電力事業の歴史(明治~戦後)
電力を売る会社を立ち上げることになったので勉強をしなくてはならない。
「ウチの会社 電気売るんだってよ」
-関電システムソリューション(株)ビジネスコンサルティング部[編]
読んで気づいたことをメモしていく。
目次を読む
本書の内容は基礎編、準備編、実践編、巻末の資料に大別できる。
基礎編
1.日本の電力の歴史を知っておこう!
2.電力システム改革でどう変わるのか
key-「電力システム改革」
準備編
3.小売電気事業者になる
key-「小売電気事業者」
実践編
4.電気料金メニューを考える
5.スイッチングを攻略する
6.申込みを受け付ける
7.引っ越しのときの電気申し込み
8.電気料金計算を完全にマスター
9.電気料金の請求と回収方法
10.電源を調達する方法
11.FIT電気の買取、まずは暫定対応で
12.どうする?需給管理業務
13.ガスの自由化も知っておこう
key-「スイッチング」「電気料金計算」「電源を調達」「FIT電気」
巻末
1.各電力会社の低圧託送料金(接続送電サービス)
2.各電力会社の供給エリア
3.離島供給約款対象地域一覧
key-「低圧託送料金」「離島供給約款」
今回の記事では基礎編の1番(書籍の1ページに相当)だけをカバー。
1.日本の電力の歴史を知っておこう!
明治19年に東京電燈が開業。その後も昭和初期まで850社が開業する。
「わが国における公益事業の成立・再編成・民営化後」
(遠山 1999-追手門経済論集 34巻2号)
読んだメモ
”草創期の電気事業の特徴は、それが主として電灯供給事業であったこと”
”鹿鳴館における移動式発電機を持ち込んでの白熱電灯の営業用の点灯”
明治20年には発電所(第2電灯局)が落成し、一般向けの電力供給を開始。
このころの発電方式は火力が専ら主流であったようだ。
一方水力は明治23年の栃木における工場動力源用水力発電が起源とされる。
①火力発電による独占的市内配電方式による
②電灯需要に応える事業
を展開していた草創期電力会社が変化したのは送電技術の革新的進歩によってだった。大容量発電・遠距離送電の新時代が到来。(明治41年)電灯需要だけではなく、産業用動力にも応える事業が展開された。
水力発電と火力発電の競争が激化し、余剰電力を利用した特殊鋼などの工業が発達。需要が増加し、特に水力発電の数が大きく増加した。また電力の卸売業が誕生。
第一次世界大戦後には不景気や競争の結果、5社へ統合される。
第一次世界大戦後の電力会社
1.東京電燈 →東京を担当
2.東邦電力 →名古屋を担当
3.大同電力 →卸へ
4.宇治川電気 →関西を担当
5.日本電力 →卸へ
「わが国における公益事業の成立・再編成・民営化後」
(遠山 1999-追手門経済論集 34巻2号)
読んだメモ2
増加し続ける電力需要に対して電力計画の整備が計画され、実施されるが、第一次世界大戦終了に伴い(直後の好景気を経て)不況に突入。
電力需要が減退するのに設備は過剰に拡充されており、結果として大資本系への統合が進んだ模様。
なお五大以外の電力会社がなかったわけではない。
第二次世界大戦が近づく。
1939年(昭和14)電力国家統制法に基づき、「日本発送電株式会社」設立。
電力国家統制法
→電力国家統制法案のことか(see also : 電力国家管理関係法→近衛内閣)
「電力管理法案」
「日本発送電株式会社法案」
などを含む。
この場合「日本発送電株式会社法」に基づき、が正しい記述か。
下は国会図書館がデジタルアーカイブで残してる官報。助かる。
「戦前の電力国家管理と河水統制事業」
(松浦 1998 - 水利科学 42巻5号)
読んだメモ
電力国家管理関係法について。
「電力のこの国家統制は、軍部の強い支持の下、「戦争経済を前提」とした生産力拡充・電力動員のための電力統制への移行、さらに「戦時統制経済の先駆」として構想、展開された電力国家管理=日本発送電体制」
堀真清「電力国家管理の思想と政策」に代表されるこの評価(戦争遂行のための国家による電力統制という姿勢)に松浦は当時国が注力していた河川開発との関連から疑義を唱える。
水力発電の供給地は基本、山間部にあり、その消費地は主に臨海部にある。
またその需要は昼夜、年間を通し様々に変化し、供給も流況に左右される。
これを効率的に運用するには消費地、供給地の一元管理が必要となる。
既に5大電力時代、消費地の一元管理はされていたと見て間違いないが、依然電力会社間の競争は存在しており、国家がすべて一元管理することで発生する電力があると見られていた、と松浦は言う。
昭和恐慌、世界恐慌と重なる大不況の中、政権を握った政友党は高橋是清を大蔵大臣に置いて積極財政政策を進める(金本位制からも離脱)。景気が回復した後は重化学工業の発展が課題となり、松浦曰く、この動力源として期待されたのが水力発電だった。
そのため、民間企業は大規模ダムの開発を目指したが、
1.資本の不足
2.河川統制(内務省)との衝突(ダムを設置することによる河川への影響)
のふたつの問題があった。
そのような状況の中で、内閣調査局がまとめたのが電力管理法の基となる「電力国策」。
”国家は管理へ、資本家は所有ヘ”
”低廉なる電力を豊富に”
”発送電経営を公益的に”
ということで、発送電を一手に担う公益企業が求められた訳である。
前段のダム建設における利害関係の調整(内務省と農林省の衝突など)も国家管理となることで容易となり、また大規模な資本の投入も長期的な国家戦略として策定することで可能となる。更に国家予算であれば議会の審議を経なければならないが、株式会社として設立することで自由な経営が可能になる。(海士町っぽい)(各国も公社建てたり色々していた模様)
つまるところ、電力の大規模開発に必要な法律だった、というわけである。
大規模開発でなくとも、インフラの整備という面では国の助力がないと、
資本力の弱い離島などでは整備が進まないのではないか。需要も微々たるものだし。
無論、この法律自体はそこを目指してはないだろうが。
1942年(昭和17年)には配電統制令により配電事業者が9社に統合された。
「配電統制令」
令であって法ではない。
電力管理法と同時期に成立した国家総動員法に根拠を置く勅令。
日本発送電はその名の通り、発電と送電を担う企業で、配電は依然、400社以上ある民間が担っていた。
配電事業の効率化が行政指導では進まないことを受け、「配電統制令」によって(五大電力会社を含む)配電会社をすべて解散、全国を
1.北海道
2.東北
3.関東
4.中部
5.北陸
6.関西
7.中国
8.四国
9.九州
のブロックに分け、それぞれに配電会社を設立した。
→今の電力会社へ
戦後となり過度経済力集中排除法の対象となった日本発送電と9配電会社が解散。新たに9(沖縄返還後は10)の電力会社が発送電から配電までを行う体制へ移行した。
ということは10電力ってのはあれは国家総動員法の名残なんだなぁ。
電力事業ってのは大きく3つ
発電:発電機による発電。水力とか火力とかが今までメインだった。
送電:発電した電力がでかすぎるんで、それを変電所まで持っていく事業。
配電:変電所で受け取った電力をさらに小さくしていって電柱レベルに落として家庭やらに届ける事業。
がありそう。
昔は発電にしても火力とか水力だけで、近場で生産から消費までやらないといけなかったのが、配電線の革命的な技術革新によって大規模生産、遠隔地消費が可能になって、全国的な需要が増えて諸々の産業が生まれた。最近は逆に遠隔地消費がインフラメンテのコストだから、各地で風力とか太陽光とか小口の発電も増えてきて、っていうのが今の時代の流れなのかな。
→今回はここまで(例によって力尽きる)
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