
神保町 ー 想像力の霧が晴れたら
今年のG.Wに本の街として有名な神保町を再訪した。
実に二十年ぶり位である。
神保町は僕にとって、とても特別な場所である。
高校時代から大学を卒業して就職した直後くらいまで、
一番多く訪れた街だと思う。
つまりこの街を語らずして僕の青春を語ることはできないのだ。
最初にここを訪れたのは中学二年の頃だったと思う。
社会科の授業で『日本国憲法』が必要となり、
友達と三省堂書店に買いに来たのだ。
その頃本に何の思い入れも待たなかった僕には、1階から6階まで本に埋め尽くされた三省堂は、本のデパートのような印象を残したに過ぎなかった。
その後、高校生になると、水道橋駅すぐそばの研数学館という予備校に通うために神保町駅を週に2度程利用することになる。
本格的に神保町に縁ができたのは、この頃からである。
学校が終わり、夕方5時6時からの授業をとるために、神保町の駅から水道橋駅方面へと歩いていく。
JR水道橋駅を過ぎてすぐの後楽園前の交差点を渡り、剣道武具店の脇の坂道を上ると研数学館の第2校舎があった。
その坂の途中に5階建ての白い瀟洒なマンションが建っている。
マンションの形が洒落ていて、部屋の角がガラスのコーナー窓になっていて、夜外から見上げると、そこは外に突き出された温かな光に満ちた水槽のように見えた。
冬の夜、下から白いレースのカーテンのかかったその窓辺を見上げていると、きっとここにはとても素敵な女の子が住んでいるんだろうと思えてならなかった。
きれいで頭が良くて洗練されていて笑顔がチャーミングで、
つまり僕にとっての100%の女の子が住んでいるように思えてならなかったのだ。
僕はそこを通る度、その部屋の明かりを見上げるのが習慣になっていった。
それから、幾度となく下から見上げていたある夜、本当にそんな女の子が窓辺に立って外を見つめている光景が見えた。
色白で素直な髪の長いその女の子は
その後、僕の中で永遠の恋人となる。
それからというもの、予備校の授業がある日はもちろん、
授業のない日もその窓辺を見上げる為に、僕は神保町を訪れることになった。
しかしその後、その女の子が窓辺に現れたことは一度もなかった。
すべては高校生だった僕の過剰な空想力が成しえたことである。
現在の僕はそう結論付けている。
※ ※ ※
その窓辺の下に来ている。
マンションのエントランスの壁には取り壊しが決まっている、という旨の張り紙が貼られていた。
どの窓にも住人の気配はなかったが、そのコーナーのガラス窓は健在であり、しばし昔のように見上げていた。
大都会の大通りから少し中に入った、坂道を上る途中にある白い瀟洒なマンションのその窓辺は、今でも洗練された気品のようなものを感じさせ、高校生の僕が夢を見る素地のようなものが確かにあって、何だか少し切ない気持ちが戻ってきた。
その窓を記念に写真をとっていたら、中から開発業者みたいなスーツ姿の人物が出てきてこちらを睨んで来たのでさっと移動した。
客観的に見たら、当時も今も僕はただの不審者だろう。
その後、水道橋方面から神保町方面に歩きながら昼飯屋を探した。
今日は何故だか洋食屋のハンバーグが食べたくて、それを目当てに物色しているとちょうどあまり混んでなさそうな定食屋が見つかったので二階にあるその店に入った。
中でテーブルに座るとタブレット端末がおいてあり、自由に注文ができる。この辺りは当時とずいぶん違って時代の経過を感じさせる。
ちょうどテーブルがキッチンの横だったのでアルバイトらしい店員の様子をそれとなく観察してみた。
女の子の店員はちょっと見、高校生のようなかわいい顔立ちだが、終始不愛想な表情でキッチンから出された鉄板料理を運んでゆく。
途中味噌汁をこぼしてしまい、さらに不機嫌度が上昇し、そこから配膳の順番を間違え、キッチンスタッフを一時唖然とさせていた。
そんな様子を横目で見ながら、もし昔の僕だったらこんなことは見えていなかっただろうな、と思った。
きっとかわいい女の子だな、僕のことはどんな風に見えているのかな、みたいなことをひたすら考えていただろうな、と思った。
結局のところ、その頃の僕には自分のことしか見えていなかったのではないか、と思う。
自分の内側だけを見ていたに過ぎなかったのではないかと。
僕はただ自分の想像力の霧の中でさまよっていたに過ぎなかったのだろう。
そんなことを思いながら、少し遅れて出てきたハンバーグ定食を食べた。
じゅうじゅうと音を立てて鉄板で出てきたハンバーグの見た目はとてもおいしそうだったが、味はいまいちだった。
店を出て、神保町本屋街の方へぶらついて行く。
当時からあるレコード屋やドラッグストア、教会などをめでながら歩く。
不思議なことだが、うちの家系は神保町界隈に縁がある。
祖父は水道橋横の日大経済学部の出身で、父は川を挟んだ横の昭和第一高校を卒業しており、研数学館は僕の通った予備校だし、小川町方面すぐの日大理工学部は息子のKが通う大学および大学院で、娘のMも来年からお世話になる学び舎である。
つまり我が家は四世代に渡ってこの神保町界隈で青春の一時期うろうろしていることになる。
大学も高校も予備校も他ににいくらでもあるのだが、何故かこの辺りに吸い寄せられている感じには不思議な因縁を感じる。
本屋街は健在であった。
三省堂が建て直しの為、工事中だったが、それ以外は時が止まったかのように、そこにある。
古本屋を覗き、「三冊百円」の札が貼られた棚の中のレンガ色の岩波の文庫本を手に取ってみた。
ブックオフに置いてあるような清潔な古本ではない。
全頁を醤油で軽く煮しめたような出で立ちである。
本をぱらぱらとめくると、随所に赤線が引いてある。
感銘を受けたところに当時の持主が引いたものだろう。
いつ頃の本かと最後のページを見ると昭和三十二年十月出版とある。
その脇に「昭和三十七年八月九日 FからHへ」と赤鉛筆の手書きで書いてあった。
きっと誰かが誰かにこの本を贈ったのだろう。
昔は本が貴重品で、大事な人に自分の好きな本を贈ることがよくあったと聞く。
この本もそういう過程を辿ったのだろう。
FとHは恋人同士だろうか。それとも友人、子弟関係だろうか。
様々な想像がうごめく。
自分のことを理解して欲しくて、自分が感銘を受けた本を相手に贈る。
今では考えられないまどろっこしい感じが、ロマンチックに感じる。
昭和の青春の気配が古びた本のページから立ち上ってくる。
何か一冊買って昔のように古びた喫茶店にもぐり込もうと思って、その後は新刊本屋に何軒か入ってみたが、どれもこれもピンとこない。
仕方なく今風にスマホでものぞき込みながらお茶しようと決めて、昔行きつけだった書泉グランデ横の喫茶・伯剌西爾(ぶらじる)の地下階段を下りて行ったら、階段の途中に中年女性数名か立っている。
おや、何だろうと思いながら店まで下りてゆくと何と満席で、待たなければ入れないことがわかる。
おやおや。昔はいつも人気が無くて、薄暗くて、だからこそゆっくりと買ったばかりの本を読める店だったのに、何だか観光地化して行列を作る店になったようである。
これも時代だろう。
江戸川乱歩が通った天丼屋や村上春樹がバイトしていたジャズ喫茶跡などに溢れたこの界隈は、文学オタクの聖地となって観光地と化しているようである。
しかし僕としては、本好きが静かに想像力の霧の中を彷徨い歩ける風情は、いつまでも無くして欲しくないものである。
この街はどこか浮世離れした空気がそこここに溜まっていて、
妄想の穴があちこちに開いているようなところがある。
それらは本から立ち昇る思念であり、ここを訪れた人々の吐息であり、
本と人が出会うことで生じる発火であり、そんなものがこの街に澱んでいるということなのだろう。
そしてその蓄積が、いつになっても訪れる人々の想像力と妄想を掻き立てることになるのだ。
また来ると思う。