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雲部!vol,54 伊藤洋三著『雲の生態』

こんにちは。きょうは貴重な雲の本そしてその著者について書きます。

今年の春、高校時代にお世話になった地学の先生にお会いし、先生が長年大事に所蔵されていたこちらの本を頂きました。

伊藤洋三著『雲の生態』地人書館 1967

発行は1967年。先生が学生時代に「雲を研究したい」と思ったときに、どうしても必須の本だったため、入手されたとのことでした。その後、ご事情で雲とは別の分野に進まれたそうですが、一時期取り組んだ雲のスクラップブックも合わせて頂戴しました。広大な空が一枚には収まらず、複数の写真プリントを円孤状につなぎ合わせたものもあります。今ならパノラマ写真ですね。

先生がクラウドウォッチャーだったとはいざ知らず。もっとも高校時代は私も雲の魅力にはそこまで気づいていなかったのですが、もし当時お互いがクラウドウオッチャーであったなら、色々話ができたでしょうに。

さて、この『雲の生態』です。著者の伊藤洋三さんは写真家、雲の研究家であり気象の科学者ではありません。けれどもその雲の写真の美しさ、種類の豊富さが科学関係者からも広く認められ、何冊もの雲の本の出版に至ったそうです。

本書には約200点のモノクロ写真が掲載され、1点1点に伊藤氏による解説が付されています。絹雲だけでも36点の写真があり、解説には雲形と雲符号、当時の気象状況や雲の変化の様子を簡潔かつ明瞭に書かれています。
中には今見てもかなり珍しい波状の絹雲の写真もありました。

伊藤氏は少年時代から雲に魅せられていたそうです。本書は雲への思慕や研究の積み重ねと写真の技術が合わさってできた労作であり、傑作なのだということを感じます。

ただ、本書の最後にはとても違和感を覚える雲が載っていました。キャプションは「飛行機雲」です。複数の機体が1か所を何度も旋回しているような、ランダムな航跡が幾重にもかさなる飛行機雲です。

A地点からB地点に向かうはずの飛行機で、このような雲ができるはずがありません。解説ページをみて、合点が行くというより絶句しました。

203は終戦も間近い1945年2月15日、名古屋大空襲のときに発生した飛行機雲で、発生して間もない白い線状のもの、しばらくたってやゝ太くなり絹積雲の性質をおびているもの、さらにぼやけて絹雲の性質をおびたものなどいくつかの段階が見られる。
1945年2月15日・14時50・晴・三重県四日市より名古屋方面(北東)をのぞむ。

伊藤洋三著『雲の生態』地人書館 1967 写真解説p.59より

この解説は客観的な記述にとどめられていますが、同じ写真を掲載した別の本ではこうした一文が添えられています。

90の「こひ」があらわれて2日おいた2月15日、名古屋がB29の大空襲を受けたときの飛行機雲を、私の郷里の四日市の在方から写したものです。航空機会社に勤めていた私の知人は、今日は何だか行きたくないと言いつつ、出かけたそうですが、そのまま帰らぬ人となりました。

伊藤洋三『雲の表情』保育社 1974 p.94より

伊藤氏は本書『雲の生態』のあとがきの中で、戦時中にご自身が軍隊の依嘱を受けて沢山の雲の写真を写したこと、それがその後の基礎になったことを記しています。
ただ、戦時中、戦後と雲を見続けるなかには、美しさだけでは済まない雲にも多く出会われたのでしょう。

もちろん古くから嵐の雲、火事の雲、火山の噴火の雲など恐ろしい雲があったわけですが、現代に入るとだいぶん雲行きが変って、原水爆の雲、公害の雲など、私どもの生活を自らの手で破壊することを意味する、いまわしい雲が登場してきます。

私は少年時代のある日に、ふとしたことから雲の姿を写しとめるようになってから、もう三十七年の月日が流れています。私の念願は、いつまでも平和で美しい雲の姿を写し続けてゆきたいということです。

伊藤洋三『雲の表情』保育社 1974 p.1より

雲を愛でる者の1人として、伊藤さんのこの言葉とその重みを、心に刻んでおきたいと思います。

※ 上記の取り上げた図書はいずれも国立国会図書館デジタルコレクションに収められています。ここに挙げた図書は個人登録手続きを取れば全ページのオンラインでの閲覧が可能です。

風船みたいな雲が浮かんでいました。巻雲の濃密雲でしょうか??






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