執筆の速度を上げる訓練
前にも書いた覚えがある。それどころか、このことばかりを書いているような気さえするが、ぼくは筆が遅い。数百字から千字と少しほどの文章を書くのに、数時間かかる。「数」「数」とごまかしては参考にもなるまいが、少なくとも千字のエッセイを一時間で書き上げることはとてもできない。平均して誰がどのような文をどの程度の速さで書いているかは知る由もないが、自分が遅筆と呼ばれる部類に属することは承知している。
一行書いては読み返し、今選んだばかりの語が最適かどうかを審査する。次の文もその次の文も、もちろん同様である。文が連なれば、今度はそれらを合わせて読み返す。リズムに澱みはないか、論理は成り立っているか、意味は誤解なく伝わるかを確かめ、整える。そして先ほど吟味したはずの語句がやはり違っているような気がし、新たな候補を探す。語が変わればリズムも論理も意味もまたバランスを取りなおす必要があるから、延々と繰り返すことになる。
これでは時間もかかるはずである。——そのわりに、ようやくのことで書き上がった文章はお世辞にも読みやすいとはいえないから困る。
もっと効率のよい書き方も、なんとなく理解はしている。まずはとにかく手を止めずに文を並べていくことだ。語を選ぶのも、文を入れ替えるのも、漢字を閉くのも開じるのも、結論まで辿り着くまでは我慢する。一行一行に時間をかけて言葉を探したところで、いずれにせよ最後には大局の目で書きなおされるのであるならば、推敲は一度にまとめてしまったほうがよい。
しかし、頭でわかっていたところで、なかなかすぐに実行できるものでもない。どの分野においても、方法論を体得に至らしめるは訓練である。
この文章を書くにおいては、句点や読点をひとつ打つたびに読み返すことを、しなかった。嘘。した。そこでより収まりのよい表現を探すことも、した。ただ、その程度を従来よりもいささか弱めた。多少の気になる点を見逃すことすらしてみた。
今後、執筆のたびにこの意識を忘れずにいれば、文章を書き上げるまでの時間も苦労も、縮小されるだろうか。