論語は最高のビジネス書だった。
最近、ものすごく色々考える日々が続いている。
どこかを歩いていても、色々な考えが浮かんでくる。
そして「このネタはブログに使えそう」と、メモしておく。
これはアウトプットを意識したことでインプットが変わっているのだと思う。
日頃、私たちは何気なく1日を過ごしている。
実は頭の中では色々なことを考えているのかもしれないが、そうであってもそれを表には出さず、「まあいっか」くらいで済ませてしまうのである。
ところが、毎日こうやってnoteに投稿することや、ブログのことをずーっと考えていると自然と日常を見る目が変わってくる。
お店に行っても、紹介するためにはたくさんの写真を撮らなければいいけないし、道を歩いていて思ったことをブログに書いて主張できるかもしれない。
となると、常に自分の生活を省みることになるし、情報はチェックするようになるし、アウトプットを意識した生活になる。
先日、、発想を逆転させることの大切さについて書いた。
ここでも、それはあるのだろうと思う。
「アウトプットができないときはインプットに問題があり、インプットに問題があるときはインプットに問題がある。」
これは私の経験上の真理である。
アイデアが出ないときは図書館に行くし、逆に本を読んでもあまり頭に入ってこないときは「なぜその知識が必要なのか」をもう一度問い直すことにしている。
そうすることでインプットの活かし方が見えるので、インプットの質が格段に上がるのである。
また、アウトプットの場所を1つ持っておくというのは大事なことである。
以前NewsPickの有料記事を読んだ時に、SHOWROOMの社長の前田さんがメモのとり方について解説していた。
そのとり方とは、ファクト→抽象→転用というものを使う。
何か出来事があったときに、「それはどういう意味なのか」考えて、それを日常の生活に活かすにはどうすればいいのかを考える。
以前、この方法を真似させてもらおうと思ったのだが、抽象までは行っても、なかなか転用までは考えられなかった。
それは、アウトプットの場所がなかったからなのである。
得られたアウトプットを「どこで使うのか」に関して、学生の身分だとあまりアイデアが出てこなかった。
と、今はこう書いてしまったがこれは間違いだったような気がしてくる。
あらゆるインプットは何らかの形で自分の生活に活かせるはずである。
きっと、まだまだ修業が足りない。
むしろ、転用できないインプットはただの自己満足である。
きちんと知識を入れたらアウトプットに活かしていかなければいけない。
その点、ビジネス書などは書いてあることがそのまま実行に移しやすいから良い。
特に、最近よく売れている本なんかは、中にチェックリストがついていたりして、転用の仕方までしっかり指導してくれている。
一方、古典や教養はそうもいかない。
自分で転用を考えていく必要がある。
そんなことを考えていたら、論語を思い出した。
あれなんかは、転用することだらけではないか。
それぞれの話ごとに、教訓が詰まっている。
ということは、それだけ活かすことがあるのである。
それが一冊にまとまっているなんて、最高のビジネス書ではないか。
ということで、今日の結論。
論語は最高のビジネス書である。
以上、見切り作文終了。
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