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自己紹介・はじめてのnote
はじめまして、二代目は二足の草鞋を履く男@増田剛士です。還暦を迎えましたが、note始めます。
・自己紹介:還暦までの歩み
氏名:増田剛士(ますだたけし)
1964年昭和39年9月生まれ 辰年 九紫火星 O型
静岡県吉田町という電車が通っていない人口2万9千人弱の町で生まれ育ちました。
甘党が集まる陣屋という思いを込めた店名「お菓子の甘陣(あまじん)」を先代の和菓子職人の父が初代として開業その長男として家業を継ぐのが当たり前の状況で育ちました。
高校卒業を前に進学か修行に出るかの選択。進学を選び、みごと失敗!目指す大学があったので、生意気に滑り止めの大学は拒否。
一浪しても合格ならず進学は諦めて、和菓子は父が師匠なので、和菓子店でなく洋菓子店で洋菓子を修行せよという父の一言で、逆らうことなく修行の道へと旅立ちました。
20代前半~アメリカへ~そして30代悲劇の始まり
東京都東大和市で約3年早朝から夜9時過ぎまで修行の日々。修行の身なので、給料というより小遣い程度の賃金で、月2万5千円の家賃を払いながらの生活でした。
修行生活も2年が過ぎ、馴染みになったラーメン屋さんで夜中に皿洗いを手伝うことで、ラーメンやチャーハンを無料で頂くようになり、そこで新たな出会いが生まれました!
店の方と話をする中で、アメリカに行きたい!ということを度々言っていたところ、「本気で考えてる?ホントに行きたい?」と問われ、
「うん、本気で行きたい!」と答えると、
「じゃあ、来月ウチの兄貴が、母の法事で帰ってくるから会わせてやるよ。」となりました。
「帰ってくる?どこから?・・・・?」チンプンカンプンでした。
1か月後、ラーメン屋さん閉店後ついに会う機会が来ました。
その方は、アメリカ・フロリダ州マイアミで寿司シェフとして働いていて、
独立して店を持つ予定であり、スタッフを探しているという話でした。
「キミ、本当に来たいの?よし、来い!」と、あっさり決まってしまいました。
洋菓子店での修行の途中でしたが、ちゃんと話をし親も説得して21歳の秋に渡米しました。
ちなみに、英語は全く喋ることは出来ない状態で、読み書きは大学受験のおかげで少しは出来ましたが、何の役にもたちませんでした。
夢のアメリカ生活は、寝るまも惜しんで英語を憶える為と言いながら飲み歩き、その甲斐あってか、3か月が経つ頃には夢も英語になり、夢に出てくる親も英語で喋ってるという風になりました。
「習うより慣れよ」です。
その後、約2年半フロリダで生活して帰国しました。
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帰国後は、真面目?に家業に戻り、古い店を解体し新築し順調に時は流れて行きました。
30歳になり、結婚。
32歳で大事故!餅をカットする機械に手が巻き込まれ、左手の指3本の第1関節から先を落としました。人差し指、中指、薬指の3本です。
悲劇の始まりです。
35歳の時、頑固親父の父が交通事故で一瞬で他界してしまいました。
バブルが弾け、モノが売れない時代スタートです。
2代目となり、親から引き継いだものは、多額の借金でした。
当時は、借金の額を知らされず(母が隠していた。)、相続の手続きで、知った額は、約2億円!生命保険などで返せた額は数千万円、残り1億数千万円を負の財産として相続してしまったのです。 オーマイガー!!Oh,my God!(今もリスケしながら返し続けています。)
40代~現在 苦難の道の中で・・・
悲劇の30代を終え、40代苦難の道の中で・・・
何とか、家族3人で商売を続けるなかで、40代になると地元の商工会や地域のコミュニティのなかで、様々な役が回ってきます。
39,40歳で商工会青年部の部長を受け、地元の壮年会という組織(当時会員は約600人)の会長を務めさせていただきました。
そして、42歳の時、「二足の草鞋を履く男」となるきっかけの知人からのお告げが来たのです。
「おい!オマエ、町会議員へ出よ!」「若手で、この町の議員に成れるヤツはオマエしかいないぞ!」と。
「は~?議員?」何を藪から棒に言われているのか分かりませんでした。
そして、「今は無理です。政治も町の事も何も知りませんから」と返事。
「わかった、じゃあ、4年後に出よ!」と言い放たれてしまいました。
身の程知らずの私は、「4年後、考えます。」と返事をしてしまい、
4年後の46歳で吉田町議会議員選挙に出馬してしまいました。
13議席に15人の立候補者が出て、何とか当選させていただきました。
その後、今では4期目もうじき14年間の議員生活もしています。
地方議員、特に町議会は報酬が少なく議員だけでは生活が出来ないため、兼業が必須なのです。
以上、とても長い自己紹介になりましたが、お読みいただきありがとうございました。
今後は、商売のこと、町の話題などをシェアしたいと思います。