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シュリスペイロフはかっこいい
今この瞬間、この世で一番かっこいい。
常套句でも誇張でもなく、そう思った。下北沢の夜。ぼくにとっては久々の。
シュリスペイロフというバンドがいる。例えば音楽を好きな人と話すとき、ぼくが絶対に紹介するバンド。そのとき酔っ払っていたならば——つまり、多くの場合——熱く愛を語るバンド。漏れなく名前を聞き返されるバンド。
「シュ、シュ……何?」
音楽に限ったことではない。映画や漫画や文学も含めて、誰かから薦められたらとりあえずその作品に触れてみる。そういう人と話すのは楽しい。互いに好きをぶつけあった後だからというのもあるのかもしれないが、みんなが「すごくいいね」と言ってくれるバンドが、シュリスペイロフだ。
活動はゆっくりで、露出も少ない。ときどき途切れながら、それでもずっとすばらしい音楽を鳴らしつづけている。
一昨夜は、久しぶりのライブだった。リスナーとしてのぼくにとっても、プレイヤーとしてのシュリスペイロフにとっても久しぶりのライブ。DaisyBarのステージ上では、とんでもなくかっこいい音が鳴っていた。
ぼくは泣いた。何度も泣いた。ハンカチがびしょ濡れになった。どうしてこんなにも涙が溢れたのだろう——明らかにひとつの理由はビール何杯分かアルコールを摂取していたことだが——。
ただ、「かっこいい」という感覚によって泣いていた。歪んだギター、コードの響き、独特のリズム、優しい歌声、かっこつかないMCも含めて、すべてがかっこよくて、そのこと自体が涙に直結していた。
もちろん、日々の想いや悩みが歌詞に共鳴したり、孤独の中で育み続けた感情が掬われることによる喜びも、その成分には含まれていよう。普段は聴き流してしまっていた言葉が、ステージ上で発せられた途端に実感を伴って届くことはよくある。
それでも、この日の涙は、この狭い空間の中、目の前で演奏されている音楽が「かっこいいから」流れたものだった。
人は、あまりにもかっこいい瞬間を体感すると泣く。
この、初めて現れた生理的な発露は、月並みな意志へと着地する。ぼくもかっこいい音楽を鳴らしたい。そう思った。バンド形態でのライブなど今後できることはないかもしれないが、きっと手段はそれに限らない。ぼくもかっこいい音楽を鳴らしたい。
当該のライブは映像配信も提供されていて、1週間ほどアーカイブが視聴できます。