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人生のリハーサル

学校いう所は一体何をする場所なんだろう。
自分の子供達が小学校、中学校、高校と学校に通うのを見ていて改めてそう思った。
自分が通っている時にはそれが当然だと思えていたことが、時間が経ったからなのか、社会に出てそこから眺めているからなのか、今では少し大きな視野の中で学校というものが見られる気がしている。
そんな中で思うのは、学校って結局「準備をする場所」だったんだな、
ということである。

世の中に出る準備、練習をする場所。
舞台で言えば、いわばリハーサルをする場所、それが学校なのだ。
本番ではない。
本番は大人になって、世の中に出てから始まるのだ。
その本番の為に知識を習得し、練習をし、準備をする場所、それが学校なのだ。

だから緊張しなくていい。失敗していい。
いろんなことをどんどんチャレンジすればいい。
それが学びになり、本番の人生で生きてくる。
学校で失敗しても、それが学びとなり、本番で同じ失敗をしなくて済むようになる。
リハーサルなのだから、いろいろと幅広く挑戦してみると良い。
勉強だけでなく、部活動やスポーツ、芸術、研究、生徒会、趣味嗜好など、やりたいと思ったことを、思い切り何でもやってみればいい。
上手くいかなくて、適性がないことがわかることも、大人になってからその方面で無駄な苦労をしないための大切な学びになる。
だから縮こまって、何もしないのが一番もったいない学生時代の過ごし方だろう。

大人になって気が付いた事である。

又そう考えると、逆に言えば学校を出た時点では、その人は何かを成し遂げた訳ではないことにも気づく。
偏差値の高い大学に入学し卒業する。
しかしそれは大変高度な準備を行ったに過ぎない。
つまりその時点では、何も成し遂げていないし、評価にも値しない。
何故ならそれは、結局本番に向けての準備に過ぎないのだから。
その後社会に出て、そのリハーサルが役に立ち、何がしかをなした時、
それが初めて評価が与えられるのである。

今の日本には、失敗することを恐れないで、とにかく挑戦すること自体を良しとする教育が必要だと思う。
この国には成功を求めず、失敗を恐れて生きている人大人が多すぎる。
今持っている物を失わないように生きている人間が多すぎるのだ。
これでは日本の活力ある未来はやってこないだろう。
打席で思い切りバットを振ること無しに、ホームランを打つことはできないのだ。
その意味で子供たちに、もっとのびのびとリハーサルできる教育環境と
励ましが必要だと思う。

子供達は、我々がいなくなったその先の世界を作ってゆく未来人である。

彼らの力を信じて、自由と機会を充分に与えよう。

そのうち未来人たちは、僕らには出来なかったことも、きっとやり遂げてくれるに違いない。

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