迷いの中に倫理を求める書

2025年も1か月が過ぎた。
4月から首都圏の某都市で内科専攻医(循環器)として働くため転居に向けて準備を進めている。
色々な手続きや準備の面倒くささに辟易する毎日だ。

リウマチ・膠原病内科での2か月の研修を終えた。
自分の研修病院のリウマチ科は雰囲気が良いことも相まって(そして症例を良く引く私の体質も相まって?)大変充実した研修を過ごすことが出来た。
膠原病というのは、「免疫」を相手にするような領域である以上臓器特異性のある戦い方では通用しない。
発熱、皮疹、筋痛、関節痛、日光過敏などといった身体症状の詳細な問診と観察(本当に詳細にである、しっかり服をめくり身体の裏側まで丹念に観察をする、わずかな皮疹も爪の周りの炎症も毛細血管の拡張も見逃さない、発症時期と季節(寒冷要素など)も丹念に確認するetc)から疾患のベクトルをおおよそ定め、血液検査の各種項目を精細に確認し(正常値であることに満足してはいけない、たとえ正常値でもこれまでのデータと見比べて動きは無いか、実は好酸球数が徐々に上がっている、軽度の貧血が進んでいるなどなど)、そして他臓器の合併症が無いかを画像検査や生理検査で評価する(これもまた綿密に行う、胸部レントゲン写真はざっくり透過性低下が無いかではなく、側面像の背側下肺野の網状影や肺門部付近のわずかな異常も見逃さない)。
そして治療においても、多くはkey drugはステロイドだが、パルスをするのか、1mg/kgで開始するのか、期間を見越して骨密度検査やPPI、ST合剤導入などを行い減量のタイミングを見計らい、追加の生物学的製剤などは必要か、必要だとして経済的負担はどうなるか、特定疾患の申請など、本当に細やかに診療をしていかなければならない。
とても大変だったが、ものすごく勉強になった。
ぶっちゃけた話をすると、膠原病内科医になりたいなと思った。
循環器内科への道には進むが、忙しさや体調面、人間関係などで挫折したらさっさと辞めてそちらの道に進もうと思った。
それくらい魅力的であった。
個人的に勉強を進めていこうとそう思った次第である。

さて、今月からはとうとう循環器内科ローテである。
進路を決めた以上、これまでのローテとは違いしっかりとやらなければならない(これまでも真面目にはやっていたが、ここから先求められる知識や技術はこれまでの比ではない、なぜなら私はその道の専門家にならなければならないのだから)。
はっきりいって不安だ。
この選択が正解なのか皆目見当がつかない。
結局この2年の研修でもこれからのキャリアについてよく分からないままである。
とはいえ頑張るしかない。
当面の目標は、内科専門医を取得しその後循環器専門医を取得する。分かりやすいところはここであろう。
最速で7年目、つまりあと5年。
長いように見えて実は早い。
だって5年前は2020年、大学4年生、コロナ禍が始まった年だ。
あれからもう5年なのだ、感覚としては2、3年前なのに。
そしてここからもっと忙しくなる、きっともっとあっという間なのだろう。
5年後の自分がまだこのnoteを続けていたらこの記事を読み返してみて欲しい。
どうだろう、あっという間だっただろうか。
どんな失敗をしてどんな手痛い経験を得て、そうしてどんな医者に、人間になっているだろうか。
あまり期待はしていない。

たいした信念もなく、吹けば飛ぶような覚悟で生きているような人間ではあるが(この表現はとても好きだ、『神様のカルテ』を読んでいただきたい)、そんななかで迷い続けている道中で得られるものもきっとあるのだと信じて生きていきたいものである。

チ。-地球の運動について-  第7集より


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