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海士町観光協会 メンバー紹介 vol.2 / 遠藤 賢

1996年生まれ。神奈川県秦野市出身。慶応義塾大学法学部を卒業後、電機メーカーに就職。バックパッカーとして世界各地を放浪する中で、島暮らしの魅力に触れる。
その後、偶然知った「大人の島留学」インターン制度に参加。来島後は、ふるさと納税に関する業務や町内観光スポットのガイドを経験し、2024年度から現職。


生い立ち・経歴

~バックパッカーとして生きて~

ー旅を通してしか得られない栄養分があるー

時折、そう感じることがあります。

人生を振り返ると節目節目で忘れられない場所や出来事というのが人それぞれにあると思いますが、私にとっての"それ”は旅すがらの「あの全くどうしようもない孤独感や、偶然の出会いが生む、こみ上げるような喜び」そのものでした。

ボロボロになったバックパック。これを担いで、27か国周ったと思うと感慨深いものがあります。

旅に出ると、あまりの強い日差しにふらつくこともあれば、眼前の荒波に恐れおののき立ち尽くすこともあります。それでも歩を進める自分を少しだけ信頼して明日も生きていこうと思える。今生きているという実感を掴める。そんな旅の魅力に取りつかれていました。

ペルーのマチュピチュ遺跡。「死ぬ前に一度は行きたい絶景」などと称されることもありますが、その期待を裏切らないほど壮観な景色が広がっています。この後酷い高山病になったことは、ある種喜びの代償なのかもしれません。人生山ありゃ谷もある。

旅の思い出をひとつ、書き記しておきます。

私がまだ20歳になったばかりの頃の話です。
退屈な授業に鬱屈した日々を送っていた私は、大学2年次にあがるタイミングで精力的に活動していたソフトボール部の活動中に腕を骨折し、精神的にダブルパンチを受けてしまいました。
大きなショックを受けたものの、「引きこもるより外に出たい…」と思った私は、時間だけは無限にあったこともあり、まさに導かれるように旅に出ることになりました。

行先は「アジア最後の秘境」と呼ばれたラオスのルアンパバーン。
ラオスを選んだのは他でもなく、お金がないので近場でそれも日本の価値観と大きく違う場所、そしてできれば「周りの友人が行かないようなところ」に行ってみたかったからです。

左上の写真から順番に、①ラオスに降り立った喜びを噛みしめる筆者 ②ゾウ使い(マホート)の資格取得に向けてエレファントライドに挑む。③ルアンパバーンの街並み。フランスが旧宗主国ということもあり、西洋チックな感じがします。④メコン川沿いの風景。ただ、ぼんやりするだけで1日が過ぎていく。実のところそれが本当の幸せなのかもしれません。

ルアンパバーンは、メコン川という巨大な川に面した小さな集落なのですが、川に挟まれていることもあってなんとなく「島」のような雰囲気が漂っています。穏やかで静謐な時間が流れており、人懐こい現地人がたくさんいるとても狭いコミュニティなので一日に何度も顔見知りになった方と出会うような環境です。そして、ぐるっと周囲を回るのに半日もあれば十分...
(あれ?どことなく海士町と似ているような?と気づくのは随分後になってのことです)

はじめての一人旅を今でも鮮明に覚えているのは、きっとその経験が私の世界をどこまでも押し広げ、鬱々とした日々を救ってくれたような気がしていているからかもしれません。

海士町の主要な観光スポット、明屋海岸の風景。「余計な音がしない」というのが一つのポイントで、ただ打ち寄せる波音に耳を澄ませる。そんなことができる環境がどことなくルアンパバーンと通じている気がします。

なぜ海士町へ

~偶然の出会い。選んだ選択肢を正解にしたい~

大学卒業後、大阪に拠点がある電機メーカーに就職しました。
東京や各地の主要都市を行き来しながら、営業マンとして仕事をしておりましたが、新型コロナウイルスが蔓延した頃より在宅勤務が多くなり、今一度人生を考える機会が多くなりました。

自分にとって本当に大切なものは何か。
これは一生の問いであると同時に、結局見つからない(あるいは見つかってもすぐ失くなる)というのが当たり前なのではないかと今でも思うわけですが…
くしくもこの時の私は、旅に出た際に感じる「生きているという手触り感」を求めていました。そして、外出することが憚られる状況であったからこそ、一層インターネット空間を徘徊することとなったのです。

仕事の休憩中の一コマ。何を思い悩んでいたか今ではすっかり覚えていません。
社会の厳しさに懊悩し、日々生きるのに精一杯の毎日でした。

「都会での労働にいくらか疲弊していた」と言ってしまえばそれまでですが、追い打ちをかけるように新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るって、気軽に旅に行くこともできなくなってしまった。
そんな中偶然SNSで見た「日本最先端の離島」というキーワードに心躍ったのをよく覚えています。

潜在的に「島暮らし」に惹かれていたとはいえ、仕事を辞める理由にはならないかもしれない。それでも海士町に魅了されて来島し、現に今もこの島で生活しているのは、人知を超えた何かに導かれたような気がしてなりません。

シェアハウスのメンバーと餃子パーティ。様々な出身地からやってきた同志ととともに、あれやこれやと取り留めもなく話をするのが私の一番楽しい一時です。

どうして観光協会へ?

~お客様の喜びが私の喜びに~

「もともと旅が好きだったということに加えて、お客様により近い立場で接する機会があれば自分の経験を活かすことができるのではないか」
それが観光協会で働きたいと思った一番の理由です。
とはいえ、「大人の島留学」というインターン制度を使って来島した際は、右も左も分からなかったこともあり、まずは役場(正確には第三セクター)のふるさと納税を担当する部署にて、海士町のファンになって下さった方へ向けて島の魅力をアピールする仕事に従事していました。

島留学インターン生としての活動は多岐にわたりますが、聞き取り調査などで外出する機会も多く、様々な職業の方と交流することができました。

その後、島の主要な観光スポットである隠岐神社にてガイド業務を経験し、ここでお客様と直に接することができるという尊さ、また楽しい時間を共有できる喜びを知りました。

上記ガイド業務と並行しながら、アルバイトという立場で観光協会の仕事にも携わらせていただいておりましたが、こちらでもレンタカーやレンタサイクルをお貸しする際などに窓口に立ってお客様と様々なコミュニケーションを取るのが心地よく、すぐにやりがいを見出すことができました。

隠岐神社周辺にある、後鳥羽院資料館にてガイドをする筆者。回を重ねるごとに、自分の中で言いたいことのレパートリーが増え、それがうまく伝わった時はとても嬉しい気分に。

観光協会の業務の一つである「海中展望船あまんぼう」(菱浦港近辺を周遊)の案内では、隠岐神社でのガイド経験を通じて得た知識を最大限に活用し、お客様と接することができていると感じています。この経験は他の人にはない強みとなり、自信を持って人前に立つ源にもなっています。

海中展望船あまんぼうにてガイドをする筆者。気持ちの良い潮風を受けながら、目的地である三郎岩周辺へ向かいます。展望室からの光景はまるで宇宙空間のようです。見る度に魚や海藻の様子が変わることもあって決して見飽きることがありません。なお、あまんぼうは例年4月~11月までの運行となります。詳細は予約サイト「隠岐の島旅」よりご確認ください。

まとめると、「業務内容に興味をもった」ということが海士町観光協会で働きたいと思った一番の理由になりますが、当然ながら仕事をするうえでの人間関係やその他の個人的な希望条件を加味した上での決断になります。「その組織のカラーがどういうものなのか?」というのは文面だけでは全く伝わりませんが、少なくとも風通しが良い環境であることは、下記に添付した写真からも読み取れるのではないでしょうか?

左の写真は退勤後に職場の同僚(観光関係者含む)とカードゲームをする光景。
右の写真は観光協会事務局長の誕生日を皆で祝う光景。

仕事をする上で意識していること

~私たちが町を代表している~

上述したように、私にとっては「コミュニケーションを取ることを通じて、お客様の快適なご旅行に貢献すること」が大きな喜びであり、またやりがいにも繋がっています。
観光協会の窓口に立つ以上は「できるだけ話しやすい雰囲気をいかに作るか」「一方的にこちらから提案するのではなく、どういうことをお客様が求めているのか察すること」等々、他にもたくさん重要なことがありますが、
お客様が町に着いて最初に降り立つ場所に窓口がある以上は大袈裟かもしれませんが「私たちが町を代表している!」といった気概を忘れたくないと思います。

同僚と一緒に島を離れる方のお見送りをする筆者。大きなしゃもじを持って、盛大に送り出すのが観光協会の伝統です。

 さて、昨今のAI技術の急速な進歩はもとより、既に生活を送るうえではデジタルな環境が欠かせません。とはいえ誰しもが心の底では人間的な交流や、その温かさを欲していることも事実なのではないでしょうか?
そういった意味では、アナログになりがちな「人間臭さ」のようなものにも価値があると信じて、あくまで懇切丁寧なコミュニケーションを心掛けたいと個人的には強く思っています。
それは、より広く考えて、お金のやり取りだけに終始する資本主義的なあり方とは違った何かを、この島だからこそ提示できるといったことなのかもしれません。

人との結びつきという意味では島内のイベントも沢山あります!毎年4月ごろに行われる町内綱引き大会。海士町のスローガン「みんなでしゃばる(しゃばるは海士の言葉で引っ張るという意味)」のもと、大人が真剣勝負で綱引きに挑みます。

話が少し脱線しましたが、日々の業務とは別に、観光協会ではイベントの開催も行っています。昨年は、新型コロナウイルスの感染拡大以降、実に6年ぶりとなる「海上綱引き大会」や、島の恵みに祈りを捧げるフードフェスティバル「食の感謝祭」が開催されました。
これらの催し物は主に町内の方々を対象に企画されていますが、隠岐諸島全体、さらには本土からビジネスで訪れる方々も視野に入れたイベントでもあります。

昨年7月、レインボービーチにて実に6年ぶりとなる観光協会主催のイベント「海士びらき」を開催。メインイベントである海上綱引きには、各地区から島民や島留学生、仕事で島に滞在している島外のチームなど16チーム総勢80名もの参加者の方にご参加いただきました。参加者のみでなく、応援する方や観光客の方が入り混じって、大いにイベントが盛り上がりました。

祭りの企画と聞くと何だかとてもワクワクする気持ちになりますが、参加者の調整が難航したり、備品が当日足りないことに気付いたり、肝を冷やす機会が多々あります。それでも終わった後は、「参加して楽しかったよ!」「ありがとう!」などというお声を頂くこともあり、やはり「やってよかった!」と舞い上がるような気持ちになるのもまた事実です。

左上の写真から順番に、①隠岐神社鳥居前に設置した「食の感謝際」看板 ②宮司さんにより神前に供物が捧げられます。島の恵みに感謝するというのが本イベントの趣旨です。③協会出店の「米粉のおやき」 ④恒例の餅投げも行われました。子供から大人まで大興奮!⑤同じく観光協会が提供した振舞い汁(豚汁) ⑥大勢の人が集まり、神聖な空気間の中に確かな賑わいがありました。

今後の目標・挑戦したいこと

~変化の時代には攻めの姿勢を~

例えば新型コロナウイルスが急速に広まって観光界隈に突然苦境が訪れたように、これからの観光のかたちがどのようになるかというのは、本来誰にも分からないものなのではないでしょうか?

とはいえ、ただ手をこまねいているだけでは進歩がありません。
私自身は年々増加している外国人観光客に対するアプローチ(インバウンド観光)やSNSを通して若者に訴求するコンテンツを作ることに挑戦したいと考えています。

港の周辺で友人と釣りを楽しむ筆者。いつだって待ちの姿勢ではなく、「いかに攻略できるか」ということを念頭に日々を送りたいと思います。

また、海上綱引き大会や食の感謝祭を含めて、観光協会が主催するイベントは「めちゃくちゃ楽しい!」と思っていただけるように、昨年の反省点を踏まえてアップデートしつつ、皆様に提示することができましたら幸いです。

最後に

この記事をここまで読んでくださった方は、相当に忍耐強い方なのではないかと勝手に想像しているのですが…
ずらりと書き連ねてきた中で一番伝えたいことは、どんな環境でも良し悪しはあるが、少なくともこの海士町観光協会ほど「人」が良い職場はそうないのではないでしょうか? 自由と寛容な空気があること、それは私にとって最も重要なものの一つですが、この組織には確かにそういう文脈が存在して、働きやすい一因になっていると思います。

自然が好き。
島暮らしは面白そう。
なんか面白い人が集まっている。
人と違うことがしたい。
プライベートも大事にしたい。

どんな理由でも良いと思うのですが、大事なことは一歩踏みだすこと。
月並みな言葉ですが、まずは海士町に一度来て、町の人と話してみてください。きっとその魅力が分かるはずです。 

毎年8月末に行われる海士町大感謝祭の様子です。しゃもじを両手に持って踊る民謡「キンニャモニャ」の披露はこのイベントで一番盛り上がる瞬間。
この記事を見ている皆さま、どうですか?ぜひ一緒にやりましょうよ!


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