自分の内側も模様替え
内面はまみれていた
内側からキレイになりたい!
最近切にそう願っている。
決してスキンケアの類ではない。
私が書こうとしてるのは、内面という意味の内側。
私の内側はいろんなものでまみれていた。
まみれている、その真っ只中にいるとき。
私は口をつぐみがちだったと思う。
たくさんのものでまみれていっぱいいっぱいだから、ひとたび口を開いたら、色んなものがこぼれ落ちてしまうかも。そんな心配をしていのかもしれない。
最近自分の内側が少ようやく片付いてきたから、こうして少しずつながら言葉にも出来るようになってきたように思う。
次第に片付いてくると…
どうも私の内側は、不要物はもちろん、自分の好みでもないものが飾られていたのでは?
そんな風に思うようになって、この前記事を書いた。
自分の内側のお片付け
本当は自分の内側には色んな可能性のタネがつまっているはず。
他のものでいっぱいになって覆い隠されて見えにくくなっているだけ。
内側のチカラを知れば知るほど、外側から受け取ったナニカに頼る割合が減ってくる。
むしろ、
内側に使えるものはないかしら?
そう自分に問いかけながら、ますます自分の中を漁りたくなってくる。
漁り始めると、
なんでこんなものをずっと持っていたんだろう?
手放したいものが見つかる。
役に立ちそうなものも発見するけれど、それと同時に不要物も見つかる。
これって…
私がお部屋の整理整頓、模様替えをやり始めたときと同じパターンだ。
この前は、
〝なんとなくしてしまう〟という、私にとってサバイバルスキルとなっていたものを手放した。
いや、正確には、まだその道の途中だ。
小さな変化の見つけ上手になる
手放していくと自分の中にスキマが出来てくる。
風通しが少し良くなったような…
喉のつかえが少しとれたような…
決して劇的変化はないけれど、少し変わった。そんな感触がある。
この、決して大きくない自分の変化をキャッチ出来るというのもミソ。
自分の内側をよく見たり感じたり出来ないと、わずかな変化はキャッチ出来ない。たとえいい変化でも。
僅かながらでも変化をキャッチ出来れば、やってよかったと思えて、次もやろう!とモチベーションがアップする。
やってもなにも変わらないと思えば、地道な作業だから簡単にやめてしまう。
僅かないい変化を見逃さない。
見つけ上手になるのがいい。
また明日も次の僅かな変化に向けてなにかやってみよう。
繰り返すうちに、きっと私の内側はもっとキレイになる。