
探し物
不思議なことに、世の中には探しているうちは決して見つからないものがある。
一生懸命に探し求めれば求めるほど、それは見つからず、
手に入れることが出来ないのだ。
例えば、自分探しの旅に出る若者がいる。
遥か遠く海の向こうまで旅をして、
自分とは何者なのかを知るろうとするのである。
しかしどこに行っても、結局は自分を見つけることが出来ないと思われる。探しているうちは、見つからないのである。
幸せはどうだろう。
様々なものを求め、あれが手に入れば幸せになれる、
これがこうなれば幸せになれる。
そうやって必死に幸せを求め続ける。
しかしそうやって求めているうちは、幸せになることがないだろうと思われる。
求めているうちは、得られないのである。
自分探しの旅人は、散々探した後、探すことを止めるだろう。
そしてその時、気づくことになる。
何のことはない。
探しまわっているその人こそ、紛れもない自分自身なのだと。
幸せも同じである。
何かを求めているうちは幸せは訪れない。
何故なら、幸せとは何も求めていない状態、だからである。
無いものねだりを止めて、今自分が手にしているものをじっくり眺めた時、
人は既に自分が幸せであることに気付くのだ。
どんな時に幸せを感じますか、という問いの答えに、
何気ない日常を語る人が多いのは、そういうことなのだろうと思う。
童話『幸せの青い鳥』のように、世界中探し回っても見つからなかった青い鳥が、自分の家にいることに気づくのだ。
人は案外、自分自身と、自分の持っているものを
意識しないものである。
よくよく観察すれば、それはそんなに捨てたもんじゃない。
その辺の事が、井上陽水氏の名曲『夢の中へ』で見事に示唆されている。
聞く度に感心するばかりである。