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僕のインターネットの話

そういやこのブログにはまだ「自分がどういう人間か」という自己紹介を書いていなかったなーと思い書いてみる。

といっても、書くことと言ったらほぼインターネットの話しか無いよなーと。なんか、リアルなこと書くのつまんないし。

というわけで、この記事では僕がインターネット使い始めてからどういったところにいたか書いていこうかなと。

2000年代前半ー2ちゃんねるに入り浸る

僕は1987年生まれで、中学生頃からインターネットを使い始めたわけだけど、まあ多くの、当時インターネットにはまった人たちと同様に、2ちゃんねるにはまっていたりしました。

主に居た板としてはニュース速報板や大規模OFF会板、FLASH板という感じで、まあ要するに、昔懐かし吉野家OFFとかマトリックスのフラッシュモブとか、そこらへんの祭りに参加したり、面白いFLASHなんかを見ていたりしました。

当時の雰囲気は下記の本とかに書かれているのでおすすめ。しかし、もうこんな風に研究されるような文化になったんだなぁ、当時の時代は。

あと、当時「World2ch」という2ちゃんねるの海外版を作ろうみたいな動きがあって、当時英語なんて全然分からないのに手伝ってたこともありました。まあ、それは当然うまくはいかずぽしゃった訳ですが、今思うとあれが成功していたら4chanみたいになっていたのかなーと思ったり。

で、そんな風に2ちゃんねるで色々遊んでる中で、当時はやり始めた2ちゃんねるまとめブログというのを自分でもやってみたくなり、ブログを立ち上げたりしたのが、自分が初めて立ち上げたブログだったわけです。

といっても、まあまとめブログなので、スレッドの中の面白いレスをいくつか抜き出して、それに一言二言感想を乗っけるという感じでしたが。

2000年代後半ーはてなダイアリーで暴れる

ただ、そうやってまとめブログを書きながら、なーんか徐々にネットの毒にあてられていきました。特に当時は思春期ですから、ネット上の悪意というものに直に向き合っていたんですね。

で、その鬱屈が爆発したきっかけになったのが、2004年に起きた、佐世保小6女児同級生殺害事件でした。

今はもうこの事件を覚えている人もあまりいないと思いますが、当時ネット、特に2ちゃんねるといった場所では、加害者の児童の顔写真が流出し、それが「萌え」るということで祭りが起きていたりしたんですね。まあ、ネットの悪趣味な部分が煮詰まったような祭りが、起きていたわけです。

で、今の僕だったら「まあネットってそういう悪意が集まる場所だよね。見ないようにしよ」と思うことができたんだと思うんですが、当時の僕は、そういう悪意に本気でむかつき、そういう悪趣味なことをやる連中を憎んでいました。

そしてその一方で、加害者に対しおためごかしな言葉しか言わない既存のメディアにもイライラしていらわけです。そして、過剰に加害者に自分を投影してしまったわけです。そしてインターネットに、そういう危ういメンタルのまま文章を書き連ねた。

はっきりいうと、当時自分がどんなことを書いていたのかは、思い出したくありません。マジの黒歴史ですね。

ただそんな中、そういう思春期の少年の危うい鬱屈を相手にするネットコミュニティがー幸か不幸かーあったわけですね。それがはてなダイアリーだったわけです。

今のはてなブログは、特に変わった所の無いブログサービスの一つですが、当時のはてなダイアリーは、なぜか文系の哲学や現代思想・心理学・社会学というようなことに詳しい人が集まり、そしてそれに引き寄せられるように、終わらない思春期をずっと生きているような鬱屈した若者が、そのルサンチマンを、衒学的に理論武装するというような、そういうどうしようもない場所でした。

(当時のはてなの雰囲気については、以前はてなブログで

という記事を書きました。)

で、そんな中で僕も周囲の大人に馬鹿にされながら、当時の僕が僕なりに考えた、社会や人生や恋愛についてのことを書いていたわけです。

そしてそんな中で、色々面白い人たちとオフ会であったりしました。活動家のたむろする酒場に招待されたり、深夜の公園で花火したり……本来だったらそういう馬鹿騒ぎは、リアルな高校・大学ですべきだったんでしょうが、まあ、僕にはネットしか無かったので。

2010年代前半―togetterで放火魔になる

ただ、そうやって馬鹿やってた人たちも、徐々にまともな大人になったり、あるいはなれなくて彼岸の彼方に行ってしまったりしていきました。さらにいうと、その頃(2010年代)から、インターネットという空間にどんどん一般人が入ってきて、「子どもの遊び場」から「リアルと地続きの社会」になっていったわけです。

で、そんな中僕は、togetterというサービスにはまりました。

Togetterというのは、Twitterでの様々な人の発言をまとめることができるWebサービスです。

TwitterというのはSNSですから、普通に使っている限りは、自分と同じコミュニティに属する人を相手にして発言するわけです。ところが、このTogetterを使うと、全く別のコミュニティに属する人の発言を並立して並べることができるわけですね。

そうすると、「あるコミュニティで常識とされている発言」と、それとは全く反対の「別のコミュニティで常識とされている発言」を並べることができるわけです。そしてそこに、相容れることができない対立があることを可視化できる。

元々僕は、「世の中の人はなんでこんなに、全然違う意見を持っているはずなのに、表面上仲良く取り繕ってるんだろう。それって、偽善じゃないか?意見が違うんなら、とことん戦うべきじゃないか?」と思っていたので、そうやって表面化していない対立を顕在化させるのが楽しくて仕方なかったんですね。

そして、さまざまな対立まとめを作りました。一番盛り上がったのはやっぱツイフェミとオタクの対立ですね。自分が作ったまとめをきっかけに、SNS上で議論が沸騰するのはとても楽しかったです。

今思うと、その行動は「憎悪クリエイター」と呼ばれるような人とほとんど同じだったと思います。ただ、一言弁明しておくと、僕はPVとか、それによる収入を目的に対立を煽っていたと言うより、対立があるのだったら、それを押さえ込むこと無く、双方がきちんと自分の意見を発表し、それで論戦をしたほうが健全だろうと。そして論戦の末に双方が納得する合意ができるはずだと、そう無邪気に信じていたわけです。

まあ、その無邪気さこそが罪と言われれば、ぐうの音も出ないわけですが。

2010年代後半―あがったりさがったり

ただみなさんご存じのように、そうやって人々の対立に油をそそぐようなことをしていた結果として、今のネットはあらゆるところで炎上が起きるような場所になったわけです。論戦の末に相互合意が生まれるなんていうのは夢物語であり、インターネットは党派で分断され、別の党派のミスにいかにつけ込んで自勢力のヘゲモニーを拡大化するという、抗争の場とかしてしまっている。

そして、そういう抗争の場で何ができるかと言えば、「戦いなんて嫌だ」といって何も書かないか、一兵卒として「自分の信じる者のため戦うか」なわけです。で、僕はといえば、その両極を、まるで躁鬱かのように行ったり来たりしていました。

現在―ていねいなインターネットを目指して

正直、その躁鬱はいまも収まってないわけですが、ただそれじゃあいけないよなとも、最近思ったりしているわけです。

結局、論戦にしろ異議申し立てにしろ、それが良い結果を持つのは、最低限人々の間に「相手はリスペクトしなければならない人間だ」という思いがあるからなわけです。ところが、インターネット上ではその「リスペクト」を他者、特に自分と異なる意見を持つ敵に持つことはとても難しいわけです。

例えば昔公民権運動では、白人専用と言われた席にあえて黒人が座ったり、あるいは四肢に障害を持つ人が、敢えてバスの前に立ち塞がって「自分も乗せろ」と言ったわけです。そういった運動がなんで実を結んだかと言えば、それを排除するとしても、その排除される側の目を見て、一人の人間として捉えることが必要だったからだと思うんですね。

ところがインターネット上では、現れるのはあくまで「文字」とかであって、その人自身ではない。だから、簡単に相手のことを否定できてしまう。

それをなんとかするのは、やはり今までのインターネット・コミュニケーションのやり方ではだめだと思うんです。ただの「文字の集合」ではない、一人の「尊重すべき人間」として、相対することができなければ、結局どんなに言葉で議論を交わしても、空中戦にしかならない。

じゃあどうすればいいか?それは今の僕には分かりません。

ただ、このnoteでは、それを踏まえ、「一人の人間」としてインターネットに自分を示し、そして他者をリスペクトすることはできないのか?ということを考えていきたいと思います。

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あままこ(天原誠)
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