酔生因記:決別と儀式

 鈴木崇馬です。昨年の5月から12月まで毎日、何かしらの日記は書いていました。しかし、絶不調が来てから何もかけなくなったので、毎日、文章を書けるのはありがたいという気持ちで記録をつけようと思います。
 さて、この記事のタイトルである「酔生因記」は“水性インキ”と掛け合わせた言葉です。「愉生因記」と対になるように作った言葉で、水で消えてしまうような気持ちを書き留める物になります。いつか覚めてしまうような「酔って生きる」感覚を記録に残そうというスローガンを掲げて書いていこうと思います。
 何度も「酔生因記」というカテゴリーで雑記を書いていきますが、その中で私は何を見つけていくのでしょうね。分かりませんが、大して面白くないと思います。


儀式


 僕には儀式があります。例えば「人生の区切り目でペンネームを作る」という儀式がありました。こんな儀式は二度としてやるものかと思っていますが、きっと小説の登場人物の名前を考えるなどの形になって残っていくのでしょうね。
 他にも「平気じゃないときほど平気なふりをする」など、いくつか儀式があります。そして、その多くが「宣言する」という目標を立てて行われているのです。例えば、ペンネームを考えるのは、これからの生き方を宣言するためです。平気なふりも、体裁を整えることで自分に平常だと宣言するための行動です。私は形だけでも整えることで何とかしようとする癖があります。
 しかし、実際には中身が伴わなければ何も変わりません。その場しのぎは長続きしません。だから、僕の交友関係は短いことが多いのでしょう。大事な人ほど短期間で居なくなってしまうのは、僕が安定していないからだと思います。大切な人ほど消耗品になってしまう結果に絶望している自分が情けないと思うことも多いです。

傷で思い出す人生


 私の人生は常に自暴自棄で拓かれていきます。嫌気がさして、自分の概念を壊すように“悪いこと”をして、追い詰められてから必要に応じた変化をするのです。だから、余裕があるような平穏な時間ほど僕が成長していないときはありません。刺激的な生活こそが僕を成長させるのだと思います。
 こんな生活をしている理由はきっと、幼少期にあるのでしょう。じっくりと時間をかけて、近いうちに酔生因記として幼少期や学生時代、大人になってからを反省しようと思っているのですが、僕の人生は常に刺激にさらされた人生でした。むしろ、刺激がないと怖くなってしまうような人生です。生きている実感は傷つくことで得てきました。大事な物は全て傷から得てきました。
 僕は痛みから学ぶタイプではありません。痛いときは冷静じゃなくて何も覚えていないことの方が多いくらい。辛いときほど覚えていないのは、辛いからでしょう。手放さないと自分を維持できないんでしょうね。覚えていたい苦しみは一杯あるのですが、実感を失ってしまった記憶ばかりが僕を苛んでいます。そうやって、僕は傷跡を見て推測する形でしか自分の痛みを思い出せなくなりました。心の傷が見えなくなったときは傷を作って思い出します。そうやって傷つき続ける人生なのでしょう。嫌気がするにもかかわらず、成長できないのだから僕はきっと成長する気がないのかもしれません。
 様々な疑いの中、自分を見失ってきた人生なので答えは分かりません。何を答えにしてもいいか分からないけど、答えを探すように生き続けています。

傷をつける儀式


 昨日、私はペンネームを捨てて、実名で活動を始めました。本当は何かしらの転機となるような記念日に実名をさらそうと思っていたんです。しかし、始めなければ逃げ続けてしまうと思って、何の記念日でもない日に実名をさらしました。
 そして、昨日、私は決別をするために自分を追い込みました。今の自分の原点となる人の家に手紙を入れてきたんです。別れた相手なのでストーカー扱いされるのも嫌だったから、二度と行かないと決めていました。しかし「二度と行けない場所」にするために手紙を入れてきました。今度、行こうものならストーカーだと自分を責めるだろうし、相手の傷をえぐり続けてしまうので行かないはずです。というか、行くな。自分だけの問題じゃないから、行くな。
 こうやって文字にするのも一種の儀式になりました。今までの記録は誰にも見せない物だった分、読者が証人となって僕の傷を覚えていてくれるようになった今は過酷です。デジタル・タトゥーという言葉がありますが、まさにぴったりです。鮮やかなタトゥーを入れたつもりなので、いつか悪目立ちすることでしょう。こうやって普通の世界に生きていけなくなる自分が最高に滑稽です。

傷を残していく生き方


 私は癒えた傷を抉るのが大好きです。昨日、とある人と話しているときにふと言葉になったのですが、僕は「傷つけて服従させる」生き方しか知らないようです。傷がない自分が嫌なのは服従させられないからなのかもしれません。父親もどちらかというと服従させようとする人だったので、親の教育方法を踏襲しているとも言えるでしょう。
 いつかは親のやり方を抜け出すことができるといいなと祈ります。だけど、祈るだけで抜け出せないのは別のやり方を学んでいないからです。早く、別の生き方を見つけなきゃと思う限りです。

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鈴木崇馬
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