山下かつみ物語 最終章~ボーダーレスの音楽祭
音楽活動再開
山あり谷あり試練ありの中での音楽活動。
ライブ活動、イベントでのステージのブッキング、司会進行、出演者のアテンドなどなど。
裏方の仕事もたくさん勉強させていただいた。
忘れもしない2014年夏。
チケットを購入し阪神尼崎近辺の飲食店での食べ歩きを楽しむ「尼バル」というイベント。
駅前でステージを設営してライブも開催。
かつみはスタッフとして準備段階から出演者のブッキング、当日のステージ進行、そして自らもライブ出演。
もうホンマにホンマに暑い日だった。
ヘロヘロになりながらあちこち駆けずり回り、オマケに炎天下での野外ステージ。
歌ってる時だけはそんな暑さも忘れて無我夢中だった。
演奏後、ひとりのご婦人が近寄ってきた。
「さっき、歌っていた方ですよね?
私ね、いろいろなことに気力を失っていたんだけど・・・
あなたの素敵な歌を聴いてまた頑張ろうって思えました。
本当にありがとう」って・・・
冷たい飲み物をそっとかつみの手に❗️
ビックリした!
こんな私の歌が人の心に響くこともあるんだ❗️
かつてのかつみもクタクタになっていた心をこのご婦人と同じように歌に救われたんだった❗️
音楽に、歌に心を救われる人がワタシのほかにもいるんや❗️
今までの人生でしんどかった時、辛かった時、やさぐれていた心に命の水を注いでくれた音楽。
一瞬でこんなにも心を満たし豊かにしてくれる音楽の力。
それなら!
そんな音楽をもっとたくさんの人に聴いてもらいたい!!
そんな想いがドバドバ溢れ出てきた。
運営と演者のはざまで
このご婦人との出会いの日からその想いはどんどん増すばかり・・・
ますます精力的に市内のイベントに参加するようになった。
2015年から関わった阪神尼崎駅前「セントラルパーク(尼崎中央公園)」でのイベントでは多くの学びがあった。
ここでの活動でイベント開催のノウハウは確実に身についたように思う。
運営側と出演者側の両方の立場から様々な思いが交錯した。
ステージに上がる出演者の本番までの努力・・・
そんな見えないところでの苦労を運営側はちゃんと汲み取った対応をしているのだろうか。
出演者も観客もそこに集うみんながもっと気持ちよくハッピーになれる場を作れないだろうか・・・
主催者にかつみなりに訴えたが思いが通じなくてしんどかった😥
勢いで音楽祭
そんな経緯があり、清水の舞台から飛び降りる覚悟で自らイベントを立ち上げた。
上記のイベント卒業の半年後に音楽祭「あまがさきJAMフェスティバル(通称AMAJAM)」を開催!
2017年ゴールデンウィーク最終日だった。
今までの経験から、コンセプトは「音楽は人の心を豊かにする。そして人と人とを繋げてくれる」
かつみの心を豊かにしてくれたミュージシャンの方々に直談判し、かつみの想いもご理解いただき、半分ボランティアのような条件で出演いただいた。
入場料も無料。
決して少なくはない金額をほぼ自分で負担した。
いわゆる自己資産をつぎ込んだ。
お金じゃなかったのよ。
とにかく地元尼崎でみんなにホンマモンの音を届けたかった。
音楽ってこんなに素晴らしいってことを市民の人たちに伝える場がほしかった。
その想いと勢いだけで突っ走った。
回数を重ねて
第2回、第3回と、回数を重ねるにつれ会場の規模も大きくし、来場者数も約100名ずつ増え「あまがさきJAMフェスティバル」いわゆる「AMAJAM」という言葉も地元ではなんとか定着してきた。
国からの助成金、自治体の補助金など、資金調達のために何度も申請書を書いた。
そんなバックアップもあり、ようやく思い描いていた音楽祭に近づきつつあった。
ゴールデンウィーク最終日の「AMAJAM」を楽しみにしてくださる方も増えてきた。
コロナ禍
2020年春。
コロナ・・・
2019年秋から進めていた準備が全て整い、開催まであと1週間という時に政府の通達でホールイベント中止❗️
いや、ホンマに参った、凹んだーー😭😭
でも、眠れない夜が明けたら即動いた。
協力してもらえる会場を探し、予定していた出演者そのままで3つの会場からの無観客ライブ配信を実施!
緊急事態宣言の中、少しでもおうち時間に潤いを感じていただきたい、そんな想いで・・・
そして翌年、今度こそはと意気込んだがまさかの2年連続の開催中止。
さすがにモチベーションがゼロ、どころかマイナスに急降下。
時間はかかったが諦めることなく、ライブ配信の会場を探してその年の冬に2か所で開催。
ブログラムそのままの演奏を届けた。
2022年、密を避けるため定員の半数にして開催。
この2年の間、コロナを通して人々の生活スタイル、そして考え方も大きく変わったように思う。
それまでかつみと同じ温度で関わってくれていたメインスタッフが去った。
全てを一人で抱え込むことになってしまった。
それでも出演者のみなさんの素晴らしい演奏、応援してくれる観客のみなさん、ボランティアで手伝ってくれるスタッフの顔を見て元気をもらった。
現実
そして今年2023年、4年ぶりに全ての制限なしで第7回目の開催。
しかし来場者数は第1回目と同じ・・・振り出しに戻ってしまった。
勢いで頑張ってきたが多額の赤字を抱え込んだ・・・
イベントは開けてみないと分からないことも多々ある。
かつみの力ではもうどうにもならない結果。
反省点も多すぎて初めて本当に落ち込んだ。
悶々とすること1か月、現時点で協力してくれているボランティアスタッフとミーティング。
泣き言も含め、かつみの胸の内を話した。
初回からずっと関わってくれているスタッフも多い。
かつみの横で会場の様子もずっと見てきているスタッフから様々な意見も出てきた。
今までと同じようにやっていてもダメだ。
毎回の反省点や意見も生かされていない。
この音楽祭をずっと続けていくには、抜本的に変えていかなければならない。
準備段階からかつみがひとりで全部を背負いこんだらあかん。
随時報告しあいながら、知恵を出し合いながらがんばろう。
本当に嬉しかった。
このスタッフたちも音楽を通して繋がった仲間たちだ。
2024春に向けて
2024年の「あまがさきJAMフェスティバル」は、経費の多くを占める会場費を減らすため、会場を一つに絞り開催する。
金額面を優先した結果、今まで経験のない大ホール開催となり、
一会場に絞ったのに定員数が1800名❗️
とにかくホールを埋めることが必須だ。
今までの赤字補填はかつみがかぶってきたが、もうこれ以上限界なのも事実。
2023年の会場には、初めてハンディキャップのある方々を招待した。
普段思うように出かけることが難しい方にも、生の音楽の波動を感じてもらいたかった。
中には生で音楽を聴くことが初めてだった方もいて、とても喜んでいただいた。
そんな彼らの声を聞いて気づいた。
子どもも、
大人も、
元気いっぱいな人も、
今ちょっと弱ってる人も、
どこかにハンディキャップがある人も、
日本語を話さない人も、
普段音楽をあまり聴かない人も・・・
どんな人にだって、いつでも音楽は歓迎してくれる。
そして
「音楽は人の心を豊かにする そして 人と人とを繋げてくれる」
この熱い想いだけは消したくない❗️
この音楽祭の灯が消えてしまうことだけはしたくない❗️
最後に
この「山下かつみ物語」
ちっぽけなかつみの半生などわざわざ披露しなくてもよいのだが、
2024年の「あまがさきJAMフェスティバル」を見据えた時、かつみを丸ごと知ってもらいたかった。
かつみが歩いてきた道は決して穏やかではなかったが、いつも音楽が寄り添って背中を押してくれていた。
ただ、歌が、音楽が好きなだけ。
音楽の力をみんなに知ってもらいたい。
「あまがさきJAMフェスティバル」の活動を通して、かつてのかつみのように心救われる人の輪が広がりますように・・・
「第一章~なんやかんやで音楽!」
「第二章~暗黒の日々」
「第三章~稲妻が走る!」
「第四章~ガンとの闘い」