられ、2曲目のミリオン曲となる『マトリョシカ』の登場はもはや社会現象といっても差し支えなかった。

 事実、マトリョシカは投稿されてから7年後に1000万再生を達成し、「VOCALOID神話入り」(10万再生で『殿堂』、100万再生で『伝説』、1000万再生で『神話』の称号を与えられる)を果たした。ハチ特有の奇怪な世界観はそのままに、加えて考察要素に富んだ歌詞はオタクの心に火をつけ、遍くボカロオタクをカラオケに向かわせた。しかし誰一人として歌詞の意味までは理解できておらず、ラスサビ前の「ねぇねぇねぇ」の入りのタイミングも掴めてはいなかった。
 しかし考察を許さない歌詞はそれだけで魅力的に映った。人気なアニメキャラクターには謎が備わっていなければならないように、ハチの書く歌詞の謎は中学生にとって神秘と寸分違わない魅力のように思われた。

 『マトリョシカ』を語る上で外すことのできないキーパーソンが2人いる。『vip店長』と『96猫』だ。

 いわゆる「両声類」である2人だが、男性であるにも関わらず女性ボーカルを歌うvip店長と女性であるにも関わらず男性ボーカルを歌う96猫の対称性はTS大好きなオタクの性癖にブッ刺さりヤフ知恵は「vip店長と96猫のマトリョシカの歌詞ください」で溢れた。
 動画を見たらわかるようにこの歌詞が許されるのはひとえに2人のクオリティの高さによってであり、他の一切は聴くに耐えない結果になること必定だが、怖れを知らないオタクたちは勇んでマトリョシカ(96猫&vip店長ver)に挑戦し、例に漏れず黒歴史と化した。

 個人的にはハチ3曲目のミリオン曲である『clock lock works』が大好き。

 この言葉を用いて良いのであれば、「下品」でなく「上品」に希死念慮や死を描く楽曲は、思春期真っ只中の中高生にはもちろんのこと、歳を経て、大人の大人ゆえの厳しさを知った彼らにも遅効性の劇薬となって感傷が襲い掛かった。

 満を辞して投稿されたハチ4曲目のミリオン曲となる『パンダヒーロー』はニコニコ動画を震撼させた。

 驚異的な速度で殿堂入りを果たしたパンダヒーローはさらに洗練された歌詞における言葉選びと「パッパッパラッパパパラパ」といったキャッチーなフレーズが混在する白黒曖昧な、しかし当時のボカロ界隈に求められていた珠玉の一曲であった。

 隆盛を極めたコンテンツが行き着く先はコンテンツ内部から発生するメタ的な作品である。パンダヒーローの歌詞を見ればわかるように、ボーカロイドコンテンツとボカロP自体をメタ的に歌っており、2011年にして早くもVOCALOIDは歴史の転換点を迎えた。

 『マトリョシカ』の時がそうであったように『パンダヒーロー』においても1人の歌い手をキーパーソンとして挙げる必要があるだろう。

 「フリーダムに歌ってみた」で知られる歌い手『____(アンダーバー)』はタイトルで示されているように作詞者による晦渋な歌詞を39億倍に薄めて薄めた歌詞になんかパラジクロロベンゼンとか野菜ジュースとかを混ぜてわけをわからなくさせることで人気を博した歌い手界隈の中でも特別異質な人物である。
 とりわけ、アンダーバーによるパンダヒーローの歌ってみたは500万というその再生数にも示されているように圧倒的な人気を誇り彼らを代表する動画となった。怖れを知らないオタクたちがカラオケに殺到し、アンダーバーverでパンダヒーローをパッパラし黒歴史を量産したことはもはやここに記すまでも無い。当時のボカロオタクに怖いものはなにもなかった。我らがヒーローの存在がオタクに勇気を与えた。

 何曲かとんで2年9ヶ月ぶりに投稿されたハチオリジナル曲である『ドーナツホール』の出現はまたもやボカロ界を震撼させた。

 ここまで来るといよいよ「ハチ、ここに極まれり」といった感じで、ワンダーランドと羊の歌からも見られ、そして後述する『砂の惑星』で隆盛を極めることになる非-日本人(アジア人)的、また非-地球人的な民族的世界観の構築が為された。


■COLUMN①

【VOCALOIDと歌い手文化】

 この頃になるとニコニコ動画の歌い手達から現在のYouTubeの空気を強く感じるようになる。「うたってみた」動画が原曲の再生回数を超えるといった逆転現象はもはや日常茶飯事となった。「原曲-うたってみた」の主従関係は崩壊し、歌い手に強大な力が集まり、歌い手が歌い手一個人としてコンテンツ化されるようになった。一部の過激な信者からは「歌わせてもらっている」謙虚な姿勢は完全に失われ、「歌ってもらってんだから感謝しろ」と再生回数を笠に着た横柄な態度をとる者まで現れた。また、歌い手自身の素行の悪さも問題視され、特定の個人ではなく、歌い手文化をまとめて嘲笑する土壌が形成された。
 この、原曲と歌い手の関係を取り巻く一連の事態から、ニコニコ動画全体に「歌い手文化」を忌避する空気が流れ出すことになる。歌い手文化に対する向き合い方として「原曲厨」「信者」「無関心」の3つの選択肢が与えられ、VOCALOIDを語るにあたって選択肢から何を選び取ったかのコンセンサスを取る必要性に迫られた。現在でも主に老害、懐古厨の止まった時間の中は歌い手忌避の空気で満たされ、それ故に昨今のYotuberによる更なるパワーバランスの崩壊、vによるボカロの歌ってみた、プロセカに順応できずボカロ厨を他界した者も少なくない。

救済

 ドーナツホールから3年9ヶ月間の期間を置き、満を辞して投稿された『砂の惑星』は、2015年を境にボカロを他界した私のところにまでその名声が轟いた。現在のニコニコ動画における再生回数は1058万回、YouTubeにおける再生回数はなんと7568万回(2023/03/09現在)、この間、米津玄師としての活動が拍車として掛かり、驚異的と言う他ない再生回数に至った。
 歌詞には自身含めボカロの名だたる名曲を連想させるフレーズが織り込まれており、パンダヒーロー同様にVOCALOIDをメタ的に歌った曲ではあるが、2009年からハチとして活動を続けてきた芸歴の長さと、それによる経験によって醸成された存在感は、現役ボカロ厨や米津玄師ファンにはもちろんのこと、今では懐古厨となってしまったかつてのボカロオタクの目にも輝いて見えた。ニコニコ動画はハチの復活を祝い、Twitterにおいても連日「砂の惑星」の話題で持ちきりであった。『初音ミク Project DIVA』もこの機を逃さず、砂の惑星投稿から1ヶ月足らずで『初音ミク Project DIVA Future Tone DX』への収録が決定され、全てのDIVAプレイヤーが歓喜した。


ryo

 ボカロを語る上で避けては通れない楽曲は数あれど、『VOCALOID』を代表する曲と言って万人の頭に浮かぶ曲といえば『メルト』、『みくみくにしてあげる♪【してやんよ】』、『千本桜』の3曲でしか有り得ないように思える。
 その中でも特に『メルト』は、数多の投稿者によって多種多様な想いを基に構成されたVOCALOIDコンテンツの内に於いてもなお、『初音ミク』を、初音ミクたらしめる、VOCALOIDかくありきと言わしめる楽曲なのではないだろうか。

 “メルトを語れ”と指示されたとして、果たしてどのようにしてそれを為せばよいか、私は窮してしまう。『メルト』は、アニソンでいうところの『残酷な天使のテーゼ』であったり、『ライオン』であったり、そういった位置づけにあるこの曲を語るには、まさしく今やっているように「コンテンツそのもの」を語るしかないのではないか、コンテンツ自体を語ることで、もはや「神話」となったこの曲を語るといった形を取る他ないのではないかと思う。

 いつもそこにはメルトがいるのだ。
 『VOCALOID』というコンテンツに想いを馳せ、ボカロについてなんらかを考える時、『初音ミク』というキャラクターと一つになる時、そこには当然の、理としてメルトがあるのだ。もちろん、メルトという楽曲は『VOCALOID』の運命とは全く独立して、偶然によって生み出されており、そこにはなんら必然性はなく、言ってしまえば、ニコニコ動画に数多あるボカロ楽曲のうちの一つでしかあり得ないのだが、その事実を認識していてもなお、VOCALOIDに、そしてニコニコ動画に、『メルト』という楽曲が佇んでいることが“理”であると思われてならない。それは、『メルト』が、夥しい数のオタクたちの想いを一身に背負い、一度でもメルトをフルで最後まで聴いたものなら誰でも行うように、メルトに対する何らかの想いの発露によって、全く経験的に形成された理であり、しかし、全く経験的だからこそ、『VOCALOID』の、『初音ミク』の文字を見た時に、真っ先に思い浮かべてしまうのだ。メルトのことを。

 なにやら高尚な話は一度置いておいて極めて俗な話題に移ると、『メルト』はニコニコ動画における『VOCALOID』タグの再生回数で第3番目に位置するその有名から、ボカロ厨とまではいかない、なんとなく「初音ミクという存在」を知っている程度の彼らに対しても広く認知され、また歌い手文化が相まって一時期は(もしくは現在においてもなお)中高生の間でカラオケのテッパン曲としての座をほしいままにしていた。しかし聴いてもらったらわかるように、男性キーでは特に非常に低い出だしから始まり、サビで爆発的に高音へ至るその道程は幾人もの心を砕き
「今日の私は かぁ!わぁ!いぃの(高音がでないから声量で誤魔化す)よ!(掠れ声) メェ!!!(原キー) あ、ごめんやっぱこれ無理やw(音程無視) 溶けてしまいそう〜(低音)」
 の現象があちらこちらで発生し、はなから「歌わない」の選択肢を選び取ったボカロ厨はライトオタクがデンモクで「メルト」の3文字を入力する度に近い未来訪れるであろう悲惨を感じ取った。


■COLUMN②

【『メルト』とキー】

 メルトの歌い出しには最低音の「mid2A」が含まれ、ラスサビは「hihiA」にまで高まる。「メ〜ルト」の部分でも「hiF#」は必要とされる。男性の平均的な音域は「mid1A」〜「mid2G」とあるように、『メルト』において頻出する「メ〜ルト」の音すらも普通の声の出し方ではままならないということになる。しかしそれならばとはじめから低く歌うとそのはじめが低すぎるばっかりに結局どこかでオクターブ上に転じてしまい、そのままサビで悲惨を招くことになり、2番はこの繰り返しに陥る。ボカロの代表曲といっても歌いやすいわけではない、まさしく機械音声であることを活かした良曲だと言える(それ故に、機械音声にしかありえないと思われた曲を歌い切る歌い手は称賛されるのだ)。

救済

 さて、そんな珠玉の名曲『メルト』を生んだボカロPこそが後に『supercell』として活躍することになる『ryo』であるが、ryo2曲目となるミリオン曲が『ワールドイズマイン』だ。

 「世界で一番おひめさま」、ツンデレお姫様と化し、サムネがフィギュア化もされた初音ミクは当時絶賛放送中であった『ゼロの使い魔』からツンデレに沼落ちした全てのオタクにブッ刺ささった。当然「釘宮理恵に『ワールドイズマイン』をカバーしてほしい」欲求は全てのボカロオタク兼アニメオタクの間で共有され、いくらかの人力ボカロ動画が作られるに至った。

 ワールドイズマインを語る上でこちらの動画も外せない。

 ワールドイズマインの元動画が静止画1枚であるのに対して、有志により作られた手描きPVはわかりやすさの面で優り、ボカロメドレーや組曲などに「ワールドイズマイン」が組み込まれる際にはしばしば上記の動画が用いられた。


■COLUMN③

【VOCALOIDのサムネとPV】

 初期ボカロ曲のサムネは実に簡素で、KEI氏による初音ミクの立ち絵を切り取ったりリサイズしてそれを1枚はっつけただけのものがほとんどであった。ボカロ黎明期に入ると主にイラストレーターに依頼するなどして自曲に合ったイラストがサムネに使われるようになる。ボカロ楽曲に本格的なPVが実装されるようになるには時を待つ必要があるが、静止画1枚によるボカロ動画はその歌詞から得られる解釈のほとんどが視聴者に委ねられる構図上、視聴者の創作意欲を刺激し、非公式PVが有志によって数多く作られた。つまるところ、比較的簡素に思われがちな静止画動画が、静止画であるが故に2次創作の土壌となり、歴史に名を残すことになるPVを生むことになったのだ。

救済

 ryo3曲目のミリオン曲となる『ブラック★ロックシューター』には紆余曲折があった。

 『ブラック★ロックシューター』と聞いて何を連想するかは人によって様々である。無難に上記の動画を思い浮かべる者があれば、より原義に則してhuke氏に想いを馳せる者もいる。さらには『ブラック★ロックシューターTHE GAME』のcv坂本真綾BRSしか知らない者もいるかもしれないし、アニメ版の『ブラック★ロックシューター』が今ではメジャーだとも言える。いや一口にアニメ版といってもOVA版と放送版では語り口も違うし、え?今は『ブラック★★ロックシューター DAWN FALL』の時代?すみませんまだ観れてないです…

 という具合でBRSには紆余曲折があったのでその説明難易度は高く、一口に「ボカロ曲」と紹介してしまうと多方面に潜んでいたBRSオタクたちからの集中砲火ならぬ集中砲石を浴びるハメになるだろう。

 ここでは仔細に入らないが、当時『ブラック★ロックシューター』が何か、といったことを正しく説明できるオタクはそう多くはなかった。なんとなく、ボカロ厨は「ryoの新曲」という観念の下で「ryoのオリキャラの曲」といった誤った推論をしていたように思う。いや、それだけならまだしも、ニコ厨から見た非-教養人達は初音ミクとBRSを同一視した。つまるところ、BRSを「黒い初音ミク」だと認識したのだ。これにはボカロ厨も堪ったものではなく「いや初音ミクとBRSはそもそも別物で〜」としたり顔で非-オタクに早口で解説する様が各所で見られた。


■COLUMN④

【VOCALOIDと誤解】

 BRSはhuke氏のイラストからryoが初音ミクによる楽曲を制作したことに端を発するコンテンツであるが、ゲームとアニメで設定や声優が違っていたり、(あくまで演出の一環ではあるが)Project DIVAで初音ミクとBRSを同一視したと解釈できるMVが制作されるなど、その全容の把握を困難にする諸要素が絡まり合って説明難易度が高くなった。
 一方で『VOCALOID』自体と『初音ミク』を同一視する非-オタクの数は意外にも多く、「お前あれ聴いとるんやろ、“初音ミク”ってやつ」とこれまで数多のオタク達がVOCALOIDと初音ミクを混同した野球部にからかわれ、「いやVOCALOIDには初音ミク以外にも〜」と説明を始めるそのオタク的な仕草もまた嘲笑の的となった。

救済

 少し飛んで『初めての恋が終わる時』に移ろう。

 『メルト』投稿時、ryoが「中二P」と呼ばれていた所以の才能が遺憾なく発揮されたそのまっすぐで混じり気のない歌詞は、着飾るものが無いからこそ真に視聴者の心を揺さぶることに間違いはないのだが、それ故に中二、もといキッズを大量に招くことになった。
 つまるところ動画には「好きな人に好きな人がいたので…by小3女子」「片想い辛いよ…」「ここめっちゃ共感できる」「絶対叶わない恋をしてるので」「←俺も二次元に恋してるから絶対叶わないwwwww」などの身の毛もよだつコメントが殺到し、コメントのOFFを余儀なくされた。
 昔はそれでもサビに入ると「ありがとサヨナラ」職人が現れ、“ありがとサヨナラ”の文字が高クオリティなAAとなって流れていたので、それ見たさにコメントをONにしていたが、さっき見てきたらもう消えてたので余裕でOFFだOFFこんなの。


■COLUMN⑤

【ニコニコ動画とキッズ】

 筆者がニコニコ動画を他界した2015年あたりからニコニコ動画に大量のキッズが流入してきた。これまでニコニコ的であった「歌い手」や「ボカロ」といった文化は世間からの了承を得てより一般に「若者文化」と称されるようになり、その名に違わず若者(=キッズ)がニコニコ動画に大量に流れ込み、動画は彼らのコメント(=ガキコメ)で満たされた。キッズはキッズであるが故にその浅ましさと恥辱に気づくことができない。気づいた時には黒歴史となった過去の自分に悶えることで反省をするしかなく、かつて同じ轍を踏んだ我々としても本来、暖かい目で彼らを見守ることが筋というものだとは思うのだが、もはやそんなことを言ってられない量のキッズが流入し、キッズに侵され、ニコニコ動画のコメントは壊滅的な打撃を食らってしまった(その惨状は「ニコカラ」などで確認することができる)。我々の愛したニコニコ動画は、もうここには無いのだ。

救済

 2018年にミリオンを達成した『こっち向いてBaby』は、え!?こっち向いてBabyミリオン達成2018年!?

 え、そうなんだ。もっと2013年くらいにはミリオン達成してたのかと思った。全然俺がボカロ聴かなくなってから達成したんだ。へ〜。

 『こっち向いてBaby』というと、『初音ミク -Project DIVA- 2nd』のPV、およびMVを思い出すオタクも多いのではないだろうか。

■PV

■MV

 こっち向いてBabyはDIVA2ndのテーマ曲であるため、当時PSPでDIVAをプレイしていたユーザーにとっては慣れ親しんだ曲だと言える。PVを見てもらったらわかるように、DIVA無印時代の無機質な感じがする不気味さは消え、自信を持って「初音ミクたんは俺の嫁!」と言えるほどまで美麗になった彼女は、『ワールドイズマイン』にも通じるツンデレ的な歌詞も相まって、多くのオタクの視線を奪った。<●><●>←こっちみんな


■COLUMN⑥

【Project DIVA 2nd】

 筆者はDIVA無印をあまりやりこんでいないため2ndからの語りになるが、当時モンハン3rdやりたさに購入したPSPはほとんど「DIVA」と「太鼓の達人」と「ダンガンロンパ」の専用機と化してしまったと言っても言い過ぎではない。
 「こっち向いてBaby」をはじめとして、DIVA2ndには名だたる名曲が収録された。「ロイツマ」こと『levan Polkka』、既に紹介した『メルト』『ワールドイズマイン』『初めての恋が終わる時』、誰もが認める名曲『ロミオとシンデレラ』、DECO*27から『愛言葉』、kzから『Packaged』『Yellow』、もはや知らない人はいない『右肩の蝶』『ぽっぴっぽー』『炉心融解』、譜面が見づらい『マージナル』、大人になってから聴いたら泣いた『Just Be Friends』『ハジメテノオト』『サイハテ』、個人的に大好き『クローバー♣︎クラブ』『Dear』、40mPから『巨大少女』、止めても止まらない『ダブルラリアット』、そしてボス曲である『初音ミクの激唱』は全てのDIVAプレイヤーのPSPのボタンを亡き者にした。これら以外にも、総計47曲に及ぶ収録楽曲の数々は、今でこそ多いとは言えないもののVOCALOIDのキャラクター達が歌って踊る様を眺めながら(あるいはそれ故にミスを誘発しながら)の音ゲー体験はリズムゲームがもつ爽快感と達成感に加え、萌要素がしっかりとオタクの需要を掴んだ。豊富な着せ替え要素も嬉しく、KAITOを海パンいっちょにして『カラフル×メロディ』をプレイする遊びなんかは誰もが経験したことがあるのではないだろうか。DIVA2ndはアクセサリーセットも併せて発売されており、筆者も含めて当時のボカロ厨はアイデンティティを誇示するようにPSP本体を緑色に染め上げ、初音ミク柄のポーチに愛機を閉まった。
 初音ミクがニカッと笑いこちらを向いてピースするパッケージを見ると今でも淡い懐かしさに襲われ、多少の感傷とともに当時の記憶がぽつりぽつりと蘇る。いまだに激唱だけフルコンできていない。

救済

doriko

 「COLUMN⑥」で『ロミオとシンデレラ』を“誰もが認める名曲”だと紹介したが、実際ニコニコ動画においてロミシンは949万回再生(2023/03/09現在)を誇る大人気楽曲だ。

 不朽の名作とはまさにいつ聴いてなにと比較してもそのクオリティが損なわれることはない。背伸びしたいじらしい少女の恋愛を歌ったロミシンは所々で韻が踏まれ、かと思えばサビではバンドサウンドが視聴者を湧かす。nezuki氏によるどこかエロティックで情感の漂うイラストは「可愛い」だけに止まらない、ゴスロリに表されるような少女の核になる想いを端的に表現しており見る者の記憶に焼け付く。
 イラスト、曲、そして歌詞、三位一体となって調和の取れた作品だからこそ、どの時代に聴いても古臭くなく、時代錯誤に陥らない。朽ちない魅力を持ち続けている。

 同じくdoriko氏によるミリオン曲である『キャットフード』にもどことなくロミシンの面影を感じる。

 個人的に「DIVA F」のMVが大好き。

 一方でdoriko氏はバラード曲のセンスを称賛される機会が多い。中でも『歌に形はないけれど』は当時の思春期ボカロ厨の涙腺を刺激した。

 今でこそそうでもなくなってしまったがニコニコ動画はそのディープな性質上「Welcome to Underground」したネットオタクたちの魔窟となっており、その中には思春期真っ只中の中高生オタク達も多く含まれた。思春期真っ只中にニコニコ動画ばっかり見ている中高生にロクなやつはいない。彼らのうちのほとんどが学校生活がうまくいっておらず、毒親に対して悪態をつき、要領は悪く、「死にたいというより消えたい…」が口癖であることはわざわざ一考するまでもない事実であるが、そうした社会のはみ出し者である彼らに対しても、ニコニコ動画は居場所として在り続けた。
 そんな彼らにとって『歌に形はないけれど』は肯定であった。自分ですら肯定できない人生に対する、赦しであった。『歌に形はないけれど』に限った話ではないかもしれないが、マイノリティとなり弱者の烙印を押された彼らにとって、いくつかのボカロ楽曲は救いとして働き、『初音ミク』を助かりのシンボルとして崇めるようになった。
 人間とうまく付き合えない彼らは、電子の歌姫に癒しを求めるのだ。


ゆうゆ

 『ワールドイズマイン』『恋は戦争』など特徴的な初音ミクのサムネイルはオタクたちの「2次元を3次元へと昇華したい」想いを受け、フィギュアとして世に送り出されてきた。
 初音ミクのフィギュアを語るうえで外すことのできない楽曲がある『深海少女』だ。

 深い、深い悲しみの海へ沈んでいく少女の心を歌ったシリアスな楽曲である『深海少女』の最後に訪れる「救い」にスポットを充てて制作されたグッドスマイルカンパニーのフィギュアは、深海に差し込んだ光に照らされた一瞬の煌めきを切り取ったなんとも感傷的な作品である。


 『深海少女』はゆうゆ氏を代表する一曲であり、当然ミリオンを達成しているが、もう一曲『クローバー♣クラブ』を紹介したい。

 『クローバー♣クラブ』は2021年にミリオンを達成しておr...え!?『クローバー♣クラブ』のミリオン2021年!?もっと聴けよ!!!!!!!!!
 しかし『クローバー♣クラブ』がミリオン達成までに13年間という歳月を費やしたのには理由があるように思われる。こちらの動画をご覧いただきたい。

 そう、Project DIVAにおける『クローバー♣クラブ』の初音ミクが か わ い す ぎ る のだ。

 『みくずきん』と名付けられたこのモジュールは名前の通り赤ずきんをモチーフにした衣装であり、初音ミクを幼くみせるとともに『クローバー♣クラブ』の歌詞の残忍さとのギャップを醸し出している。
 『みくずきん』が可愛すぎてみんなこっち見ちゃってんだ。「Project DIVA 2nd」及び「Project DIVA extend」ガチ勢だった筆者の最も好きなモジュールの一つがこの『みくずきん』である。こういうギャップに弱いんだ、オタクだから。


■COLUMN⑦

【DIVAとモジュール】

 「Project DIVA」シリーズの重要な機能の一つにモジュールがあげられる。「モジュール」とは早い話「おきがえ設定」である。しかし初音ミクは電子の歌姫であるためなんでもあり、髪型を変えることはもちろん、髪、目、肌の色まで自由自在。時に天使の翼を生やし、時に悪鬼悪霊の類に扮する彼女を様々な側面から観察し、新たな魅力に憑りつかれることもまた「Project DIVA」の醍醐味なのだ。

救済


のぼる↑

 「少女」と「鬱」は常にセットで語られる。それは、外見の上では美しい少女が抱く、憂鬱とのギャップが人々の心を掴んで離さないからだ。
 のぼる↑氏の『鎖の少女』では初音ミクが鎖に縛られることで見事にそのギャップを描かれた。


 「オタク」は家庭環境が悪くなくてはならない。片親ならなお良し。学校ではイジメに遭ってなければならないし、でもなぜか不良と友達でなければならない。勉強しなくても国語の点数だけは良くなければならないし、現代文のテストはテストっていうよりもは気づいたら普通に文章を楽しんでいたっていうか...
 それは、オタクが、クラスのマジョリティによって排斥された「特異な」文化を好む集団であり、その「特異性」を好むということを価値に転化しなければならない構造上、必然的なことであった。

 見えない鎖でつながれた少女は容易にオタクの心象風景と繋がった。初音ミクを救いのシンボルとし、そこに自分を重ねる彼/彼女たちは、「鎖の少女」と自分を同一視し、まるでこれまでの半生を語るかのように情感を込めて「誰ノ為ニ生きているのでしょうか」と声に出した。

 それゆえに、当然続く『モノクロ∞ブルースカイ』もオタクたちの絶大な支持を集めてミリオンを達成することになる。

 「窓の外はモノクロの世界」から始まる『モノクロ∞ブルースカイ』は『鎖の少女』同様に思春期の少年少女の外形からは判断できない憂鬱を代弁したかのような歌詞である。
 しかしのぼる↑氏はそれに留まらない。『鎖の少女』では「鎖の鍵を解いて」と、『モノクロ∞ブルースカイ』では「さぁ、今、手を伸ばして」と、歌詞の最後では彼女たち自身、自らの手で明日をつかみ取るために決意を新たにしている。
 のぼる↑氏の描く初音ミクは、少年少女の良き理解者であると同時に、彼らに明日を踏み出す勇気を与える指導者でもあるのだ。

 そういった意味では、のぼる↑氏自身の主コメで「ちょっと実験的な歌詞です。」とあるように、同時代に投稿され後にミリオンを達成する『白い雪のプリンセスは』は、異色な曲である。

 若者の憂鬱から歌詞を新たに、少女の雪のように淡い恋心を歌った本曲は、しかしさすが例にもれず初恋に人生の全てを悩ませる彼女たちのもとまで届くことになる。ていうか今ニコ動で見たけど「当時〇才」コメばっかりでほんとにオワってんだな。ほんとにオワってるよ。だから今こうして書いてんだけど。


samfree

 『桜のような恋でした』を初めて聞いたときに、人生で初めて「"雅"」とはどういうことかを知った。知識でしかなかった「雅」の一字がはじめて、確かな感覚を伴って理解できたのが『桜のような恋でした』との出会いだった。
 「こんな雅な曲を作るんだ。他にもきっとやわらかで切ない曲をたくさん作ってるんだろうなぁ」、そう考えた当時の私は良い意味で裏切られることになる。

同一人物!?

 こんなこと誰が推測できる。『ルカルカ★ナイトフィーバー』と『桜のような恋でした』の作者が同一人物だなんて。
 当時、samfreeの名を意識することなく楽曲を聴いていたため、これまで聴いてきた珠玉のバラードと通称『SAMナイトシリーズ』の作者が同一人物であることを後になって知る。

 『ルカルカ★ナイトフィーバー』といえば言わずと知れた名曲である。ニコニコ動画での再生回数は579万回再生(2023/03/09現在)、「巡音ルカの名曲といえば?」と訊かれて真っ先ににこの曲を思い浮かべるボカロ厨も少なくないのではないだろうか。
 samfree氏自身が投稿した姉妹曲である『たこルカ★マグロフィーバー』も81万再生(2023/03/09現在)と本家に劣るもののその人気っぷりがうかがえる。

 『SAMナイトシリーズ』はGUMIによる『メグメグ☆ファイアーエンドレスナイト』、mikiによる『ミキミキ★ロマンティックナイト』、ナナによる『ナナナナ★フィーバーミラクルトゥナイト』、Lilyによる『リリリリ★バーニングナイト』、いろはによる『ネコネコ☆スーパーフィーバーナイト』、ピコによる『ピコピコ☆レジェンドオブザナイト』、IAによる『イアイア★ナイトオブデザイア』と続き、もれなく殿堂入りを達成している。しかも上記楽曲はそれぞれ、新ボカロがリリースされた際の「初めてのオリジナル曲としての殿堂入り」を果たしている。まさに偉業である。

 そんなsamfree氏であるが、2015年9月24日に急逝していたことが公表された。当時、まだギリギリでボカロ厨だった筆者としてはこれから新しい『SAMナイトシリーズ』楽曲を聴くことはもう二度とないのかと悲嘆に暮れるとともに、ここに一つのボカロの時代の終わりを見たのである。


■COLUMN⑧

【踊ってみたといえば】

 「踊ってみた」といえばこれはもう間違いなく『ルカルカ★ナイトフィーバー』である。というのも、「踊ってみた」コンテンツで人気を博す「愛川こずえ」が振付し、踊った動画「【こずえ】ルカルカ★ナイトフィーバーを踊ってみた【らめらめよ!】」の再生回数は590万再生を超え(2023/03/09現在)、なんとその振付が公式に採用されるまでに至っている。以降、MMDやProject DIVAさえも『ルカルカ★ナイトフィーバー』の振付にはこずえの動画のものが使われることになる。
 「ニコニコ超会議」の「超踊ってみた」では数百人が実際に集まり『ルカルカ★ナイトフィーバー』を含めた楽曲を踊り続ける姿が公開された。
 秋葉原でそこらへん歩いてる20代後半のオタク捕まえて「ルカルカかハルヒ踊れますか?」って訊いたらたぶん3人に1人くらいはどっちか踊ってくれるはず。知らんけど。

救済

■COLUMN⑨

【派生キャラクター】

 『たこルカ★マグロフィーバー』の『たこルカ』のようにボカロには多くの派生キャラクターが存在する。そのほとんどが、ミクやルカなど、公式のキャラクターから生まれた二次創作キャラクターである。
 『たこルカ』とは三月八日氏によって生み出されたキャラクターである。作者曰く、巡音ルカを簡略化した結果生まれたキャラクターらしく、Project DIVAの『ルカルカ★ナイトフィーバー』のMV内でもその存在を確認できる。

https://www.youtube.com/watch?v=ScSW9C3DF18

 もう一体、『ミクダヨー』を紹介しておこう。ミクダヨーは、SEGAの販促イベントに登場したねんどろいど初音ミクの着ぐるみに対する名前である。見てもらえればわかるがなんともいえない表情とそのプロポーションから「ミクそっくりだけどミクではない、怪しい偽物キャラ」として一大ミームを引き起こした。オタクたちの間では、なんとなく襲い掛かってきそうな人に仇なす存在として認知されている。ちなみにミクダヨーもたこルカ同様に公式に逆輸入されている。SEGAの恐れを知らないところ好きダヨー。

https://www.nicovideo.jp/watch/sm17204796

救済

■次回


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