元日の夜に語らう書
あけましておめでとうございます。
2025年に入って間もなく1時間が経つ。
例年と変わることなく、実家で食事を取って紅白歌合戦を観てゆく年くる年を観て、家族同士で新年の挨拶をし、そして今はCDTVを流しながらこのnoteを書いている。
今年(というかもう昨年)の紅白歌合戦は凄かった。
aikoに椎名林檎、VaundyにMrs. GREEN APPLEに米津玄師とそれだけでもお腹一杯なのに、なんとこの令和の時代にGRAYとTHE ALFEE、そしてB'zの出演。しかもB'zに至ってはイルミネーションのみならずLOVE PHANTOM、最後にultra soulである。
もはや紅白歌合戦というよりはフェスの様相である。本当に観ていて楽しかった。
さて、新年の抱負といこう。
大きな方針は変わらない、健康と信頼と金、この3つは私の人生における「一般社会で生きる上での」最重要指針だ。ここの順守に尽きる。
加えてだが、4月からの新年度、首都圏という新天地で内科専攻医(循環器予定)として新たな戦いの場でゴングが鳴る。
実際にやってみないことにはまだ何も語り得ないが、とにかく愚直に真面目にやっていく。それしかないだろう。
ここから5年くらいは自分の限界を見極める人生のフェーズに移るものだと思っている。どうなるのだろう。来年の自分は、3年後5年後10年後の自分はこのnoteを読んでどんな感想を抱いているのだろうか。
何も分からない。五里霧中だ、相変わらず。
ちなみに私生活は潤う気配欠片も無し、もうどうでもよくなってきた。ぶっちゃけた話をすると、特に家庭を築ける気配も無い以上、社会へのせめてもの還元としてひたすら働いてひたすら納税をして親の面倒を見て、さっさと死ぬのもありだろう、冗談じゃなく真面目にそんなことも考えている。別に悲壮感だとか抑うつだとか、そういうマイナスなものじゃなく合理的な判断だ。少なくとも自分はそう思っている。
まぁ、今はそんなもんだ。
さて軽く2024年を振り返ろう。
1~2月は外科ローテをしながら、学会準備をしたり、友人のもとへ遊びに某地方都市へ行ったりしていた。
そういえば1月8日に初詣に行っており昨年のおみくじは末吉だったらしい。まぁ納得の一年だった。
研修同期と餃子屋さんへご飯を食べに行ったのも1月だったらしい。美味しかった。
この頃あたりからスプラトゥーン3にはまり始めたらしい。最近は全くしていない、そろそろやりたい。
3月には当時の2年目の先生方を見送る飲み会をした。懐かしい。友人が遊びに来てエスコンに行ったり、大学同期と福岡へ旅行にも行ったりしている。福岡は美味しいものが多くて幸せだった。
4月、病理診断科ローテ中でありこの時は一番3年目以降の進路に悩んでいた。結局のところ、病理診断科が好きだったが、本当にそのまま進むことが自分の中で正解だとどうもずっとしっくりこなかった。その不協和音が日に日に自分の中で強くこだましていた。
そんななか、3月頃にとあるきっかけで知り合った先生から循環器内科専攻に関して魅力的な病院をご紹介いただいた。そんなわけで5月にそこへ見学に行かせていただいた。その時の自分の中での感触がとてもよかったので、そこへの就職を志望させていただくこととした。場所は首都圏、はっきり言って人も多くて暑くて環境としてはあまり良い印象は無いのだが、人生のどこかで一度は首都圏で暮らし働く経験をしておいた方が良いと考えていることもあり、来年度からひとまずどこまで行くか分からないにせよ頑張ろうと思う。とはいえ永住する気はあまり(というかほぼ)無い。私は究極的には北海道が、札幌が好きなので帰っては来ようと思っている。そこはぶれずにいたい。
そういえば4月には大学同期との飲み会が東京であった。ちなみにその時初めて横浜中華街に行った。美味しかった。
5月は前述の見学、あとは病院の新年度会があった。そういえば10年以上ぶりに科学館に遊びに行った。小学生の頃、あれほど楽しかった場所も今行くとどこかスケールが小さく感じられたしまいすこしがっかりした。成長というよりはこれは退化だと思う。
6月頃からは人生初の3次救急病院で3次救急に励んだ。それについては以前noteで書いたとおりだ。その後7月からは地域研修へ。
あの2か月は忙しかったが、力と経験がついた時期でもあった。あの時の経験があったからか、今は日々の診療である程度は物怖じしないで立ち向かえている気がする。知識不足は日々実感しているが・・・。
3次救急や地域研修の隙間でドライブを色々して色々と景勝地を訪れたり美味しいものを食べに行ったりもした。
その後、8月頃は精神科研修へ。これに関しても以前noteを書いた。ああいう医療がある、何となくだけど心のすそ野が広がった気がした。画一的な向き合い方、症状や病気があってそれに薬を出して処置をして成果を見て良くなれば終わりの、悪く言えば数式のような医療だけでない、もっと文系の、まるで小説のような向き合い方もあるのだ。なにも薬だけが医者と患者の向き合い方ではない。サッカーだってバザーだってなんだっていい。会話が心強い味方になるのだ。長年の統合失調症に苦しむ(罹患期間が長く、投薬を受けている方だと病識があるのだ)方々との日々の会話は、難しかったがでも何か不思議と悪いものではなかった。
この頃に同期や先輩とエスコンにファイターズの試合を観に行ったり、家族とフレンチへ(支払いはもちろん私持ち)行ったりもして充実していたと思う。
9月には産科ローテ、人生で初めてお産の瞬間を見た。なんだか泣きそうになった。ああして人類は歴史を刻み、母は子を守り育ててきたのだ。母は強い。
そして9月下旬、件の病院へ試験を受けに行き内定をいただいた。本気で3年目以降の道を循環器内科へと定めた瞬間だった。迷いが無いというと嘘になる。不安だらけだ。今年度から循環器内科になったとある先輩がかなり厳しい状況になってしまっている話を耳にして自分もそうなるあるいはドロップアウトする気しかしないのは事実だ。とはいえ私も男だ、決めた以上は進む。それしかない。良い意味でも悪い意味でも後は野となれ山となれ、である。すまない、未来の自分、この性格を呪ってほしい。
ついでにこの時神宮球場で野球を見たり大学同期と酒を飲んだりエヴァンゲリオン大博覧会に行ったりと楽しく過ごした。そういえば9月下旬にもエスコンにファイターズを観に行った。楽しかった。
10月は全国学会(といっても規模は小さいが)に参加し、優秀賞をいただくことが出来た。指導医の先生を含め多くの方のご協力の賜物である。嬉しかった、自信がついた。その月は大学病院へ研修に行っていた。改めて市中病院と大学病院の違いを身をもって学んだ。学生の頃よりも、労働者としてよりその違いが分かった。どちらが良い悪いという話ではない、が、少なくとも今の自分の価値観としては大学病院はまだコミットしない。今後コミットする時期が来るかもしれない。
11月からはまたもとの病院に戻り内科ローテ三昧を12月まで過ごしている。とにかく知識不足を痛感する日々で、学ばないといけないことが積み重なりすぎていてはっきりいって途方に暮れている。ちりつも、一歩一歩踏み占めるしかない。
こうして家族とゆったり正月を過ごせるのはもしかするとこれが最後かもしれない。寂しい。
こうして人はどんどん大人になっていく。
たどりつたらそこがスタート
ゴールを決める余裕なんて今はない