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『笑いの仕組み』 ー 面白いって何?

面白い、と感じる時に気づいたことがある。

笑いの意味での面白さや,興味深い意味での面白さには、共通の構造があるように思うのだ。

それは、人が面白いと感じる時、そこには必ず意外性と合理性が同時に存在していることである。

意外なのに、どこか合理性があることで、そのとても意外なものを一瞬でも受け入れてしまう時、人は面白い、と感じているように思うのである。

あるいは勢いやスピード、リズム等何等かの方法で、それを受け入れそうになるが、いや、あり得ない、受け入れてはいけない、と吐き出すような場合である。

それは例えて言うと「精神的誤嚥」のようなものではないだろうか。

肉体的に言えば、何か間違えて食べられない物を口に入れ、飲み込みそうになったが、それを慌てて吐き出す、みたいなことの精神版が、「笑う」という行為なのではないかと思ったりするのである。

あーそうかもね、いや待て、そうじゃない!という状態を発生させるのである。

笑い以外の知的な面白さ、物語などの面白さも、同じように意外性と合理性が同時に存在している場合が多いように思う。

典型的なのはミステリー物語だが、そこには意外性と合理性が同時に存在することが不可欠になっている。

まさかそんなことが、という意外さと、種明かしをされて、なるほど確かに合理的で納得できる、と頷けることが、名作の必須条件である。

見回すと何であれ、この意外性と合意性が同時に存在することを
人は面白いと感じることが多いように思うのである。

このことに気づいてから、お笑いや物語などの創作物をこの視点から眺めることが増えたのだが、かなりこのパターンが網羅しているように思う。
 
だから何だという訳でもない、ちょっとした雑感である。

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