エッセイである
エッセイである。エッセイ。随筆ともいう。それを、書く。
誰からいわれたわけでもないが、書いてみることにした。月に一本、原稿用紙で五枚程度。経験は、たぶん、ない。このあいだのアレがエッセイだとするならば、ある。その他にも該当するようなものを書いたことはあるかもしれない。だが、はじめからエッセイを書こうというつもりで文章を綴った記憶は、これまでない。
十余年ほど遡ることになってしまうが、小説ならばよく書いていた。手に持った国語辞典と丸刈りの頭がトレードマークの、中高生の時分である。中学生の頃は、——今は過疎によりなくなってしまった——学校のパソコンで書いていた。高校生の頃は、折りたたみ式の——他に使っている人などいないソニー・エリクソンの——携帯電話でぽちぽちぽちと打ちこんでいた。当時誰に見せるでもなく、その後誰にも見せないままに儚くも消え去ってしまった小説群は、残念ながら、もはやぼくの頭の中にも欠片さえ見当たらない。
そして、ちょうど髪を刈らなくなったあたりから、小説に限らず文章を書く機会がほとんどなくなってしまった。日記は気ままに付けていたものの、動詞句を羅列した箇条書きで、文章とはいえない。
そんな日々が続き、気づけば三十歳になった。ようやく、これではいけないと考えた。だって、文学に触れるたびに思うのだもの。「ぼくも書きたい」と。
この衝動の向く先は本来小説なのであろうが、悲しいかな何を書いたらよいものかわからない。加えて致命的なことに、物語を産み出したいという欲望がまるでない。「それでも」と、とにかく筆を進めてみることが、おそらく美しいのだとは理解している。しかし、そこは残念、ぼくである。甲斐性なしである。書いてみたところでどうせ漱石や百間や堀江敏幸や小川洋子には敵うまいなんて馬鹿みたようなことを平気でいって逃げるのである。さらにはそこで「エッセイなら書けるかも」などと思うところがいかにも浅ましいではないか。
その、エッセイである。そもそもエッセイとは一体何であろうか。明鏡国語辞典によれば——中学時代に持ち歩いていたのも明鏡国語辞典だった。当時は初版、今は第三版である——と、引用しようとしてはたと気づく。著作権の侵害にあたるのではないか。賢明なぼくは引用元を変えることにする。Wikipediaによれば、——「随筆」のページに転送されたうえで——「文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文」のことであるという。体験や知識が出発点となるようだ。だとすれば、書き始めるまでが重要である。
日頃の生活が種になる。些細な行動や何気ない会話が使いやすかろう。そういうエッセイを、確かによく読む。他人同士の会話であるが、数日前に耳にしてから記憶に居座り続けているやりとりがある。やや混雑する電車の中で三十歳前後の女性が同じ頃の仲間に話していた「最近、首や肩が凝っていて、ドラゴンボールみたいになってきた」というものだ。聞き手の反応は驚くほどに淡白であった。手練れであれば、ここから一本書きあげることができようか。
読書は、映画やラジオでもよかろう。なるほど、思索の起点になりそうである。やはり印象に残っているものから書き始めたい。バナナマンの日村氏がラジオで話していた「ゴルフ仲間に差し入れるためにおにぎりをたくさん買ったが、ゴルフ場へ向かう車内ですべて食べてしまった」というエピソードから、二千字が埋められるだろうか。
起点は起点として、そこからうまく脱線をくり返していくのがよいのではないかしらんと、現時点では考えている。そもそも思索自体がそういうものであろう。必ずしもまとまっていることは求めない。むしろ、思考の軌跡を見せていくことこそが楽しいのかもしれない。
まずはとにかく名手のエッセイを読むことから始めてみようと思う。もともと好きな書き手から読み返す。漱石や百間や堀江敏幸や小川洋子、それから谷川俊太郎、佐藤雅彦、若林正恭——。
このまま人名を列挙していけば字数は埋まる。ただ今回は、そんな荒技に頼る前に原稿用紙も五枚目に入ることができた。エッセイを書くことついて書くことで乗り切ってしまった。しかも字数を埋めることについてばかり考えるという、いかにも後ろ向きな文章である。まあそれも個性としておこう。そんな無敵の言葉で締めてみる。