Negative feedbackを慮る書
昨日ヤンデル先生のこんな記事を読んだ。
ヤンデル先生ほど高邁なところでのnegative feedbackはしたことが無いが、それでも自分も日々言動・行動に反省し恥ずかしくなって、寝る直前の寝床で声にならない声をあげて呻いている。
しかし悲しい哉、ヤンデル先生のようにそのfeedbackが私のその後の言動・行動ましてや人生に何かしらの好転をわずかでも生んでいるかと振り返ると、それも無いのである。
ああ、これもまた、negative feedback・・・。
さて、今日は10/1。すなわち昨日9/30は誕生日、なんと27歳である。
アオハルなセブンティーンははるか10年前になりにけり。
そして先日、来年度からの職場が決まった。
このnoteでもひたすら悩んでいたが、まずは内科専攻医になることにした。心臓のお医者さん、循環器内科医を目指そうと思う。
こんな私が、ハードな循環器内科医になれるのだろうか。自信は無い。というか、あんまり循環器内科医っぽくない人間だとは自他ともに認めるところである。
なんとか頑張ってみようと思う、今言えることはそれだけだ。
無理だと思ったら病理診断科を再度目指そうと思う。病理への夢は未だ消えず。
「内科か病理か、悩んでいるのならまずは内科に行くと良い。病理はいつでも門を開けているよ」とは昨年の病理夏の学校で言っていただいた言葉である。これがやはり大きかったと思う。
そしてやっぱり循環器領域は興味深い、もっと臨床を経験したい、その思いは嘘ではない。
ただ、個人的に間違えていけないのは、「循環器が好きだから循環器内科に行く」のは嘘ではないが、少し正すのならば「内科診療が好きで、その中でも循環器が好きだから循環器に行く」のである。
Physicianでありたい、そう思う。
Pathologistでもありたい、とは欲張りかもしれないが。
でも、医学の根本はpathologyだと思う、病を扱う医学においてその理を軸とするのだからそうだろう。
内科専攻医として私は来年度から横浜に行く。
ホームである北海道を出る。
北海道にいても多分ちゃんとした医師にはなれると思う。でも、ここに居続けることは、きっとどこかで色んなものに甘えてしまう。
若いのだ、まだ一応。ならば一身独立すべきだと思う。福沢諭吉も、秋山好古も、秋山真之もそう言っている。
不安だが、頑張ろう。きっと将来振り返った時に何かを得られた時期だったと思えるはずだ(良きにしろ悪しきにせよ)。
ちなみに本日、件のJOSLERが改悪されていた。症例登録数は減っているが、各領域で疾患数が定められてしまっている。
広く診ることができる内科医を作ろうという意図は分かるのだが、それを目指し若手にやらせようとしている専門医機構におられる上の先生方はじゃあ出来ているのだろうか、と思う。
循環器内科医を目指す人間が、肝炎の症例を「症例登録」のために必死に探して何とか見つけて何とか要約を書く。
そうしてその医師は肝炎の診断や治療ができるようになるのだろうか。「餅は餅屋」の時代に、やたらと広く浅くを作ろうとして、結果として手段の目的化となってしまっているように見えて仕方がない。現に内科医になろうとする若手は減っている。
来年度以降、私もこのシステムに身を投じるわけだが、はっきり言って無理だと思ったら辞めてしまってもいいと思っている。
最早内科専門医にどこまで価値があるのか分からない。
10月に学会に出る。
スライドはかなりいい具合にできてきた。あとはマイナーチェンジを加えれば完成だろう。
そうしてcase reportを書こうと思う。Pubmedに収載されたいと、そんなちいちゃな夢がある。
今日から大学病院での研修が始まった。
大学病院自体、大学6年生以来だからかなんだか懐かしい。
市中病院と本当に違うなと思う、良い意味でも悪い意味でも。
私は来年度以降、市中病院のプログラムに乗る。多分私は大学病院とはまだそりが合わないと思う。
もう少し医師として大人になった時に大学病院で働きたいと思う時も来るかもしれない、その時までは私は在野にいるつもりだ。
そうそう、横浜にはいくが、ある程度したらまた北海道には帰ろうと思っている。やっぱり自分は北海道が好きなのだ。離れると決まるとより一層実感する。