病理夏の学校を語らう書

分からなくなった。
まごうことなき結論である。

6月24日から25日にかけて開催されていた病理夏の学校に参加させていただいた。
貴重な話を数多く聞くことが出来た。
シャイな人間なのでそこまで多くの人とお話をすることは無かったが、それでもとてつもなく雲の上の先生とお話しする機会も得た。

楽しかった。
これもまごうことなき事実である。

が、それよりも今胸中渦巻くモヤモヤしたものは刻一刻と大きくなっている。

病理に興味があるのは昔からであり、それは変わらぬ事実である。
しかし、だからといって病理医にしかなりたくない!それしか眼中にありません!というほどの気概は持ち合わせていない。

病理の何が好きなのか。
私が好きなのは病理診断として生検組織や取ってきた臓器を見て標本にし、それを顕微鏡で眺め病変を直に見て、そしてそこに至るまでの臨床情報を照らし合わせながらその病態に思いを馳せる、この一連の流れなのだと思う。
しかし、そこに私の能動性は何ら関与しない。
来たものに対し実直に受け止め考え結論を出す。
それで満足していた。
故に大学生の頃も別に研究室に通ったことはない、実習で病理部を回って上記のことが出来ればそれだけで楽しかったのである。

此度、各種の講演を聞いて思ったのは、学生の方からはるか上の方までの途轍もない熱意と志の高さである。
熱く病理を語られていた。
実験病理の面白さや複雑さ、診断病理の忙しさに難しさ、そのそれぞれの奥底にある厳然たる医師としての意思。
自分よりも上の方のみならず、医学生の方に至るまでその心意気を携えていた。
そしてそれを皆行動に移し、結果を上げておられる。

その熱気に私はやられた。
私にそこまでの熱意はまだ無く、結果など持ちようもない。

「高い目標」を持つことの重要性を最後の講演にて語っていただいた。
一般論としてその重要性はとても分かる。
だが、今の私にそのようなものは無い。芽になりそうな種もない。

私は何をしたいのだろう、何になりたいのだろう。どこに向かいたいのだろう。

改めて自分には何もないのだということを再認識、否、強くまざまざと突きつけられたような2日間であった。

楽しい場であったのは改めて強調しておきたい、上記のような負の感情を生んでしまっているのはひとえに我が未熟たる所以である。

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