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朝起きたら実家が全焼してた話

※この記事は自分の気持ちの整理とデータとして残しておきたいという自分の為に書かれています。


1/27(土曜)の10時くらいに
地元の友達のLINEグループにいきなり火事の動画があげられてた。それといつもかかってくることが珍しい地元の近所だった先輩からの不在着信。

寝起きなこともあって、人事かのようにぼーっとその動画を見てたのを覚えてる。  

動画をみて10秒くらいで、普段かかってくるはずのない人からの不在着信と
この動画でそれは自分の家が火事になったかもしれないと思い始めて
すぐに親が生きてるか確認したくて電話をした。

親は電話に出てくれて、実家が火事で全焼したことを聞いた。

まず、親が無事だったことが1番ほっとしたがその後に家がなくなったこと全焼したことがいまいち分からなくて
ぼーっとしてた。

とりあえず、いまの状況が分からなすぎて友達に実家が全焼したと連絡をしたのを覚えてる。

誰かに話しても現実味がなさすぎて
とりあえず夢かもしれないって
いつもならそんな現実逃避なんてしたこともないけど、朝起きたところから

そもそも夢だったと思いたいという願望があって、寝た。

起きてみると、やっぱりLINEの履歴や親と話した通話履歴があって

そこでやっと実家が全焼したって
分かった。理解できた。

僕を心配して連絡をくれた友達と少しやりとりしてて、「家が燃えたってことは写真や思い出もなくなったってことよな?」と言われて

やっと、家がなくなった事実以外にもっと大事なものがなくなったのを気づいた。

パソコン、スマホ、家具、家電や物の延長で家も物だと思ってたから
大きい物がなくなった。すぐに買えるものじゃないけど、あくまで物が無くなった、パソコンが壊れたのと同じように思ってたけど、違った。家だけどそれは実家だ。

実家には自分が生まれ育ってきて、高校までずっと住んできた記憶がある。思い出がある。実家そのものや実家にある物も紐づいた思い出、それが無くなったということは火事にあった日から高校までの家での記憶が消えていく。実家の存在そのものがないから思い出すこともできない。

今日で火事から3日、火事が起きた日よりも僕の記憶は確実に実家の記憶が無意識的なところで無くなっていて

記憶喪失とは違うけど自分の大事な18年間の記憶がなくなっていく、そう思うと実家が無くなったことに悲しくて涙が出た。

その時に食べたお昼ご飯の味は生まれて初めて味がしなかった。

気持ちの整理をしたくて、これからの話が聞きたくて親に電話をした。電話口での親は「終わったことは仕方がない。」と僕よりもその家に愛着があるはずで、リフォームもしている最中で、さらに火災保険を切り替えている最中で火災保険をおりないこと、3重以上の苦があるはずなのに、実際は分からないが言葉だけでもそう言えるたくましさがあった。

その言葉を聞いてからこれだけきついはずの親ですらもう前向きになっているんだから自分が悩んでも仕方ないと。
これから出来ることをしていこうと思えて気持ちが徐々に切れ変えてこれるようになった。

家があった土地を売るも使うも自由にしてくれなんてことを言っていたが

※友達にお願いして撮ってもらった実家の写真です。

長期的に考えていた親に家を建てるという目標がやらねばならないという義務感に変わって人生における覚悟ができた。

終わりに

このブログを書いた意味はあくまでも実家への記憶を出来るだけ僕が覚えておきたいことと、僕に関わってくれた人達や友達や先輩、後輩へこういう事はいつ起きるかも分からないからせめて写真とかはデータ化をオススメします。
僕が仮に結婚するとしてスライドショーに使われる僕の子供のころの写真も一切ないので、たぶん友達の写真の端にうつってる僕の写真を使うことになりそうだなと思いました。

1番上の猫の写真は去年の秋に実家に帰った頃に猫を撮った写真で、これが大切な実家の写真になりました。


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