私の国際恋愛がうまくいかなかった意外なワケ
恋バナにかこつけた人間のアイデンティティに関するちょっと真面目なハナシ。
元カレはアメリカ人
大学留学時代に知りあったアメリカ国籍の男性と、1年半ほどお付き合いをしていました。
彼の名前はカール(仮名)。カールは台湾系アメリカ人で、日本文化に興味があり、日本の大学院へ入学するため日本へやって来ました。
日本で再会を果たし、付き合い始めた私達。日本では知り得ないアメリカの人気テレビ番組とか、エッチなスラングとか、色々新しい世界を教えてもらえて面白かったです。
カールも大学院を卒業後は一旦日本の企業に就職し、国際結婚も悪く無いな〜なんか思ったりしてました。
そんなカールと私が決まって険悪なムードになるタイミングがありました。それは、カールが日本人を批判する時。
当時はなかったですが、今でいう、WHY JAPANESE PEOPLE!?ですね。
「日本人はこんなに残業をいっぱいして本当に効率が悪い。バカだ。」
「行列に2時間も並ぶなんてアリエナイ!ヒマナノ?」
「なんで会社に入って1年目は先輩の手伝いしか出来ないの?スキルいらないじゃん」
どれもこれもモットモなご指摘です。当然最初は私も、
「日本人はそういう人種だからね〜。(ー_ー; 」
と、特に悪い気分にもならず、さら〜っとながしたりしておりました。
しかし・・ある時ふと気が付くと、私はカールの発する日本批判にいちいちイライラするようになっていました。特にきっかけがあったわけではありません。
コップに溜まった水があふれたような感覚が一番正しいかも。
「そんなこと言ったって日本人はそうやって社会に入っていくしか無いんだから仕方ないやん!!」
「そんなに日本が嫌ならアメリカで働けば!!」←はいOUT
何故、自分でもおかしいと認識している日本人の悪習を批判された怒りを好きな人にぶつけてしまったのか。
それは、「日本人を批判する=私自身(日本人)が否定されている」と感じてしまったからです。
例えば、私は地方出身者なので、別の地方の人と、「田舎はほんとに何にもなくて不便でちょっと歩くと牛がいる」「そうそう、近所のジャスコがデートスポットだった!」という地方残念あるあるを言い合うことにはなんの抵抗も感じませんし、むしろ盛り上がります。
でも、都会で生まれ育った子に、田舎をディスられると、なぜかちょっとイラッとします。
人間て自分の輪の外の人からの批判は攻撃と捉えてしまいがちなんですよね。
この感覚がカールはどうしても理解できないと言っていました。
なぜって?カールは田舎の人でも都会の人でもなかったからです。
カールは、アメリカで生まれましたが、幼少期は台湾で過ごし、物心つく頃には両親を台湾に残し、単身アメリカへ。アメリカで生まれたカールは国籍上はアメリカ人となりますが、自分のアイデンティティがどこにあるかが分からず、どこにも属している気がしない心細さをよく嘆いていました。
どこにも属している気がしない⇒どの国を批判しても自分が批判されている気にはならないということらしいです。
(だからカールは、アメリカのサービス最悪とか、台湾人は行儀悪いとか他国の批判も普通にする)
「licaのことを批判してるわけじゃないのにそんなに怒れるなんて逆に羨ましいよ。」
私が怒れば怒るほど、自分に湧いてこないその感覚が一層カレを孤独へと駆り立てていったようです。
お互いを傷つけ合うようになり、結果お別れとなるわけですが、私はその体験で、自分が日本人だという”あたりまえの”事実が、自分のアイデンティティの揺るぎない基礎になっていることを初めて痛感しました。
都会出身か田舎出身か。これもアイデンティティのひとつですが、日本人だというアイデンティティに比べれば小さいものです。
在日とか、二世とか、国籍に関するニュースもよく耳にしますが、彼らにとっては生まれた時から日本人だった私には理解できないほどの葛藤や、どうやっても埋めてあげられない孤独があるのかもしれない。
そして彼らを批判する人たちもまた、行き場のない不安を抱え、自分を探し続けているのかなと思いました。
カール元気かな・・
以上!!
ムダlica
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