3次救急と地域研修と精神科研修を語らう書
気づけば前の記事を書いてから2か月以上経過していた。
本来ならばタイトル3つの項目で3本は書けたというのに、生来の怠惰が1つにまとめてしまった。
時系列をまずは語ろう。
北国で初期研修中の私だが、5月末から1か月ほど別の街にある3次救急の病院で救急科ローテを、その後さらに遠方の人口7000人にも満たない町で地域研修を、そして今はとある精神科単科病院で精神科研修に励んでいる。
3次救急について。
とにかく忙しかった。そしてとにかく多くの症例を経験した。
ニュースに載るような交通外傷の診療にあたったのは初めての経験だった。
救急車が到着すると同時に語り掛ける、「こんにちは、大丈夫ですか?お名前教えてください、今日は何月何日ですか、ここどこか分かりますか、今一番しんどいのは何ですか・・・」。
1年強の医者人生で見たことがなかった症例も色々経験した。
上の先生方や共にローテしている1年目の研修医の先生と一緒に必死に頑張った。
この1か月の経験は自分の中で1つの自信になっている。
それと同時に思ったことは、人の命のあっけなさ。
特に交通外傷診療でそれを深く強く実感した。
普通に生活をしていて楽しく話していたのが、一瞬のハンドル操作ミスあるいは対向車の不注意でふっと命が失われる。
心肺停止で運ばれる、アドレナリンはどれほど使ったのだろう、胸骨はもうべこべこになってしまっている。変わらないモニターの波形。
もうここにはその人はいない、この世にいない。
明日は我が身、自分か家族か友人か。誰かがこうなってもおかしくない世界なのだ。
なんて理不尽で、なんて怖いのだろう。
必死に診療にあたっていないと、その事実に少しずつ押しつぶされそうな気がした。
地域研修について。
人口も少なければ医療スタッフも医療資源も少ない。
端的に言えば即戦力として過ごした1か月だった。
ここまでの医師人生で最も重く責任を持ち続けた。
外来も病棟も当直も、診断も治療も処置も病状説明も、(上の先生のバックアップはシステム上はあるとはいえ)1人でやる。
見逃しかけた症例もあった。咽頭痛+発熱の診療は本当に怖い。
血液検査とエコーは常にセットで考えるべきだ、極論どんな疾患でも。
限られた資源だからこそ、「医学としての正しさ」と「医療としての適切さ」のギャップが難しい。
でも、地域密着の医療は、地元の色んな人たち(に加えて観光客もだが)がやってくる1次医療は、私は好きだと思った。
私が思い描く理想の医師像は多分、高度な医療を提供するゴッドハンドのような医師ではなく、地域でそこの人々と共に歩むお医者さんというやつなんだろう。
若いうちは経験や技術や資格が必要だ。だから都会でやっていこうと思う。
でも、ある程度の経験を積んだら私は田舎で医師をしていたい。
特に地元である北海道で。
そんな気持ちに気づいた1か月だった。
精神科研修について。
率直に言うと始まるまでは少し怖かった。
色んな事件の報道とかもある、やはり精神科の患者さんにはどこか怖いという印象を持ってしまっていた。
たしかに、怖いと思う人もいる。
しかし、この1か月の研修で思ったのは、彼らも色々と苦しみ悩んでいて、どうにかそれでもこの世界に順応しようともがいていることだった。
「ちゃんと仕事をして税金を納めたいんです」「精神科の病気になっちゃうと車運転できないんですよ、車好きなんですけどね・・・」「人と関わりたいんです、でも病気のせいで避けられちゃいます」
そういった言葉を外来や回診でたくさん聞いた。そして色々とお話しさせてもらった。
彼らが、いわゆる「一般人」というやつと共に同じようにこの社会になじんでいくことは現実的には難しい。それは、精神科疾患に伴うストレス耐性の閾値の低さだったり社会の偏見だったり彼ら自身の家庭事情だったり。
それでもそんな中でも、出来る限りもう一度世間の荒波に漕ぎ出そうと、「一般人」と同じ速度じゃなくても同じ性能の船じゃなくても、それでももう一度海に出ようとしている。
そんな彼らを見守り、時に避難場所になるのが病院なのだと分かった。
デイケアや日々の作業療法、あるいは病棟のデイルーム、そんな場所で患者さん同士が会話したりレクリエーションをしたりしている。彼らは彼らなりにそこで1つの社会を作り上げていた。
そうした社会からさらに外界へ、その気持ちを彼らは忘れていない。
実は彼らの方が「一般人」なんかよりもよっぽど強いんじゃないだろうか。
「統合失調症の患者さんたちはね、僕らとは別の世界に生きている。僕らとは違う孤独の世界にいるんだけど、でもすごくしっかりした世界なんだ。もしかしたらね、世界が、人類が滅亡しても彼らは生き残っているんじゃないかってそんな気もするんだよね」
そう話してくださった指導医の先生の言葉が忘れられない。