【創作大賞応募用】感情乱高下お針子はイケメン騎士に見い出され、王宮に花開く 第一話
【あらすじ】
春花は実家の呉服屋が倒産し、婚約破棄された派遣OL。
唯一の特技、和裁の仕事もなくなったある日、車にはねられ、直前まで読んでいた18世紀フランス風web小説の中に「ローズ」として転生する。
もう縫い物をしたくないローズはウエイトレスとして働くが、ある日貴族で騎士のアランに縫い物が得意なことがバレてしまう。
彼の妹、エステルを王妃に売り込むために縫ったドレスが素晴らしすぎて、ライバル令嬢にさらわれてしまうローズ。
だが、ここでも裁縫の知識を活用し、ピンチを切り抜ける。
エステルだけでなくローズまでも能力が認められ、宮廷に出仕することになる。
【第一話】
「ローズ、……君は、美しい」
生れて初めてのダンスをあわあわとこなす私に、イケメン騎士が囁く。
ここは王宮のバルコニー。宵闇の中には、見渡す限りの白い薔薇が咲き誇っている。
大広間では、王妃主催の舞踏会の最中だ。
みんなダンスに夢中で、私たちがふたりきりでここにいることなど、気がついていない。
大広間から漏れ出てくる曲が変わる。
イケメン騎士様は、曲の終りに合わせて離れようとする私の腰に手を当てると、ぐっと引き寄せた。
瞳の中には、閉じ込められたように映り込む、私の姿。
「ア、アラン様……?」
ただでさえコルセットで締め上げたお腹が苦しいのに、胸までどくどく脈打って、きゅううっと引き絞られるように痛くなる。
神様、この胸のどきどきは――
更年期、ですか?
*****
私ことローズの一日は、住み込みで働いているレストランの二階で始まる。
「っか~~~、ふあーあーっと」
与えられた一人部屋。誰もいないのをいいことに、私はベッドの上で大口を開けてあくびした。
それから、にへっとだらしない笑顔になってしまう。
「一日中ウエイトレスの立ち仕事したのに、体がどっこも痛くないって、さいっこー!」
手足をばーん! と広げて口にしたあと、ベッドの上でごろんごろんと転がる。
「寝付きが悪いってこともないし、なにより夜中トイレにも起きない! 十七歳の体すごーい!!!!」
なにを言ってるんだと思うかもしれないが、なにを隠そう私、ついこの間までアラフィフだったのだ。
前世の日本での名前は「春花」。そして仕事は、和裁士だった。
和裁士って、わかるかな。
着物を仕立てる人のこと。要するにお針子さん。
私の実家は、銀座で長く続く呉服屋だった。
お店は兄が継ぐことになっていて、私は高校卒業と同時に同業者のおうちの若旦那に嫁ぐことになっていた。その準備として、高校生のうちから和裁も習わされていた。
せめて短大なり、専門学校なりに行ってから――という私の提案は、あっさり却下された。
「だめだめ。あんたは見た目だってよくないし、他に取り柄もないんだから、手に職つけなくちゃ。せいぜい仕立てであちらのお店の役に立ちなさい」
着物雑誌にしょっちゅうモデルとして掲載されていた母の言葉。
母の容姿を受け継いで、スーパー高校生なんて騒がれていた兄は、一緒になって笑っていた。
当時はうちも婚約者の家も景気が良かった。高級クラブや歌舞伎座が存在する、銀座という立地も良かった。
着物ブームが起き、販売会を開けば、一反何十万もするような反物が飛ぶように売れ、私は着物を仕立てまくった。お仕立て代はもらえなかった。
ところで。
ブームは、やがて去るからブームという。
見せかけの好景気が弾けると、売り上げはじょじょに減っていった。
当然だ。
人は、懐が淋しくなればまず生活必需品でないものから削っていく。
日常着でない和服なんてその最たるもの。あっという間に注文は減り、店は傾いた。
毛の先からつま先までどっぷりバブルに浸かって育った兄は、最後に店に残っていたお金を持ってとんずらした。
可愛がっていた兄に裏切られ、父と母は体調を崩して相次いで亡くなった。
婚約は当然破談になった。
私のもとに残されたのは、両親の保険金でまかなってもなお返済しきれなかった借金のみ。
そうして、和裁しか知らない私は、突然働くことになったのだ。
その頃、世はいわゆる就職氷河期。
どうにか派遣OLになったものの、残された親の借金を返すのと、日々の生活とで精一杯。婚活なんかする余裕もないまま仕事を転々とし、気が付けばいつの間にか四十代になっていた。
そしてつい最近、派遣の仕事も突然雇止めされてしまった。
築四十年のアパートに住み、他にできることもないので、ちまちまと仕立ての仕事で食いつなぐ日々。
「ふー……」
仕立てのお品物を納品した帰り道で、私はため息をついていた。
仕立ての仕事は、以前から付き合いのあった他の呉服屋さんから回して貰っている。うちと違って堅実な経営をしているお店だったから、浴衣のシーズンなんかはフルで働かせて貰って、とても助かっていたのだが。
そのお店の女将さんが申し訳なさそうに言うことには――
『ごめんなさいねえ。うちもついに仕立ては外国に出すことになったの』
「まあ、そうなるわよね……」
私はとぼとぼと歩きながら呟いた。
他のお店だって、うちと違って真面目にやっていたからどうにか回っているだけで、着物業界はもうずっと斜陽なのだ。少しでも安くあげようと思ったら、安い労働力に頼るしかない。
でも、日本のお針子さんだって、凄く高いわけじゃないのよ?
むしろ、とても安い。
工賃は完全に歩合制だ。一枚仕上げていくら、という計算。
浴衣なら一枚一万~二万円。
一般的に「着物」と聞いてイメージする小紋で二万~三万。
成人式に着るやつ、いわゆる振り袖なら四万~五万。
結構貰ってるって?
いやいや、振り袖なんて今はもう一月に一件入ればいいほうだ。
私の持ちうる技術力・体力・気力総てを費やしても、四日か五日はかかる。つまり日給一万円。普通にOLさんやったほうがずっといい。
当たり前だけど、仕事が毎日入るわけじゃない。営業先も限られている。高価なものになればそれだけお仕立代も上がるが、それだけにミスがあっては信用問題に関わるから、私よりもっと年配のベテランさんがとっていく。
また、ため息。
「ああ、やっぱり和裁だけじゃなくて簿記とかパソコンとか勉強しておけばよかった……でもやったところで就職氷河期だったんだよね」
氷河期世代。なんだろう、この、見るから寒々しい感じ。ほかはゆとりとかZとか、ここまでずばり心が凍り付く呼び名じゃないのに。
好きでそこに生まれついたわけでもないのに、酷くない?
もはやため息の連打。その度元気も気力もしゅうしゅう抜けて、お祭り翌日の風船みたいにしおしおだ。
「ま、しょうがない。なんとかなるでしょ」
私は心の風船が完全にぺちゃんこになる前に、自分で自分に喝を入れて面を上げた。
感情の浮き沈みが激しいのは、そろそろ更年期だからだろう。そっとしておいて欲しい。
「昨日の続きでも読も」
ちょうど交差点の信号が赤になったところで、私はバッグからスマホを取り出した。ネットで連載されている小説を読むのだ。
私がちくちくと着物を縫っている間に世の中は大きく変わり、ネット上で読める小説がもの凄く増えた。しかも無料。お金のない私には最高の暇つぶしだ。いつかスマホの使用料さえ払えなくなるかも知れないなんてことは、今は考えないでおく。
別に内容なんてなんでもいいんだけど、ちょうど最近読み始めたやつがあったはず。どうやら十八世紀のフランス(たぶん、マリー・アントワネットとかの頃よね?)をベースにしてるらしい、異世界ファンタジー。
異世界ファンタジーはいい。
どこもかしこもきらきらぴかぴかして、現実のつらさを忘れられる。
正直、この存在を知ってから、年甲斐もなくかたっぱしから読みまくっている。なんといってもただなのが有り難い。
「んーっと、あー、最近急に目が悪くなったのよね……」
私はスマホを近づけてみたり遠ざけてみたりする。そう、長年細かい物を縫ってきたせいと、最近ウェブ小説にはまったせいで疲れ目が――いや、正直に言おう。老眼なのである。だって、アラフィフなんだもん。
「私もいよいよサー・ローガンの忠実なるしもべかあ」
「老眼鏡作らなきゃな」というだけのことを、ちょっと異世界風に言ってみた。
それはさておき、続きを読もう。
「続き、続き……」
考えていることがいつの間にか口に出てしまうのも、アラフィフだから許して欲しい。
夢中でスマホ画面に自分のピントを合わせていたから、とっさによけられなかったのだ。
老人の運転する高級車が突っ込んでくるのを。
『危ない!』
誰かが叫ぶ声と、それに続く悲鳴を聞いたような気はする。
詳細はわからない。目覚めたら自分のアパートでも、病院でもない、固いベッドの上にいた。
なんとなく、窓から差し込む日差しの気配から察するに、時間帯は朝。
でもちょっと薄暗い。
「電気電気……」と呟いて、気がついた。
天井に照明器具らしき物がない。
あるのはベッドサイドのちびた蝋燭。よく見れば、漆喰の壁も、木製の窓もドアも、真鍮の取っ手も古びている。明らかに私の部屋でも、病院でもない。
しかし、そこは無料をいいことに異世界ファンタジー小説を読みまくっていた私である。すぐに雷に打たれたように悟った。
「こういうの、五十六億七千万回見た!!!!!!!!」
私は、直前まで読んでいた小説の世界に転生したのだ。
とりあえず、部屋にあった服に着替えて階下に下りると、マスターと奥さんは私のことを「ローズ」と呼んだ。そして、その日のうちにウエイトレスとして働き始めたのだった。
***
そんなふうにして、こっちの世界で暮らし始めた私。
異世界転生って、悪女とか聖女とか、なんかそういうものに生まれ変わるものだと思っていたから、その点はちょっと不満を覚えなかったわけではない。
でも、よくよく考えてみれば、そういう主役級の人の人生は、浮き沈みあってなんだか大変そうじゃない?
浮き沈みは、前世でもうこりごりだ。
幸い、店のマスターと奥さんは、私のことをまるで実の子供のように可愛がってくれている。なんでも、そもそも「ローズ」には身寄りがないらしい。うーん、面倒な係累無し。最高。
そして、家業がレストランというのもいい。
だって、食はどんな時代になっても絶対に人間に必要なものだ。着物のように、景気が悪くなったら見向きもされなくなるものじゃない。
マスターは、この辺りに王宮がよそから移ってくるという噂を聞きつけて、誰よりも早くレストランを始めたのだという。おかげで大変繁盛している。うーん、商才のある男、最高。
そして、毎朝実感するのが、十七歳の体の軽さというわけ。
お針子仕事と簡単な事務しか知らなかった私に、ウエイトレスが務まるか、始めは心配だった。
だって、一人で地道にちくちくちくちく縫い物をするお針子とは、真逆の仕事だ。
でも、心配することはなかった。十七歳の若い体は接客のコツをすぐ覚えたし、いろんな人が来るから、会話の端々からこの世界で暮らす上で必要な情報を自然と摂取できるのもいい。
特別な使命を帯びてるわけでもない。
酷い目に遭うわけでもない。
仕事がある。
若くて健康(老眼もまだ出てない!)
ご飯が美味しい。
年に何万人異世界に転生してるのかわからないけど、私はかなり当たりのほうではないだろうか。
ベッドから降りて、着替える身のこなしも軽くなろうというものだ。
「っしゃー! 今日ももりもり働くぞー!」
斜陽のお針子なんて前世から解放されて、私はウエイトレスとして生きるのだ!!
着替えて店に降りる。まず掃除をして、それから奥さんと手分けして買い出し。マスターが仕込みの準備をするお手伝い……なんてことをやってると、すぐお昼になって、店はお客さんで賑わうようになる。
レストランと言ったけど、正確にはタベルヌと言って、居酒屋の延長のような、気楽な店だ。
鶏肉とじゃがいものローストしたやつとか、野菜を煮込んだスープだとか、そんなものを出している。
そして真っ昼間からみんなワインを飲む。この都は水が悪いから、らしい。作者がヨーロッパぽさを出そうと一生懸命考えたのだろう。
「ローズちゃん、こっち、もう一杯頼む」
「はーい」
「こっちもだ」
「はい喜んで!」
私の返事に、お客様がみんな笑顔になる。これ、前世の記憶で、なにげに一番役に立っているかもしれない。
この世界、キッチンを持つ家も少ない。だから食事は外食が中心になる。 そのおかげでうちはいつでも繁盛だ。
「原作者様々だなあ……」
「ローズちゃん、なんか言ったかい?」
「いーえ、なんでも!」
危ない危ない。また考えてることが口から出ていた。せっかく体がぴちぴちのティーンになったのに、中身はアラフィフ成分が残っているのだ。気をつけねば。
気をつけると言えば……。
私は、声をかけてきた常連さんの洋服のほつれから目を逸らした。
あー、繕《つくろ》いたい。
いや、だめだだめだ。
私は頭を振って、心に浮かんだ言葉をかき消す。
この世界、一応作者が頑張って十八世紀をベースにしているから、布がとても貴重品なのだ。
当然洋服も貴重。何度もほどいたり、つぎはぎを当てたりして、ぼろぼろになるまで着倒す。既製の洋服屋さんなんてものはない。あるのは古着屋だ。
お店のお客さんにも新品を着ている人なんて稀で、ほとんどの人が古着を着ているのだった。
だからほつれているのが頻繁に目に入ってくる。
それを直してあげたい衝動を、私はずっと無視していた。
だって、裁縫が人よりできるってことがバレたら、きっと頼まれてしまう。またちくちく生活に逆戻りだ。
つらい前世の気持ちを思い出すちまちまとした裁縫を、私はもうやりたくなかった。
でも、染みついた習性は「繕ってあげたい」と囁いてくる。こんな気持ち、転生したときアラフィフの躰と一緒に消えてしまえば良かったのに。
一応、万が一お店が潰れてしまったときのことを考えて(マスターごめん)、こっちのお針子の労働条件を調べてはみた。強制的にやらされていたこととはいえ、唯一の手に職だったからね。
そしたら、こんな感じだった。
勤務時間:朝の八時から夜の十時まで。
給金:8スー。(800円くらいらしい)
蝋燭やアイロンのための燃料代:自分持ち
燃料代を引くと、お針子の手元に残るのは半分くらいらしい。
一日十四時間働いて、よんひゃくえん!!
家族がいたら、パン代だけでなくなってしまう額。社交シーズンになれば、十八時間働くこともあるという。
大丈夫?? こっちの世界でも、一日は二十四時間なはずだけど?? とドンびくほどのブラックぶり。
作者ってば、別にそんなところはリアルに描かなくたっていいのに。
そんなわけで、こっちのお針子さんも前世のお針子さんと同じか、それ以上に劣悪な条件下で働いていた。
たぶん、大きなお店のトップお針子になるとか、貴族のお抱えになったりすればまた話は違ってくるとは思う。
だけど、私ができるのは和裁のみだ。
和裁というのは、直線断ちの直線縫い。(まっすぐ切ってまっすぐ縫うっていうことね)一方、この世界のドレスはなんだかすっごく膨らんでいる。 あれどうやってるんだろう。とてもじゃないけど縫えっこない。
この店の常連さんにも、仕立屋のオーナーがいる。どうやらいつも人手不足らしく、それはもう黒々とした見事なクマを目の下に飼っている。
うちの奥さんに「仕事探してる若い子がいたら、いつでも紹介してちょうだい」って言いながら、そのどんよりした目が私を見てるんだよね。
若い方が、寝ずに働かせることができるからだろう。
裁縫ができることをうっかり知られでもしようものなら、しつこく勧誘されてしまうに決まっている。
だから今日も私は全力で、お客さんたちの繕い物をスルーする。
お針子なんて、もう二度とごめんだ。
***
お客さんの服を見ないようにしつつ、めまぐるしく働いていると、あっという間にお昼のピークは過ぎていった。
あとは常連さんの相手をまったりしながら、夜の仕込みを手伝う。
そんな時間に、彼はやって来た。
「まだ、いいか」
「はい喜んで!」
私の大きな声に一瞬面食らったようにしながらも、いつもの席に陣取る彼は、アラン様。王宮の若き近衛騎士団長様だ。
近衛騎士の宿舎は王宮の敷地内にある。本来なら食事もそこで出されるらしいんだけど、アラン様はちょくちょくうちにやってくる。なんでも、訓練に熱が入りすぎて、食事の時間を過ぎてしまうんだそうだ。
年齢は二十代半ば。近衛の入隊条件で身長は一七五センチ以上と決まっているらしいけど、アラン様は多分一八〇以上ある。
黒い短髪は艶やか。切れ長の涼やかな目元。鍛え上げられた胸板や四肢の筋肉から放たれる雄み。前世だったらハイブランドのモデルさんをやっててもおかしくない。もてそうな容姿なのに、眼光が鋭いせいで、ちょっと近寄りがたい。
実はお店のお客さんも、アラン様が来るとちょっと緊張するって人もいる。たぶんあれだ。中学生が、なんにも悪いことしてないのに街で厳しい先生を見かけると落ち着かなくなるあの感じ。
「兄ちゃん、今日もクソつまんなさそうなツラしてんなあ」
なにしろワインが水変わりだから、中には飲みすぎてしまう人もいる。ついご機嫌になってしまったんだろう。そんなふうに絡んでいく人がいた。
まあたしかに、アラン様はいつも深刻な問題を抱えているような顔をしているけど。
「騎士さんなんだから、それでいいじゃないですか?」
飲食店最大の厄介事〈お客様同士の小競り合い〉を避けるため、私はフォローに入った。私が見た目通りの小娘だったなら尻込みしたかもしれないけれど、実際には人生二度目
の中年である。こんなの、お安いご用だ。
「へらへらしてたらお仕事になりませんもん」
そう、中年だからこそ知っている。
「男は、愛想なんかなくても仕事熱心なのが一番です!」
若い頃「着物男子」なんつって雑誌に載ってちやほやされてしまった兄が、バブル崩壊の前になんと無力だったことか。
そこへいくとアラン様は、こうして訓練で食事を忘れてしまうほどなのだ。団長なんて肩書きがついて、しかも元々地方の由緒正しいお家柄の方だというのに、驕ることなく日々鍛錬しているなんて、一徹な証拠だろう。
立派すぎて、私はアラン様が来るとついいつも盛りを多めにしてしまう。いっぱいお食べ。
「お待たせしました。どうぞー」
「――ああ、ありがとう」
ほら、無愛想だけど、お礼はちゃんと言える子だ。うん、充分充分。
アラン様はさっそくパンをちぎって煮込みに浸す、その美しい指先に、私はついつい見とれた。現世基準で言ったらちょっとお行儀の悪いそんな行為も美しく見えるんだから、美形は得だ。
王宮の騎士様に対してちょっと不敬なことを考えていたことが、伝わってしまったんだろうか。アラン様が面を上げた。
ごまかすつもりで、にこっと微笑みかける。
アラン様は、ついっと顔を背けた。
やば、馴れ馴れしすぎたか。
私は庶民、相手は王宮務めの選ばれたエリート。
だけど私はついそのことを忘れてしまう。中身がアラフィフのせいで「近寄りがたい美形キター」というよりは「頑張ってる若者が来たのう」という目で見てしまうのだ。実際、前世で早い内に結婚出産してたら、息子でもおかしくないくらいの歳なわけだし。
私が青ざめていると、アラン様はワインに手を伸ばした。手元が狂ったらしく、ばしゃっとこぼしてしまう。
「大変……! マスター、お塩を!!」
私はマスターからお塩を受け取ると、アラン様の足下に跪いた。ズボンに広がった赤いしみの上に、塩を盛る。
現世でお針子をやっていたとき、お直しや洗い替えも請け負っていたから、そのときいろいろなしみ抜き方法も習得した。これはまだ乾いていないうちにワインを塩に吸わせる応急処置の一つだ。
私はしみの広がるアラン様の太腿に、ぐい、ぐいと塩をすりこんでいく。
「お、おい」
「大丈夫、任せてください!」
前にも言った通り、この世界で布は貴重品だ。近衛兵さんが身につけるようなものともなればなおさらだし、王宮勤めの方がしみのついた服なんて、様にならない。さっき馴れ馴れしく微笑みかけてしまった詫びの気持ちもある。
このしみ、可能な限り落としてみせる。(職人の目)
「おい……」
塩が充分にワインを吸ったところで取り除き、濡らした布巾でアラン様の腿をとんとん、とんとん、と叩いていく。
「もう、そのあたりで――」
和裁士魂に火がついてしまった私は、アラン様の声がなんだか震えていることにも気がつかずに、アラン様の足の間でとんとん、とんとんし続けたのだった。
「よし、だいぶ目立たなくなった」
完全にってわけにはいかないけど、これでだいぶいいはずだ。
「宿舎に帰ったらすぐお洗濯に出してくださいね!」
王宮にはいい洗濯人さんがいるだろうけど、しみはスピードが命だ。子供相手にいい含めるような口調で告げてから、私はマスターと奥さんの視線に気がついた。
「ローズ……」
マスターはため息までついている。
ため息? なんで?
疑問に思って頭をめぐらすと、アラン様も俯いて額を押さえている。
その耳は真っ赤だ。
はっ。
これは。
アラン様、――怒ってる……!?
私ったら、また中年力を発揮して、王宮勤めの方に馴れ馴れしくしてしまった。
どうしよう。近衛騎士の方々はこの店の上客なのに。アラン様の口から「あそこの娘は馴れ馴れしすぎる。不敬だ」なんて噂が広まって、来てもらえなくなったら。それでお店の経営が傾いたりしたら……。
「住職近接、賄い付き、人間関係良好」の優良な職場があ……!!!
「も、申し訳ありません、アラン様。私、いい生地についたしみがほおっておけない性分で。どうしても落としたくなってしまって。他意はないんです。これっぽっちも!!」
私は必死で言い募り、アラン様は面を上げる。
「――これっぽっちも?」
「ええ、まったく!! こう、なんと言いますか、子供の世話をする母のような気持ちで、つい!!」
けしてアラン様のような高貴な方を自分と同列に扱ってる訳ではなくて――ってことが伝わるように、一生懸命たとえをひねり出したのに、アラン様の顔は険しさを増した。
美形がすっと目を細めると、背筋が凍るような迫力が生じる。
やばい、なんで。
背後ではなぜかマスターが「ぶっ」と吹き出して、奥さんにはたかれている。
「ローズ、買い出しに行ってきて。今日は夜の分が足りなくなりそうなの」
奥さんが出してくれた助け船に、私は「はい喜んで!」と返事して、買い物用のかごをひっつかんだ。
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第二話:https://note.com/amajiu/n/nf5fc94e69e62
第三話:https://note.com/amajiu/n/n12d7701414f9
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