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その日、プリキュアに出会った。愛を知った。

私は長いこと子供のことが嫌いでした。


ユニット甲子園で吉武千颯さんの笑顔に脳を焼かれた。座席はアリーナ数列目、「Sunny Passion」のステージの間、目の前で吉武千颯さんが踊っていた。「太陽のように眩しい笑顔」とはまさにこのことをいうのだと実感した。見ている人の抱える闇をかき消すかのような笑顔だった。加えて当時は「わんだふるぷりきゅあ!」をリアタイしていたこともあって、わんぷりのライブはなるべく通いたいと思っていた。そんな矢先、大阪府のセブンパーク天美で『AMAZINGPARK!!! ANISON SPECIAL LIVE』が開催されることを知った。

『AMAZINGPARK!!! ANISON SPECIAL LIVE』は「吉武千颯」「遠藤正明」「voyager」のお三方が出演されるフリーライブだ。愛知県から大阪府、それほど遠くはない。在来線で3時間程度か。ホームページには9時30分から座席整理券配布とある。朝早くに出発すれば間に合わない時間でなない。2024年5月6日、朝6時に家を出て未踏の地、天美へ向かった。

セブンパーク天美には朝9時に到着したものの、既に整理券の配布場所は長蛇の列を成していた。当然ながら整理券は数に限りがある。今から並んで果たして受け取ることができるのか、実際列が動きだし、7割ほど捌けた時点で整理券が残り少ない旨がアナウンスされた。

ライブは午前の回と午後の回に分かれている。午前の回の整理券はなんと私の目の前で配布終了してしまった。しかしなにも整理券がなければライブを観賞できないというわけではない。これはあくまで「座席」の整理券に過ぎない。つまるところ、整理券は前方に配置された座席に座る権利を与えるものであり、後方の立ち見エリアに陣取ることを厭わなければ無用の長物なのだ。

午後の整理券だけ受け取り、急いでステージへ向かった。ライブの開演までは1時間以上あったが、後方立ち見エリアは自由席のため、最前を確保するためには早期に行動するしかない。最前ドセンに陣取り、開演までの間「ブルーアーカイブ」をすることで時間を潰した。

結論から言うとライブは素晴らしかった。

ずっと聴きたかったわんぷり楽曲で飛び跳ね、遠藤正明氏の「爆竜戦隊アバレンジャー」に涙し、初めて聞いたvoyager氏の歌声に酔いしれた。予め最前を確保していたことも功を奏した。私のライブ態度はお世辞にもおとなしいとは言えない。跳びポはハイジャンプするし、曲によってはマサイも厭わない。ステージ上に複数人立つときは推しジャンするし、アニクラなどの現場であればMIX、家虎、オタ芸も率先して行う。人生で初めてライブに参加した時は、自分が好きなコンテンツを同じように愛している人たちがこんなにいるのかと感動したものだが、今では「自分に対してお気持ちをしてくるのかどうか」「敵か敵ではないか」といったラベル付けをする対象としてしか見ていない。正直に言ってしまえばほとんど全ての参加者は私にとって邪魔でしかないのだ。

午前のライブが終わり、吉武千颯さんの特典会に参加したものの、午後のライブまで1時間半ほど時間が余っていた。午後のライブは整理券を手に入れていたので急ぐ必要はなかったが、整理券で入場すると座席に案内されるので当然立って飛び跳ねることはできない。午前のセトリを鑑みるに、午後もはしゃげることは確定していた。整理券を受け取っていながら座席に穴を開けるとはあまり褒められた行為ではないが、なに、朝早くから並んで整理券を勝ち取ったのは他でもない私なのだ。それをどう使おうと私の勝手だろう。整理券をポケットにしまい込み、午前の時と同様に私は後方立ち見エリアの最前ドセンに陣取って「プリンセスコネクトRe:Dive」を起動した。

しばらくして、私の隣に親子連れが陣取った。娘の方はまだ5つか6つといったところだろうか。その日、吉武千颯さんが着ていたステージ衣装と同じデザインの衣服に身を包んでいた。ライブ会場であるセブンパーク天美に複合されているミスドで買ったのであろうドーナツをぼろぼろこぼしながら食べるので、零れ落ちたカスを母親が懸命に拾い集めていた。


邪魔だな、と思った。


元来、私は子供のことが嫌いだった。甲高い金切り声で泣きわめく姿を見るたびに、頭がおかしくなりそうだった。非理性的で、対話が成立する余地のない子供が苦手だった。自分とは異なるフレームワークで考え、予測不能な行動をとる子供は、単に不快なだけでなく、時には理解不能で恐ろしい存在に思えた。他人から可愛いだろと赤子を見せつけられるたびに「可愛らしいですね」と心にもない言葉を機械の応答のように返した。子供を可愛いと感じる感受性が、自分には欠落していることを嫌というほど自覚していた。

私はポケットから整理券を取り出し母親に差し出した。「良ければどうぞ」と、まるで親切心からの行為であるかのように、スマートで紳士的な態度を装って。

もちろん親切心からではない。ただでさえ不可解な子供が隣にいては、ライブを楽しむ上で支障をきたす。ジャンプする度に隣人の顔色を窺わなければならないなんてまっぴらごめんだ。不要になった整理券でそれを回避できるなら、これほど合理的な解決策はないだろう。「申し訳ないですから」といくらか遠慮されたが本当に使わないのでと言って譲ることができた。これで午後のライブも安泰だ。心置きなく騒ぐことができる。

それは私にとってあまり重要ではなかったが、母親からいたく感謝され、「○○ちゃんも、お兄さんに"ありがとうございます"って」っと娘に感謝を促していた。娘は人見知りなのか、母親の陰に隠れてあまりこちらを見ようとしていなかった。私は愛城華恋の幼少期を思い出していた。
特に話題もなかったが開演までの残り時間を親子と会話することで潰すことにした。整理券を渡して、はいそれではさようならと突き放すのもどうにも気が引けた。

会話を通じていくつかのことを知った。娘が着ている衣装は母親が今日のために手縫いしたものであること。母親自身、元々プリキュアが好きで、娘もプリキュアを好きになってくれて嬉しく感じているということ。そして、大人になってもプリキュアを卒業しないでほしいと願っているということ。
愛されているのだと思った。母親が子を愛している、こんなに素晴らしいことはない。たとえ私が子供を苦手だとしても、子供の幸せを願う気持ちは別だ。私は両親と良好な関係を築くことができなかった。両親に一言も告げずに他県へと引っ越し、今でも父親とは7年以上連絡をとっていない。母親が子を思う気持ちは美しいと感じる一方で、私にはどこか複雑でもあった。目の前の幼子はそんな私の心情など知る由もない。

私は屈んで幼子に話しかけた。

「プリキュアは好き?」
幼子は無言で頷く。

「どのプリキュアが好き?」

これはほとんど意味のない質問だ。なぜならほとんどの幼子にとって「プリキュア」とは端的に「現行のプリキュア」のことを指している。日曜朝のテレビに映らないプリキュアのことなど、気にも留めないのが普通だ。
「キュアワンダフル」か、もしくは「キュアフレンディ」か、どちらで返されても「かわいいよね~」とテンプレ的な返しをする気だった。
しかし次の瞬間、私は立ち上がった。

「キュアドリーム!」

大声で復唱する私を幼子は笑顔で見つめていた。まさか17年も前のプリキュアの名前が飛び出てくるとは思いもしなかった。
聞くところによると、この子は新旧問わずプリキュアを観ているようで、当然『Yes!プリキュア5』も視聴済みだというのだ。まだ5つか6つ。小学生にすら満たない子供にそんなことが可能なのか。かくいう私もプリキュアシリーズ2作目の作品『ふたりはプリキュア MaxHeart』の「シャイニールミナス」が一番好きなのだ。現行のプリキュアだからどうこうではない。一度心を掴まれた女を、早々鞍替えすることはできない。

それからの時間、私は幼子とプリキュアの話をして過ごした。
「ドリームのどんなところが好き?」
「わんぷりだと誰が好き?」
「おじちゃんはシャイニールミナスが好きなんだけど知ってる?」
不思議なことに、気づけば私は相手を「子供扱い」していなかった。自分と対等な、一人のプリキュアファンと話していたのだ。

開演時間が迫り、「自分ライブ中すっごく動くので」「え!?全然そう見えないですけど」「いえ、ほんとうに」「ライブ中お兄さんのことチラ見しますね」とかなんとか会話を交わし、親子は前方の座席エリアへと移動していった。ライブ中の姿は心から見られたくなかったが、よもや本当に吉武千颯さんのステージを差し置いてこちらの様子を窺うことなどあり得ないだろう。いつも通り跳んで、跳ねて、ライブを楽しむだけだ。多少の想定外はあったが、やることは変わらない。

そんな時だった。着席したはずの幼子が、とことこと最前に陣取っている私のところまで一人で歩いてきた。

「これあげる」


そう言って手渡されたのはプリキュアのウエハースだった。

涙が流れた。自分の醜さに、そして幼子の持つ愛の美しさに。

幼子とは、こんなにも純粋な愛を内包していたのか。損得勘定も、形式もない。混じりけの無い愛を抱いていたのか。

そもそも俺は、隣に現れた邪魔者を排除したくて整理券を渡した。どこの誰とも知らない第三者が空から俺の事を咎めているような気がして、なんとなく気が引けるから話すことにした。全て自分のためでしかない。どこまでも自分が楽しむためだけに行った行為が、思いもよらない形、「愛」となって返ってきた。
母親の陰に隠れて、挨拶も満足に交わせなかった子が、1時間前に現れた謎のおっさんを愛することが可能なのか。そんな愛がこの世に存在するなんて、考えたこともなかった。想像も及ばなかった。夢にも思わなかった。子供とは押しなべて理解不能であり、非理性的であり、野蛮で、自己中心的で、大人に至るまでの必要悪の期間でしかないと考えていた。

全く、知らなかった。早くに親族と絶縁してしまい、友人はキモオタばかりで結婚の兆しはどこにもない。俺には子供と触れ合う機会が圧倒的に不足していた。浅い解像度で子供を嫌い、退け、それを一種のアイデンティティであるとさえ錯覚していた。幼子に、こんなに美しい愛が宿っているなんて、ほんとうに、全く、知らなかった。

私は愕然とし、号泣しながらウエハースを受け取った。幼子はなぜ泣いているのかわからないといった様子で、きょとんとして自分の座席に帰っていった。
振り返ると、真後ろにもステージを心待ちにしている小さな女の子が居た。私は女の子に最前を譲った。これまでの自分からは考えられない行動だった。幼子から受け取った無償の愛を抱えきれず、少しでも愛を分け与えたいという気持ちが湧いていた。それは、これまでの自分への贖罪でもあったのかもしれない。

ライブが終わり、最前から少し離れた場所にいる私のところまで親子が挨拶しに来てくれた。「おにいちゃん、いちばんたかくとんでたね」と言われて、少し恥ずかしかった。

ツイ垢を尋ねられたが「それだけは...」と全力で死守した。

去り際に小さなプリキュアが「またあおーねー!」と言って笑顔で手を振っていた。

駅までの徒歩15分間、私は泣き続けた。
かつて子供を嫌っていたおっさんの姿は、もうどこにもなかった。


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