箇条書きの掃き溜め50
いい年して、いくらなんでもひどい状態、人生。
すべての悩みは経済状況に帰結する。
学歴コンプレックスというか、明確な目標とそれに最適化された環境が用意されてもなお頑張れなかったコンプレックス。
文化資本がゼロのど田舎で育ったことを、せめて言い訳にするしかない。
大学時代を無駄にしすぎたけど、日本にはそんな人ばかりなんだからみんな他でカバーできているみたい。
適応障害と抑鬱状態をくりかえしたから、それを避けるために逃げたり休んだりする選択を優先してきたけど、その結果いよいよ追い詰められてきた。
最後に救ってくれるものがあるとしたら、人との出会いとその関係性の構築なんだろうな、苦手だな。
ぼくはコロナ禍によって一時的に救われたけど、そんなこと言えない(大事なことなんだけど)。
自他の死に向き合いたくない。
人と交流するにはお金も体力も精神力もたくさん必要だけどその全部がない。
ソーシャルメディアのおかげで人と繋がれた青年期だったけど、あそこはもうあまりに負の要素が渦巻き過ぎている。
昔も今も、BBSやソーシャルメディアの中で流行る言葉もその動き自体も全部気持ち悪い。
ソーシャルメディアのせいで大喜利が嫌いになった。
ソーシャルメディアにおける鉤括弧の気持ち悪い使い方やめてほしい。
せめて言葉に関することだけでも、適当なことを言わないでほしい。
地域や時代による「自分にとって馴染み深い何かを知らない人」を認識して喜ぶ遊び気持ち悪い。
鬱病や発達障害をこれ以上消費するな。
対話においても鑑賞においても、共感というものがあまりにもてはやされている。
自分の考えが正しくて完成されていると思っている(ように感じられる)人との会話は苦手。
誰もがある面ではマイノリティだしある面ではマジョリティ。
被害者意識の加害性。
加害者意識を持つことは自分への精神的負荷を除いて悪いことではないと思っているけどどうなんだろう。
持って生まれた気質の尊重と加害/被害が生まれる可能性、ペドフィリアやサイコパスについて。
性加害者が生きていけるのにぼくは生きていけない社会。
バキ童チャンネルにスピッツっぽい曲を提供したことは後悔している(企画の内容を知っていたので)。
秋元康がキャンセルされないのは何故なんだろう。
自分とある程度感性や趣向の近しそうな人がもれなく坂元裕二作品を絶賛している理由がわからない。
ヒコロヒーの文章は上手/下手以前に書いてから読み返していない感じがした。
以前は藤井健太郎の仕事がとても好きだったけど今はとても嫌い。
誰かの創作が嫌いだと確認するために時間を費やす必要性の有無を判断できずにいる。
誰かの創作が嫌いだと表明することの是非を判断できずにいる。
星野源と若林正恭について、どう考えても好きなところの方が多いのに嫌だった言動を理由に避けてしまうようになった。
特権性に無自覚なまま満たされない日陰者としてのエンタメを続ける人が多い。
人を括ったり分類して見下すな。
異口同音の「生まれ変わったらギャルになりたい」がとても嫌い。
生まれ変わったら定型発達か正常色覚の人になりたい。
みんな色の話ばっかりしてるのに色弱への言及なさすぎ。
「承認欲求」や「共感性羞恥」という言葉は、雑に人を見下したいときに使われるばかりで嫌だな。
「鉤括弧付きの——」や「もやもやする」は、自分と似た怒りや悲しみを持って丁寧に物事を考えていたりする人がよく使うけどぼくはそろそろ避けようかな。
網羅的に配慮することは無理だけどできる限り目を向けることを諦めない。
絶版本以外中古で買わないけどクローゼットはファストファッションばかり。
ぼくがぼくとして毎日向き合っているぼくの絶望を簡単に否定しないで。
嫉妬という感情が嫌い。
オープンリレーションシップやポリアモリーは、実践するしないに関わらずまずは広く知れ渡ってほしい。
フェミニズムやその周辺について考える時間が多いけれど勉強がとても及ばないので何も発信できずにいる。
水曜どうでしょうにホモソーシャル的な不快感を(基本的に)覚えないのはどうしてなんだろう。
睡眠時間が長すぎる。
夢を見ることだけは楽しい。
亀飼いたい。
正解も最適解もわからないしたぶんないからせめて考え続けるしかない。