紙飛行機

ふとした瞬間に、閉塞感に苛まれる。

白い壁に、無機質な四角い図形で形作られた部屋に。

僕は息苦しさに耐え切れず、窓を開けた。

春特有の、暖かく、冷たい空気だった。

室内の空気は入れ替わっても、からだの内から湧き出る苦しさに締め付けられる。


耐え切れずに、ベッドに倒れこんだ。

ふと机の上に放置された、使わなくなったノートが目に入る。

腕を伸ばし、ノートを手に取り、何も書かれなかったページを切り取る。

そして、年甲斐もなく紙飛行機なんか作ってみた。

理由なんてない。なんとなく。


完成した飛行機に微笑む。

何年ぶりに作っただろうか。


開け放したままの窓から、そっと、紙飛行機を飛ばした。


ふわりと風にのるそれは、遠くの誰かのもとへ、届くのだろうか。



その飛行機にのせた言葉は、

僕が誰かにかけてほしかった言葉だった。



あとがき

あの、私が文章とか詩とか小説書くときって大体はフレーズが先行するんですよね。

「その飛行機にのせた言葉は 誰かにかけてほしかった言葉だった」

っていうフレーズが気に入って、深夜テンションで書きました。

自分がかけて欲しい言葉なんて貰えないんですよ大抵。他人のことなんてわからないですし。(貰ったら貰ったで自分が思ってたこと忘れて「甘えだ」って言って否定してるだけかもですが。)

だからかわからないんだけど、かけてほしかった言葉をその分他の人にとばしてることってあるなあって思いました。

それが自分に帰ってくるなんてことはないのに。

それを期待してる時点で、自分の言葉はただのエゴになってるんですかね。

それでも、人間なんてそんなもんでしょう?


あとがきのあとがき

どんだけあとがき書くんだって感じだけど笑

自分軸で考えるっていうのは意識している。というかできるようになってきてると思う。

今は他人に何かを求めてはいない。


でも最近、自分が頑張れる理由って本当に、「仲間がいるから」なんだなって思った。

部活も仲間がいるから乗り越えてきたし、受験勉強も仲間と一緒に毎日勉強した。


逆に、自分のためだけに頑張れないなって思った。


受験の時なんて、自分だけで頑張れないから、強制的に友達を巻き込んで約束して勉強したし、見える・見られる状況を作るために学校の図書館や進路室で勉強していた。

もちろんそこにいる人のために勉強したわけじゃないけど、そこに誰もいなかったらあんなに頑張れなかったと思う。


誰かがいるから頑張れるってもう、自分の軸になっちゃってるんだよね。


だから、今がちょっと、誰かのためじゃなくて自分のために頑張らなきゃいけないのが、しんどい。

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