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アソビで受け止める学級経営 子育て

子供の気持ちを受け止める。
一旦、受け止める。
これの大切さについて、さまざまに謳われていると思います。
ただ、その方法が分からない。なかなかできない、という声も、同様に多く聞かれます。
子供の気持ちをはじめ、出来事に対して、一旦、受け止める余白を『アソビ』として、考え方を共有します。

アソビはクッション材

車の運転で、ハンドルを切るときに『アソビ』があります。ハンドルを切ってから実際にタイヤの向きが変わるまでのラグのことです。
このアソビがないとどうなるか。
想像に易いことですが、運転は常に手に汗握るスリリングなものとなり、交通事故の件数は跳ね上がるでしょう。
出来事に対して一定のタイムラグを置くことは、それがクッション材となり、事故や事件の発生を抑えたり、初期の衝撃を緩和する役割をもちます。
それがアソビです。

アソビは決してふざけている訳ではない

アソビを『遊び』として脳内で訳し、楽しいもの、楽なもの、ふざけたものとして捉えることがあるかもしれませんが、全くそんのことはありません。
先述の通り、アソビは、事故や事件の抑制、初期被害の緩和などの効果があり、それが『フザケタ』ものであるはずがありません。
心の余裕やゆとり、わかりやすく言うと、懐の深さがもたらす力であり、人によっては、習得に際して、それなりの努力と練習が必要な力でもあります。

アソビの具体的な言葉

どんなときに、どんなアソビがもてるか。具体的な例で考えてみます。

①子供がお皿を割ってしまった
<アソビのない例>
何してんの?!
ちょっと!気をつけてよ!
こらっ!
<アソビ>
おお、大丈夫か?!
落ち着くぞ、私も!

②子供が宿題忘れた
<アソビのない例>
なんでやってこなかったの?!
また?!
今日の休み時間なしね
<アソビ>
あらあら、どうしたの?
ほう
さて、先生は次、何を言うでしょう?

③ケンカの場面
<アソビのない例>
やめなさいっ!
なんでそんなことするの?!
いい加減にしなさい!
<アソビ>
よし。一旦、両者コーナーへ
あらあら、どうなされた?
まさか、ケンカ...ですか?
じゃれあっている訳では...なさそうだね


アソビの言葉がけは、どれも、ほんの少しユーモアを含んでいるように感じます。
そこが、『遊び』との類似でしょう。でも、繰り返しになりますが、決してふざけている訳ではありません。その一握りのユーモアの中に、目の前の子供の姿を、一旦、受け止める所作があるのです。

みんな アソビ心があった

最後に、余談として考えを残します。

幼少の頃、友達と、一人で、遊びに耽った思い出があると思います。今でも、趣味に没頭する時間をもつ大人は少なくはないでしょう。
そんなとき、効率や手際を重視することもあるでしょうけれど、それも含めて、全てが楽しく感じるはずです。
それはそのはず、遊びは楽しいものです。
その遊びの中の遊び心、アソビに、焦りや苛立ちなどは介入する余地がないはずです。余裕が、心の余白を埋めているからです。
そして、その遊びの最中に、忘れかけていた時間、まだこなしていない宿題などを引き合いに、叱られたことも、多くの人が経験しているかもしれません。そしてさらに、叱られることを一瞬、なんのことだ?と目を点にしてしまうこともあったでしょう。
それは、叱られることと自分のしたことのリンクが作られていないからです。
これこれをすると叱られる。
ということが分かっていなければ、叱られてもキョトンとしてしまう次第です。
でも、そのような経験の積み上げを通して、言動と叱られることの関係を覚えていきます。

それ自体、実は、おかしなこともあるのです。

宿題やらずに遊んでいて、なぜ叱られるのでしょう。
自分の思いを率直に伝えようとして、なぜ叱られるのでしょう。

そう、大人になると、これらの『なぜ』に明確な答えをもたずして、経験則から反射的に叱ったり、悪いことと決めつけたりすることが、案外多いようです。

幼少期の、遊びに耽っていたときのことを思い出すのは、心にアソビをもち、子供の心を受け止めるための、心強い手がかりになりそうです。

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