雑文を書き散らす書 No.1

こんな深夜にメリークリスマス。
なんと2024年も12月25日、まもなく1時になるのである。相も変わらずの限界独身男性医師にて候う。
近々、今年を振り返るnoteでも書くつもりだが、今日は何となく頭に浮かんできた様々な話題に関して適当に短く雑文を書き散らす。恐らく今後もこんな回が幾度となく生まれるだろうからNo. 1と銘打ってみた。もしかしたらもう無いかもしれないが、それは未来の自分の気分次第。

普通に生活していて、私は頭の中でいつも何かしらの思考が巡り続けているタイプの人間だ。はたして他の人がどうなのかは知らない。別に大したことは考えていない、が、さりとて俗世に過ぎることばかり考えているわけでもない。じゃあ何を考えているのかというと、例えばここから先に書き散らす話の、ちょっとした種のようなものだ。何かのきっかけでそいつらは生まれてくる。そして、「おっ、なんかいいな、もっと文章化・言語化して残しておきたいかも」と思う。「そうだnoteに書こう」、そう思うことがしばしばある。しかしだ、そうした小さな種はその後の仕事だったり私用だったりの荒波に揉まれた結果見失う。これまでにそうやって失った種の数は数えきれない。もったいない、本当であればその場でメモでも取るべきなんだろうけど、病院の廊下を歩いていた医者が突然立ち止まってスマホをおもむろに取り出して何かを打ち込み始めるのはあまりよろしくないと思うのだ。
とはいえ、それでも今日はいくつか書き残しておこうと思った種が残っていたのでこんな時間にnoteを書いている。明日は朝から救急カンファレンスがあるので早く寝たい・・・。

浮き沈みする思考の種の話に関連するが、個人的にはそうした浮き沈み(これは全く自分でも意志を持って作り上げようとしても成し得ない)というのは、リラックスというかあまり肩肘張っていない時にこそ生まれてくる印象が強い。普段、何かしら真面目に考えて情報を集めて整理している時は得てしてそこからさらに創造性のあるようなものはほぼ芽生えない。芽生えるのはありきたりの一般論というか、そうジャンル分けするにもつまらないようなしょうもないものばかりだ。しかし、そこから時間を経て、例えば入浴中、例えばシャワーで頭を洗っている最中、例えばトイレをしている最中、例えば散歩をしている最中、そうした時にふと妙案が浮かんでくる。例えば昨日、翌日に控えた抄読会に向けて読んだ論文を資料化しようと試行錯誤していたもののどうも綺麗にまとめ上げるビジョンが浮かばなかった。困った困ったと思いつつも、別件の用事を済ませたり食事を取ったりして、その後トイレに入っている時、本当にふと良いまとめ方を思いついた。別にその時目下悩んでいたことをぶり返して考え直していたわけでは全く無い。人間の脳とは本当に不思議なもので、恐らくだが(あくまで私だけかもだが)、何かしらに取り組む際、しっかり意志的に頭を使う時は情報の収集とその整理に重点を置き、一度離れてリラックスすると無意識にそこからさらにうまいアセスメントをはじき出して何かしらの考えが浮上してくる、いわゆる「降りてくる」というやつだ。だから、根詰める、という作業はやり続けてしまうとそのインスピレーション的なものが逆に出てこない。メリハリの重要性に改めて気づかされている。

一昨日(もう一昨日ではなく3日前か)、M-1がやっていた。今年は決勝進出のどのコンビも本当に面白くて、笑い疲れて終わった時にはちょっと具合が悪くなっていた。令和ロマンの連覇、おめでとうございます。
さて、それ関連でTwitterで2023年の令和ロマン くるま氏の記事が流れてきた。2018年の初舞台以降、いつどこで何のネタをやったのかを全てiPadのメモアプリ的なもので記録し、ソートをかけることでどの劇場/舞台で次にどんなネタをやればよいか(ジャンルかぶりを避けられる)、またネタ台本だけでなく小手先と呼ぶ、どんなネタでも組み込みやすいちょっとしたパーツがまとめ上げられているといった話だ。そのiPadの画面を見ると、アニメやドラマに映画にといった項目も分けられており、芸人さんや小説家、漫画家や芸術家といった方々の、周囲の世界へのアンテナの大きさと高さと記録のマメさに改めて驚かされた。創造力はたしかに、アウトプットの質と形態が肝心だが、それよりもまずはその種をいかに掬い上げるか、そのためのアンテナをいかに設置しているかなのだなと。私もそうでありたい。

腕時計をクリスマスイブに買った。先月雑誌を読んで、そこからそのブランドの公式サイトを見て一目惚れした時計だ。店に3回ほど通ってようやく買った。高かった、1か月の給料分だ。
1年目の研修医の比較的はじめか、もしかすると半ばごろかもだったが、2年目の終わりにはご褒美として良い腕時計を買おうと思っていたので買うことが出来て嬉しい。当時はタグホイヤーを買おうと思っていたが、結局別のブランドにしてみた。
自分の給料で買ったもので一番高い買い物だと思う。おめでとう、自分、メリクリ、自分。
そしてようこそ新たな相棒。これまで愛用してきたG-shockは今後も愛用するので、併用体制だ。素晴らしい。

今年は雪が多い。ここ数年の札幌はクリスマス時期でもそこまで雪は積もっていなかった印象だが、今年はもうかなり積もっている。
交通機関とか生活面では大変不便だが、しかしこの歳になっても雪が好きな自分としては悪くない。これぞ北国。来年度から数年間は雪の無い冬を過ごすのだと思うとなんだか寂しいしがっかりしてしまう。
そんなわけで昨日は通勤中に何枚か写真を撮った。自分の好みとして、写真を撮るぞというタイミングで撮る写真(「こっち向いてー、はい、チーズ」的なもの)は嫌いではないが、そういうお膳立てされた写真ではなく、本当に普通の日常の、自分らが当然と(その時は)思ってやり過ごしてしまうような瞬間を切り取る写真(しかも、被写体の焦点すらよく分からないような全体像的なもの)の方が好きだったりする。今の当たり前の日常は、数年たつとあっという間に思い出せなくなってしまう。高校の頃や大学の頃のふとした日常の解像度はもう低い。だからこそ、日常こそ、何とか少しでも切り抜いておきたいなと最近よく思う。

今回の雑文に関する種のメモは下記の通りだ。
炎上に関しては眠いし書かないでおく。要は倫理観の欠如した美容外科医があろうことか解剖に関する写真を平然とSNSに上げており、しかもそれに対する謝罪もてんで見当違いなことばかり述べて、教科書的な「火に油を注ぐ」状態になっているのだ。ただただ大馬鹿者であると、そう思う。心底軽蔑する。

今年の振り返りもどこかで書こうと思う。

無意識、リラックス、思考のクリア
時計
M1、分析、世界へのアンテナ
日常の写真
炎上
書こうと思うことの浮き沈み

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